kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

心を鍛える

2015-11-10 | 陸上競技
土曜日、またまたセミナーパークでの練習としました。色々と思うこともありしっかりと練習をしておきたいと考えていました。この半年間かけて「練習ができるための練習」をやってきました。特別追い込んだりなどはしていません。それでもキツイと感じる部分はあったと思いますが。県体の時にも書きましたが明らかに練習量の不足を感じていました。どこかで「過去の自分との決別」をしなければいけない。私のやり方、考え方は批判の対象になるかもしれません。前時代的なやり方だと。が、温室育ちでこれからの人生を乗り越えていけるとは思いません。時としてこれまでの自分の殻を破る必要があるのです。

そのことは前日に話をしていました。そのためにはこの日は技術的な要素はほとんど入れずに様々な事をひたすらやるという感じにしました。もちろん、何でこんな事をやらないといけないのか?と思う選手もいるかもしれません。そんな事を言い出したら全ての練習が「意味があるのかどうか」の話になると思います。絶対的に正しい練習などはないと思います。

アップから坂を使ったものとしました。前日にやったものを同じように坂を使って実施。二人一組で。たくさんの事をやっています。慣れない動きも当然入ってきますからキツイと思います。全身持久力の部分も考えてあえて休ませない。上述のようにひたすらやると決めていますから、質が云々という話にはなりません。

ある程度やってから変形ダッシュ。前任校ではやった記憶はありません(笑)。学校によってはひたすらやるという所もあると聞いたことがあります。練習のパターンがそれしかないのか、めちゃくちゃ効果があると信じられているのか。そこは分かりませんが私的にはたまにやる事で多少なりと神経系に刺激を入れられるのではないかという感覚です。社会人選手が一緒に練習をしてくれていたのでその方に任せました。距離はそれほど長くありませんが20本近くやったと思います。これも休みなし。ここは楽しそうにやっていました。

少し休憩を挟んでから下り坂走。5本+3本。距離的には60mくらいでしょうか。なだらかな下りから最後に少し急坂になります。そして平地を走る。急になった所で怖がってしまいます。そこでブレーキをかける。先日の練習でやった事を意識しながらやらせたいと思っていました。難しいですがこれも繰り返しやっていく中で身体で覚えていくしかないのかなと。

そこからはひたすら上り坂。長い坂を途中で区切って走ることにしました。夏に合宿で走った坂ですが、前回は階段を駆け上がっての坂道でした。今回は坂道のみ。これまでどちらかというと綺麗な練習をしてきました。技術に偏った部分があったと思います。前任校の最初の頃も「科学的に考える」ことがスマートな指導方法だと考えていました。データを用いて証明されているような文献から練習を考えるような流れ。分かりにくいと思いますが(笑)。乳酸値とか最大酸素摂取量とかあーいう数値を信じてやっていました。いつの間にか全く違う練習になっています。しかし、学校が変わったことで感覚がズレてしまう。これまでの流れというモノがないのでこちらがいつの間にか偏った練習をさせてしまっていたかなと思います。

量を追う練習に耐えられない可能性もあったのでちょうど良かったかもしれないなとは思いますが。しかしながら「普通の選手」が強くなるためにはやはり「泥臭い練習」が必要だと思います。根拠はありません。感覚的なものです。ある程度量をこなさないと強くならない。技術的な練習ばかりして強くなるとは思いません。怪我をしたら意味はないですが、これまでもギリギリの練習をしてきました。そのためには心の部分を鍛えていかなければいけません。

時間が許す限り走り続けました。理由はありません。「もう終わるだろう」という推測で練習をしてもらいたくなかったからです。一番嫌いなのは最後の1本だけ全力で走る練習。途中力を抜いて無難に練習をこなしておき、最後だけ全力で走って気分良く終わる。この手の練習をしていたらそれまでの時間が勿体無いと思います。キツイのは当然わかります。しかし、それでも「強くなるため」には避けては通れない練習だと思っています。取り組む姿勢を育てる練習だからです。

一緒に練習をしてくれた社会人選手、私と同じ年齢です。それでも常に先頭集団で走り続けます。話を聞くと一人でこの坂を20本も30本も走ることがあると言っていました。この歳になっても「根性練習」のような事をやっているのです。技術的な部分だけではなく「自信」につながる。これだけの練習をやったんだという「自信」。それは見ているだけ、話を聞いただけではぜったいに分からない。強くなるために技術や筋力を上げるのではなく見えない「何か」のためにやるのです。科学的な練習から考えるとあり得ないでしょうね。

競技をやるのはロボットではない。感情があって自分の意志で行動を決めていく人間がやっているのです。時には効率が悪いと思うようなことであってもやらないといけない時があるのです。嫌なこと、キツイことから逃げないという「心」を作る。これは他の誰でもない選手がやるしかないからです。簡単なことではありません。が、今の高校生が自ら進んでこのような練習をする事はありません。実際にこういう姿を保護者や周りの人に見てもらいたいと思います。家庭での様子とどれだけ違うか。苦しみながらも足を動かす。腕を振る。この中でこの子達は「何か」をつかむのです。

かなりくたびれていましたが、最後は下から上まで連続で走るメニューとしました。疲れ果てている。脚が動かない。そんな事は分かっています。誰かのためにやるんじゃない。自分のためにやるのです。この時誰一人として「走れないので止めておく」とは言いませんでした。これも大きな成長だと思います。嫌に決まっています。それでもやる。脚が痛い選手もいたはずです。無理をさせるなと言われるかもしれません。それでも「温室育ち」にはしたくありません。多少の痛みならこの日の練習をやり切る方が長い目で見た時に意味がある。そう信じて実施しました。

途中、雰囲気が微妙になるときもありました。それでもやる。まだまだ全員が支え合いながらやるという水準には達していません。それでも少しずつ声かけができるようになってきたかなと思います。走り終わって倒れ込んでいました。当然の話です。人生の中で「走る」ということにここまでのエネルギーを注げる事があるでしょうか?一つのことにこんなに一生懸命になれる事があるでしょうか。私の指導方法は配慮が足りない部分や感情的にやってしまう部分があるかもしれない。が、全てをひっくるめて指導だと思っています。本当にこういう姿を見てもらいたい。どれだけ必死にやっているか。

「しごき」ではありません。そこに対してこちらも「想い」があります。だから練習中に何度と話しかける。越えないといけないからです。それは私が思っているだけかもしれない。しかし、ほんとうにやろうと思えばそれくらいの事はやっていかなければいけないのです。愛情を持って指導をしているつもりです。伝わらないかもしれませんが。

かなりやりました。今のチームとしては一番やったと思います。これからどうしていくかは判断していきたいと思っています。走りました。
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