「お願いします」
店の真ん中で店長は土下座をしていた。客が通りかかることがあれば、どうしたかと思うことだろう。深々と床に向かって頭を下げる。
「お願いします。お願いします」
何かを謝っているのではなく、熱心にお願いしている。誰もいないところで大丈夫だろうか、と思わせる雰囲気がある。前を通っても店長は気づかない様子だ。ピピピピピ……。誰かが前で呼んでいる。レジを片づけると邪魔な空箱を跨いで、僕はお菓子コーナーに向かった。
何段にも積み上がった箱。大量の飴玉が納品されていた。棚にはまだ十分すぎるほどの飴が残っていたが、新しい飴は毎日のように納品される。品出しは規則によって消費期限の近いものから順に売れていくように陳列していかなくてはならない。日々同じような作業が繰り返されているということは、それだけの需要があるのだろう。とても信じ難いことだった。飴にはいくらも種類があるが、作業の中身はみんな同じだ。頭の中を飴玉だけで満たそうとするには、僕は集中力が足りないようだ。気がつくと自然と折句の扉が開いている。
かきつばた。感情がキスをしている月の背に……。風向きは君の意のまま強がりな……。金をくれ傷を売ってもつかみたい……。ピピピピピ……。客に呼ばれて僕は駆け出す。おにぎりや竹輪をスキャンしながら、僕の体の半分は(あるいは大部分は)折句の扉の向こう側の世界に残っていた。
「ありがどうございます! またお越しくださいませ」
そうして僕はまた飴玉たちの前に復帰する。それは少しも減っていない。むしろ増えているような気がする。飴の上には飴、飴の横にも飴。人の好みの数だけ飴があふれている。これほど多彩な商品の中から、人は何を思って一つを選ぶのだろうか。単調な作業の中で時折カラフルなデザインが目に入りどこか遠い場所へ引き込まれそうになる。かきつばた。借り物のきりんに乗って月へ行く……。ピピピピピ……。いらっしゃいませ!
チップスター、雪見だいふく、忍者めし……。一つ一つの確実なスキャンの向こうで、僕は生まれかけの言葉たちをまだ足下に残していた。「かきつばた」という暗号キーが折句の扉の向こうの世界を堅く守っていてくれた。現場に生じた忍者めしがもしも介入を望んだとしても、それを拒む理由はないのだった。
「ありがどうございます! またお越しくださいませ」
僕は客を見送ってホーム・ポジションに復帰した。折句の扉は依然として開かれている。その向こう側ではまだどこにも所属しない無数の言葉たちが、旅の続きを待ち望んでいた。かきつばた。重なった気がかりだけのツナサラダ……。その時、積みかけていた何かが無情に崩れ落ちる音がした。ドレッシングがこぼれて僕は現実に引き戻される。ここは終わりの見えない飴玉天国だ。お願いします。お願いします……。
遠くでまた店長の声が聞こえてくる。
神様を
キットカットで
つれだした
春めく風は
棚の向こうで
折句 短歌「かきつばた」