腕時計をオーバーホールに出した。古典的な自動巻きの腕時計であるし、防水機能の劣化も少しは気になるので5年毎にオーバーホールを頼んでいる(画像は時計メンテ専門店が発行した我が時計の預かり証)。当然オーバーホールには金がかかる。交換部品にもよるが、2.5~3.5万円くらいはいつもかかる。贅沢言わなければ新しい立派な腕時計が買える値段だ。最近はメンテしたり故障を直したりするより、その商品を捨てて新しいものを買った方が経済合理性があるということが多い。電子機器に溢れるクルマの部品やデジタル製品など皆そうだ。
腕時計がないと困ると思い、代わりにこれ(↓)をしている。BICカメラで980円のカシオ社製腕時計。980円で十分用が足せるのである。むしろ普段使っている古典的自動巻き腕時計より、この980円の時計の方が狂いがない。しかしこの980円の時計も、電池が切れたら捨てられるだろう。中の電池を替える方が高くつくからだ。不正確で高価な自動巻き時計はメンテをするだけで何万円もかかるが、そのメンテ代のわずか数十分の1の値段で正確なカシオの時計が買える。ただしカシオの時計の電池がなくなったら、それを買いかえるコストよりさらにその新品を買った方が安い。不思議な世界だ。
腕時計ってそもそも必要なのだろうか?昔は必要だったかもしれない。しかし私は普段携帯を持ち歩き、そこには時計がついている。合わせて仕事用にBlackberryも持ち歩き、そこにも時計がついている。クルマの中にも時計がある。駅でもビルでも街中なら、どこかに時計があって困りやしない。
今20歳の人が小学生だった頃、腕時計より先に携帯を親に持たされていたかもしれない。そういう人は腕時計が必要とは思わないかもしれない。だからやがて腕時計は世の中から消えてなくなるかもしれない・・・と思うが、そういう気配は今のところない。高級腕時計なんてむしろ装飾品としての存在感が大きくなっていて海外の高級ブランドは値がつり上がっている。直近では15年くらい前の価格がおそらく最低だったのではないか。広範囲に普及し同じデザインのモデルを長年作り続けるため中古市場まで発達している代表格ロレックスで比較すれば、国内での新品の現行価格は15年前のそれの2.5倍くらいにはなっていることだろう。よくわからん世界である。たいして必要がない時計に何十万円あるいはそれ以上もお金をかける人がいるわけで、それはもはや時間を知る機能ではなく、装飾品としての価値があるのだろう。将来は腕時計を持たない人と、高級な装飾品としての腕時計を持ち歩く人に二分化されるのだろうか。
もうひとつ、本当に必要かどうかよくわからないと思っているのが、クルマの法定点検。新車は登録から3年目、その後は2年毎に車検がある。しかし、その合間、毎年法定点検を受けることが課されている。
我が家も最近愛車を法定点検に出した。あれこれあれこれ指摘され、かかったお金が56,332円。しかしいずれも走行に危険が生じるような項目ではない。思い起こすと、英国でクルマに乗っていた頃、日本の車検制度に相当するMOT Test(新車登録後3年目、その後は毎年だった)というのがあった。しかしそれはブレーキ・パッドが擦り切れ過ぎとか、ライトが切れているとか、非常に危険なもののみが指摘され、交換を要求されるに過ぎないものだった。
「法定点検にクルマを出した」と私が言うと、周囲の何人かから「そんなものウチはやってないよ」と言われた。法定点検は「法定」だけれど、やらなかったからと言って現状、罰せられることはない。しかもそれで何の問題も生じていないそうだ。しかしそうした行為が正しいかどうかは疑問である。
私が思うに、日本も車検と法定点検を一旦やめて、車検に一本化し毎年実施するようにし、ただし本当に危険なところのみを指摘して、補修・交換させる制度に変えてはどうだろうか? チェックの頻度が高まり時間節約的検査だけれど安全性は増し、各ドライバーにとっての余計な出費は抑えられそうだが。
腕時計がないと困ると思い、代わりにこれ(↓)をしている。BICカメラで980円のカシオ社製腕時計。980円で十分用が足せるのである。むしろ普段使っている古典的自動巻き腕時計より、この980円の時計の方が狂いがない。しかしこの980円の時計も、電池が切れたら捨てられるだろう。中の電池を替える方が高くつくからだ。不正確で高価な自動巻き時計はメンテをするだけで何万円もかかるが、そのメンテ代のわずか数十分の1の値段で正確なカシオの時計が買える。ただしカシオの時計の電池がなくなったら、それを買いかえるコストよりさらにその新品を買った方が安い。不思議な世界だ。
腕時計ってそもそも必要なのだろうか?昔は必要だったかもしれない。しかし私は普段携帯を持ち歩き、そこには時計がついている。合わせて仕事用にBlackberryも持ち歩き、そこにも時計がついている。クルマの中にも時計がある。駅でもビルでも街中なら、どこかに時計があって困りやしない。
今20歳の人が小学生だった頃、腕時計より先に携帯を親に持たされていたかもしれない。そういう人は腕時計が必要とは思わないかもしれない。だからやがて腕時計は世の中から消えてなくなるかもしれない・・・と思うが、そういう気配は今のところない。高級腕時計なんてむしろ装飾品としての存在感が大きくなっていて海外の高級ブランドは値がつり上がっている。直近では15年くらい前の価格がおそらく最低だったのではないか。広範囲に普及し同じデザインのモデルを長年作り続けるため中古市場まで発達している代表格ロレックスで比較すれば、国内での新品の現行価格は15年前のそれの2.5倍くらいにはなっていることだろう。よくわからん世界である。たいして必要がない時計に何十万円あるいはそれ以上もお金をかける人がいるわけで、それはもはや時間を知る機能ではなく、装飾品としての価値があるのだろう。将来は腕時計を持たない人と、高級な装飾品としての腕時計を持ち歩く人に二分化されるのだろうか。
もうひとつ、本当に必要かどうかよくわからないと思っているのが、クルマの法定点検。新車は登録から3年目、その後は2年毎に車検がある。しかし、その合間、毎年法定点検を受けることが課されている。
我が家も最近愛車を法定点検に出した。あれこれあれこれ指摘され、かかったお金が56,332円。しかしいずれも走行に危険が生じるような項目ではない。思い起こすと、英国でクルマに乗っていた頃、日本の車検制度に相当するMOT Test(新車登録後3年目、その後は毎年だった)というのがあった。しかしそれはブレーキ・パッドが擦り切れ過ぎとか、ライトが切れているとか、非常に危険なもののみが指摘され、交換を要求されるに過ぎないものだった。
「法定点検にクルマを出した」と私が言うと、周囲の何人かから「そんなものウチはやってないよ」と言われた。法定点検は「法定」だけれど、やらなかったからと言って現状、罰せられることはない。しかもそれで何の問題も生じていないそうだ。しかしそうした行為が正しいかどうかは疑問である。
私が思うに、日本も車検と法定点検を一旦やめて、車検に一本化し毎年実施するようにし、ただし本当に危険なところのみを指摘して、補修・交換させる制度に変えてはどうだろうか? チェックの頻度が高まり時間節約的検査だけれど安全性は増し、各ドライバーにとっての余計な出費は抑えられそうだが。