神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

熊野神社(静岡県焼津市東小川)

2011-04-05 23:14:34 | 神社
熊野神社(くまのじんじゃ)。祭神:熊野三社(伊邪那美命・速玉之男命・事解之男命)
場所:静岡県焼津市東小川5-9-3。小川中学校の北西、約500m。駐車場なし。
社伝によれば、大永6年(1526年)に小川城主長谷川元長が紀伊から熊野三社(本宮・新宮(速玉神社)・那智神社の総称)を勧請したという。しかし、「焼津市史 民俗編」(平成19年7月)によれば、長谷川氏以前に、時宗勢力の進出とともに勧請されていた可能性があるとされる。というのは、同じ東小川に時宗「寶城山 海蔵寺」があり、元は天台宗「寶城山 安養寺」といったが、嘉元3年(1305年)、時宗二祖真教上人が当地に来たとき、時の住僧観海が時宗に改宗したとされる。時宗の祖・一遍上人は「南無阿弥陀仏 決定往生 六十万人」という名号札を配り、名号を唱えるだけで往生できると説いた。名号札を配ることを賦算というが、あるとき名号札の受取りを拒絶され、一遍上人が思い悩んだとき、熊野権現が現れて励ましたという。このように、時宗と熊野信仰はつながりがあり、時宗信徒が熊野神社を勧請した、あるいは逆に熊野神社信奉者が時宗僧を招いたのかもしれない。
もう一つの伝承として、当神社境内に「那閉神社」があるが、それは昔、式内社「那閉神社」が当地に鎮座していたからだという。旧・小川村では婿が幅を利かすことを産土病(うぶすなびょう)というが、それは「熊野神社」が後から入ってきて、元からの「那閉神社」を押しのけて本社になってしまったからであるという。
さて、焼津市といえば、小説家・小泉八雲が東京帝国大学文学部講師であったとき、好んでしばしば訪れた場所としても知られている。そして、当神社も、その散歩コースであったらしく、こんな話が伝わっている。八雲、長男の一雄、山口乙吉(焼津で八雲が滞在していた魚屋の主人)、書生の奥村の4人が当神社の境内を散策していたところ、社殿の裏側で山口乙吉と奥村は地面が火のように熱くなるのを感じたが、八雲と一雄にはわからなかった。不思議に思った八雲は、周囲をしきりに探索したが、結局何も発見できなかったという。焼津には、地下に天然ガス層があることが知られており、あるいはその天然ガスが地上に出てきて燃えたのかもしれない。


「神社探訪」さんのHPから(熊野神社)


写真1:「熊野神社」参道入口の鳥居。松並木の参道が残され、向かって右側は「宮前公園」となっている。


写真2:「熊野神社」正面


写真3:「熊野神社」社殿


写真4:境内社「那閉神社」。「熊野神社」本殿の向かって左脇にある。
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