「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

八ヶ岳西麓原村(3) 高島城(高島公園)へ

2024-11-29 19:48:50 | 八ヶ岳西麓の楽しい暮らし
ビル・エヴァンスの音楽をどうぞ♪


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Bill Evans Sunday at the Village Vanguard Not Now Music 1

「ボクは今日これからどこに行くのかな?」


お城ですよ。

行ってみればわかる。

出発は朝の10時半。山荘周囲の外気温は3度。


別荘地の中を抜ける。


エコーラインを北上する。


ここは視界が開けて気持ちの良い交差点。

蓼科山や霧ヶ峰まで見えちゃう。

諏訪地域の人達がお世話になるLCV本社。

有線放送、FM放送、インターネットのプロバイダーでもあるね。


LCVがケーブルでインターネット供給網をチェルトの森(茅野市にある別荘地)にまで広げた時、当時そこに住んでいた私の父がチェルトの森内で最初の契約者となったらしい。もう20年近く前の話だ。

諏訪市内を行く。

左手前が人形の河西、向こうが河西画廊。諏訪は河西さんだらけ。


あ、見えて来た。高島城の交差点だ。


私はこの高島城交差点から見る高島城の写真を以前撮影した記憶がある。

絶対撮影したはずだ・・・と思ったら、やっぱりあった。

ちょうど10年前に撮影していた。これがそうだ。



何歳になっても同じことをするもんだねえ。

私にとって撮影したくなる景色なんだろうね。

交差点名の高島城という表示が変更されているね。新しい方はローマ字併記だが、古いのにはそれがない。

石垣とお堀を撮影。中央住研の巨大な看板が・・・。


石垣やお堀りを撮影する多くの人の画像にこの看板が写り込むんだろうねえ。それが狙いなんだろうが、こういう場所では控え目にした方が評価されると思うよ。

岩波薬局。先ほどの河西さんと同じく岩波姓も諏訪に多い。あのアカデミックなことで有名な岩波書店の創業者も諏訪の出身だ。


処方箋の受付は以前はやっていたが、今はやっていないのかな?

角の部分だけに綺麗に刻まれた石を使っているね。


高島城が造られた時は、お城のすぐ近くまで諏訪湖が迫っていて、当時高島城は「浮城」と呼ばれたらしい。当時の絵はみなそうなっている。ところが諏訪湖は干拓されたことにより、高島城と湖岸の位置関係はどんどん離れたものとなってしまった。

昔の諏訪湖はもっと面積が大きかったのだ。現在の諏訪市や茅野市の平らなところは多くが元は湖底だった。諏訪大社の上社、下社ともに諏訪湖の湖岸にもっと近かったと考えられている。


水の近くには柳が似合うね。

ドガティ君はおかーさんの撮影にあちこちで付き合わされる。


柳とお城をバックに。

次は冠木橋の上で。



冠木門の前でも撮影が入る。



スマホを構えるおかーさんの相手をするのが大変なドガティ君。

やっとこれで冠木門を通過できる。我が家のアイドルは多忙。


石垣のお話。


石垣の下には巨木が埋もれているらしい。

東京駅の下のマツみたいなもんですね。

地下深い岩盤まで掘り進める技術がない時代は、どこもそうしたみたい。

狭間(さま)が見えるね。お城の内側から銃や弓で外敵を狙うためのもの。


あとでまた出て来ますよ。

高島公園内のあちこちにこのような石がある。


砂や泥が堆積してできた石が、海や川といった水の動きがあるところで洗われ、すり減り易い部分とそうでない部分が層をなしているためにこういう形ができるのだと思うが、この石はどこから高島公園に持って来られたのでしょう?

この石も同類。


我が家のアイドルはまたもや撮影会。


お座りしないといけないらしい(笑)。

この石は大変な役割を担っていたようだ。


穴がいくつも開いている。

その穴に樋が通され、お湯の中継基地みたいな役割を果たしていたらしい。


具体的にどう使ったのか、さっぱりわからんねえ(笑)。


巨大なケヤキはすでに落葉。


イチョウは真っ黄色になって、落葉中だ。


鮮やかだった。

一番キレイな時だね。


高島藩あるいは高島城を守るために建立されたのがこの諏訪護国神社と思ったら、造られたのは明治時代だそうで、新しい神社らしい。


なかなかかっこいいじゃない。


この神社の周りにイチョウがいっぱいあるのでした。


ケヤキは茶色くなってしまって、ほとんど落葉していたが、イチョウはまだまだ楽しめそうなレベル。


ケヤキとイチョウの落ち葉に混じって銀杏が落ちていた。



上を向くと、銀杏がたくさんあった。

焼いて食べると、おつまみにいいよ。



池があって鴨が多い。

ここの鴨は人からパンをもらうからか、人を怖がらず、むしろ人に寄って来る。


「何かくれ~」と言っているらしい。


ごめんね。

私はなにも持ってないのよ。

作品名は「いらか」


いらかと言えば文部省唱歌のこいのぼり。音楽の時間に歌わされたよね。

いぃ~らぁ~かぁ~のなぁ~みぃ~とぉ~♪
くぅ~もぉ~のぉ~なぁ~みぃ~♪

ところが妻は小学校の音楽でこれを歌わされたことはないと言う。

昭和の子供はみんな歌ったんじゃないのか?

ほら、ここにもあの石が。


この石も、川の流れの中に長い間あったんでしょうね。



どちらから高島公園へ?

会話が出来たら楽しいだろうね。石に尋ねてみたいもんだ。

紅葉真っ盛り。


紅葉前線が日本を南下中であり、諏訪地域においては斜面を下がっているところ。

高島城訪問時のカエデは真っ赤で、イチョウが真っ黄色だったわけだが、今行くとまた違うんだろうね。


また狭間が出て来た。


何でも覗くのが好きなドガティ君。


そんなところから覗いていると、敵から撃たれますよ。

よくこんな低い位置に狭間が設けられていたもんだね。

高島藩では小型犬も戦うのか?

ドガ様、何が見えますか?


こちらは亀石。


濡れるとますます生きた亀みたいに見えるらしい。


濡らしてみた。

亀に見えなくもない・・・かな?(笑)


しかしドガティ君は興味ないらしい。

こちらは梶の葉。


高島藩主の諏訪家の家紋は梶の葉。



その家紋は、諏訪大社上社の神紋にそっくりだ。


ご覧の提灯は諏訪大社上社前宮のもので、根が4本ある。

同じ梶でも諏訪大社下社の梶の根の数は5本だ。

そして高島藩諏訪家の家紋は画像にある上社の神紋にそっくりで、根の数も4本。

下の画像で、石垣の周囲の土地は、かつて多くが諏訪湖だった。


干拓で田畑に変わっていったらしいよ。

高島城だけでなく、諏訪大社の上社も下社ももっと湖岸に近いところにあったのだ。

諏訪湖の面積は最大時で現在の3倍以上。

米国のセントルイスと諏訪市は姉妹都市になっているらしい。


こんなところにも鉄平石が使われているね。

斜め上から見ると、薄っぺらい。


日本の他の地域でも鉄平石が採れるらしいが、最も有名なのが諏訪地域で採れるものだ。

イベントの時に使われるこのステージも、鉄平石が使われている。


ほら、こちらがそれ。


薄く大きく割れるから、敷石としてもよく使われる。

では市役所方面に移動しましょう。


ここで妻のフラワーアレンジメント作品の話に切り替わる。



あまりに突然だが。


キャリア20年以上の妻の渾身の作品でリース。

玄関上に取り付けて、玄関に下りて靴を履いて、玄関ドアを開けて外に出て、中に取り付けられたリースを撮影するなど、バタバタする。


こんな風に取り付けてあるのだ。



人間がウロウロするのでドガティ君が不思議がっている。


これで完成だ。


涼し気だね。

北欧風?



アイスランドに行ってみたい。

世界一男女が平等な国らしいよ。

【つづく】
コメント (20)
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