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儚い1分をつないで永遠をつくることだってできる。許されるならずっとそうしているのかもしれない。読み耽っている間は歳を取らず、風邪を引くこともない。徐々に棋士の縦揺れが速くなっていく。前のめりとなり勝ち筋を追求しているに違いない。遠目には何もしていないように見えて、実際には壊れるほどに動いている。脳内を占めているのは、玉を中心に存在する世界。そこには蠅1匹として入り込むことはできないのだ。純粋であることはこの上なく心地よく、その世界を見守るものを幸せな気持ちにさせることができるのも、純粋さの力に他ならなかった。
「ちょっとご相談がありますので……」
玉と玉の間に世界の外から声が割って入った。大駒も小駒も、口を挟むことはままならない。人と駒との世界がはっきりと分断される。
・
時が止まる。
要の金も、駒台の曲者も、自陣をさまよう飛車も、誰も自力で動くことはできない。人間たちの帰りをただじっと待つばかりだった。突然、人が消え去った部屋の中、残された盤上の駒たちは静かに闘志を燃やし続けていた。
「まだまだ夜はこれからよ!」
「負けないよ!」
「少し苦しくなってきたわい……」
「バカ! 弱音を吐くのはどこのどいつだ?」
「まだまだ勝負はこれからよ!」
「我らの後ろには10万の観る将がついているからね!」
「早く天国に行きたいな!」
「そのためには成駒の製造が必要だな。長くなるわい」
「君よと金になれ。君よ成桂になれ。私は馬になろう」
「地下鉄飛車をお待ちの方、しばらくお待ちください」
「少し苦しくなってきたようじゃ……」
「バカ! うちの先生絶対にあきらめたりしないんだから!」
「まだまだこれからよ!」
「夜はこれからよ!」
「本当の勝負がこれから始まるよ!」
・
「この度、蕎麦屋さんが店を畳むことが決まりまして、それで先生方のご意見を聞いてまわっているところです」
「そうでしたか」
「はい。そこで、こういう時に何ですけど、何かこういう出前があったらいいなとか、具体的にありますでしょうか」
「そうですか。蕎麦屋さんがないと寂しくなります」
「ええ。仰る通りです」
「うどんも選べますし、丼もいいですもんね」
「はい。そこでですが、蕎麦に代わるものとして、具体的に何かこれというものがあったら是非ともお聞かせ願いたい」
「蕎麦以外ですよね」
「あるんですけどね、色々と」
「例えば」
「なかなか切り替えが難しい面がありますよね。時が時ですので」
「仰る通りです。そこはこちらも心苦しいとこですが……」
「ピザとかどうですか」
「ピザですか。ありがとうございます」
「ピザというとパスタとかどうでしょうか」
「なるほど。イタリアンですね。いただいときましょう」
「たこ焼きとか」
「ほー、たこ焼きですか」
「そうするとお好み焼きとか」
「なるほど鉄板ですね」
「全般的に鉄板となると手広い意味はありますね」
「有力です。これもいただきましょう」
「まあざっとそんなところですか。今日のところは」
「ありがとうございます。時計を止めて聞いた価値がありました!」
・
「全然かえらないじゃないか!」
「千日手になったんじゃない?」
「いつの間に?」
「ふりだしに戻るわけ?」
「そこの君、棋譜をのぞいてごらん」
「ふん、見るまでもない」
「ふふっ」
「メシでも食いにいったんじゃないの?」
「そんな身勝手なことが信じられるか」
「人間なんて気まぐれなもんだろ」
「お前ごときに人間の何がわかるか」
「一番そばで見てたから少しはわかるんだよ」
「だったら俺も」
「錯覚じゃねえの?」
「錯覚はよくない。よく見なさいな」
「食うかどうかは時の気分で決まるんだ」
「それだけか?」
「それだけじゃない。眠るかどうか、歌うかどうか、踊るかどうか、振るかどうか、愛するかどうか、生きるかどうか、そうしたすべてが気分で決まるんだよ」
「そんなバカな!そんなにも気まぐれなものか」
「それが生き物に与えられた最も大きな性能だからね」
「空も飛べないくせに!」
「馬にもなれないくせに!」
「そんなものに命をかけられるわけ?」
「笑っちゃう」
「そう。だから笑うしかないんだよ。僕らにできず人間だけにできることだろ」
「私たちに読めないはずね」
「我々は盤の上では将棋の駒にすぎない」
「ふん。世界の果てだって変わらないさ」
「デタラメな話はおやめなさい」
「そうよ。私語は作戦に費やすべきよ!」
「そうだ。棋理から遠すぎる」
「勝負はこれからよ!」
「夜の向こうに10万の観る将が広がって見えておるわい」
「本当にかえらないじゃないか!」
「かえりたくてもかえれない時があるんだよ」
「いったいどんな時なんだ?」
「笑えない時さ」
「発端は?」
「風が素顔を晒してしまったからでは?」
「何それつまんない!」
「まだまだこれからよ!」
「これからが本当の勝負よ!」
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