さて、ボクはどこへ連れてってもらえるのだろう?

さあ、どこでしょね?
ちょっと変わったところへ行きますよ。
稲村ヶ崎の巨大な切通。

渋滞中だ。

鎌倉市内の水道路交差点。

鎌倉市と逗子市の境界まで来た。ここが小坪トンネル。

先ほどの水道路交差点からは、横須賀まで通じる旧海軍のつくった水道がこのトンネルの脇まで地下に埋設されていて、それはそのまま逗子へと抜けて行く。
お化けが出ると評判の小坪トンネル。
お化けは見たことないなあ。

念のため、撮影。
やはり出ないね。

この近くに火葬場があるからそう言われるのでしょう。
ここは歴史ある名越の切通も近い。火葬場があってもなくても、見える人には見えて、見えない人には見えないのが霊。
逗子市内のJR横須賀線北側を走行中。

JR鎌倉駅ホームはほぼ南北方向、しかし隣のJR逗子駅ホームはほぼ東西方向を向いていて、途中で横須賀線の線路が90度ほど向きを変えている。
JR逗子駅近くでは線路がほぼ東西方向を向いていて、JR逗子駅の改札口は南側と北側にある。私がここで運転しているのは北側だ。
逗子市沼間の坂の上まで来た。
ここが逗子市と横須賀市の境。

横須賀市の地形のひとつのタイプがこれ。

海がすぐそばにあり、そこには山があって斜面を駆け上るように住宅が建っている。
地名には〇〇浦、✕✕浦と浦がつく地名が多い。
バブル経済末期~崩壊の頃にダイエーがつくったショッパーズプラザという商業施設。今はイオンの所有だが、最近名前が変わった。COASKAですって。おそらく海岸のCOASTと横須賀(YOKOSUKA)を重ねたんでしょうね。

同じ時期に建てられた横須賀プリンスホテルがこちら(↓)。

しかしその後10数年でそれは売却されてしまった。
プリンスホテルってどんどん建てられて、どんどん売られたね。
世の中って変わりますねえ。
横須賀市の中心部。

米軍関係者も多く、不動産業もそれ目当てなのが多い。
Military Housingなんて書いてある。

こっちにもあるよ。

SHONAN HOUSINGと書いてあるね。
横須賀の人は横須賀を湘南と思っているのかもしれないが、湘南の他の自治体に住む人はそれを認めておらず、「湘南はどこからどこまでか」は絶えず議論になる(笑)。
馬堀海岸を走る。

伊藤忠が開発に関わっているところが多く、シーアイ(=CI、Chu Itoの意味)マンションなんてのがある。
到着しました。観音崎公園駐車場。

季節外れの平日は無料。
みなさん、ぜひ観音崎へお越しくださいね。
ここで妻が大発見したものがある。
これはヤスデだ。

八ヶ岳山麓、富士山麓、伊豆半島などでよく見られ、神奈川県では葉山で大発生したことがあると記事で読んだことがある。
八ヶ岳山麓では今年が8年に一度の大発生の年であることは先日ご紹介したが、ここ観音崎の駐車場でも大発生。

珍しいものを見たね。

観音崎を歩く。
江戸末期からは緊張感が漂う場所だったんだろうね。

ここはドガティ君にとって初めての散歩で、とてもうれしそうだった。

私も久しぶりだ。
ここは地層が面白い。三浦半島の相模灘側とはちょっと違うね。

しっかり残るところと、波に流され易いところ。

そんな海岸をみながらゆっくりと散歩。

下がすり減って上だけが残って、いつかまたここも崩れるのでしょうねえ。

階段状になっているから上り易いかと言うとそうでもなく、表面がツルツルして滑る。

潮だまりが多い。

取り残された魚君があちこちにいる。

これはきっとハゼ科の魚だよね。
妻はまたドガティ君撮影大会を開催中。

ドガティ君は探検中。

この日は天気が悪く、気温が上がらなかった。
ヨットは寒そう。

観音崎灯台に近づく。一旦は登坂になる。

あ、お墓だ。

なんのお墓かはわからないみたいだ。

観音崎に過去に関わった人たちを感じる場所。
いつもお参りする人がいるようだ。

お墓を観察していると、妻とドガティ君に置いて行かれてしまった。

観音崎という名前の由来である観音様がここに。

奈良時代の話だ。この海触洞に行基が掘った観音像を彫って祀ったところから観音崎という名前がある。ここに置いてある観音像は新しいものだよ。
それにしても行基ってそこら中の話に出て来るね。

奈良時代に今の神奈川県まで来て、伝説のとおりに県内を本当にあちこち回ったんだろうか?
ひとつひとつの案件を工事して行くだけでとてつもない年月がかかったと思うのだが。

これが観音崎の名前の由来ね。

灯台に近づいて来た。

白い灯台だね。
現在の灯台は3代目だ。欧米列強との条約に基づき建造された、わが国最初の洋式灯台である。

こちら(↓)がそれね。

また海沿いの道があるよ。

いったいここ(↓)は何が建っていたのか?

レンガやコンクリートを使ったらしい形跡がある。

直線にならんだ穴。これはいったい何のためのもの?

何か建物があったんだろうねえ。

さて再び上へ。

観音崎は灯台だけじゃなくって、砲台跡もあるよ。
かつては旧陸軍が所轄していた。
あちこちにそれを感じさせるものがある。
これなんて正にそう。

「観音﨑(埼ではない)燈薹(灯台ではない。正確に言うと薹も違うのだがIMEパッドでも画像の字は出て来ない)所轄地」と書いてある。

ワクワクさせる道が続く。

岩を掘り進んで作った道が続く。
明治時代によく作ったね。

この鎖もめちゃくちゃ太い。

コンクリートの中の鉄筋が腐食し膨張して、劣化したコンクリートを内側から砕いて落とす。

ここは地層が面白いね。ブラタモリの散歩みたいだ。

やっと灯台に到着した。

英米仏蘭と締結された条約に基づき三崎と観音崎に灯台が作られたが、この観音崎がその一つで、横須賀製鉄所でつくられたレンガで最初は建造された。

先ほどご説明したとおり、今の灯台は三代目だ。

霧信号吹鳴器とある。

濃霧の時はいくら灯台が明るくてもわからないので、音を鳴らしたらしい。

皇后陛下が来られたそうだ。

でもいつの皇后陛下?
大正十二年だそうだから、貞明皇后のようだね。

灯台の中へ入ろう。
この注意書きがまた古い。この字体が相当古い。漢字は大きく、平仮名小さく、カタカナが中くらい。プロによる手書きなんだろうね。側、械、手の字のバランスが独特だ。注意の意の心の字の二画目がやたら太い。それは他の字でもみられる。最後のくださいの「さい」はあとから素人がマジックインキで書いたのか? 思わず撮影してしまった。

階段を上りますよ。

目が回りそうなぐるぐる巻きの階段。

灯台の明りのところまで来た。」

よく見ると結構繊細なつくりですねえ。

地震の時は灯台の上は揺れるだろうからね、免震装置まであるよ。

灯台から下を見る。

あ、妻とドガティ君がいるね。
妻が「ほら、おとーさんだよ」と言っているが、ドガティ君は私に気づいていない(笑)。

ここは気持ちがいいわ。

あれ(↓)は何?

砲台にしては小さ過ぎるね。

遠くを見るのはいいが、真下を見るのはちょっと怖い。

ほら。

私がいるところは、これだけ(↓)しか幅がないからね。

手すりが壊れたらどうしようなんて思ってしまう。
煙突を見ると、黒白赤。日本郵船の液化天然ガス輸送船かな。

怖いからもう下りましょう(笑)。

無事下りて来ました。
ここが出口。

【つづく】