土曜日。この日はしっかりと走ろうと計画していました。小雨が降るかもしれないという状況でしたが風はそこまで強くなく問題なくできるだろうなと。
練私は通常通り7時前後に職場へ。練習計画を作ってからグランドへ。練習開始20分くらい前でしたが電話が掛かって来たので話しながら移動。グランドでは既に上半身下半身の準備が。今は曜日でやる補強を決めているのでスムーズです。このタイミングでマネージャーは120mのマークを置く作業を。同時にハードルをセッティングするための距離を測っている者も。
が、メニューを確認しても他の準備が進みません。40-50-60を走るのですがそのマークを置かない。集まっているだけ。電話中だったのでジェスチャーで指示を出しました。私が言わなくても本当はその辺りまで考えて準備をしなければいけません。私が早めにグランドに着いたから指示が出せるというのでは意味がないと思います。
特定の者だけが準備をするのは組織としては良くないと思っています。練習は全員で行う。そうであれば準備もみんなでやるべきです。電車の関係で20分前にしかつけない者もいます。それは仕方ない。帰りも電車の関係があるので早く帰ります。その代わりグランドにいる時には誰よりも動きます。そういうのでバランスが取れるのではないか。「電車の者は片付けも準備もあまりしない」と思う者もいるのかもしれません。不平等だと。実際問題、そこができていなくてもそれ以上の準備片付けをしている。
全体に話をしました。何故特定の者だけが準備をするのか。上級生になるとこういう部分はやらなくても良いのか。違うと思います。常時のように「練習は自分のためにやる」のです。他の人が準備したものに乗っかって練習をするというのではない。元々練習計画は私が立てています。私が準備をしている。それでも主体は選手でなければいけない。本当に良いチームになれば準備もきちんとやります。大阪のotk高校に行った時には選手が全員で準備をしていました。学年関係なく。卒業間近の3年生も荷物を持っていました。本当はそういう部分に「部活動の本来的な意味」があるのではないかと思います。
試合がある。いきなり試合に出ることはできません。試合で良い結果を出そうと思えばそのための準備が必要です。その準備が「普段の練習」だと思います。何もせずに試合に出ることには意味がない。「普段の練習」のための準備は何か。その日の練習がスムーズに進むように先を見越してマークを置いたり道具を出しておくことではないか。
もっというと練習に来る前に自宅で水筒にお茶を入れる。着替えを準備する。これを他人にやってもらっているようでは成長にはつながりません。自分が使う道具であれば自分で準備するのが当然です。保護者にそこまでやってもらって練習をしても「準備された環境」の中でしか活動ができません。
練習の質を上げようと思えば自ら環境を整えるという姿勢は不可欠だと思います。私がその環境を作るのか。保護者が環境を作るのか。自分以外の選手がそれを作るのか。考える必要はあると思います。
練習の初めにこういう話をすると雰囲気が下がります。それでもこの部分は言わなければいけないと考えています。勝手に活動をしているわけではありません。ある程度のルールの中で活動をしている。
だからこそ「こういう話をした後が大切。気持ちを切り替えて声を出して前向きにやる必要がある。」と話しました。試合で何かミスをしても次にどうするかが重要です。このことは何度も話をして来ました。
が、非常に残念ながらその話をしているときも表情は曇っていました。その後の練習も特定の者が一生懸命に盛り上げようとしていますが何人かは微妙。こうなるともう練習をする必要性は低くなります。全体の練習を止めるというのも頭にありましたが、きちんとやろうとしている者もいるのでそれはしませんでした。私は練習に関しては一切口を出さず。メニュー通りに選手がやっているだけでした。
こういう部分で「無責任だ」という人もいると思います。そうであればグランドで責任を持って自分達が見れば良い。練習計画を立てるのもグランドで指導するのも「当たり前」ではない。選手がきちんと強くなりたいという部分があればこちらもそれに応じます。が、「やるべきことをやらない」状態であればこちらもそこまでエネルギーを使う必要はない。私が指導するのは「義務」ではないからです。
今の部活動の在り方。顧問は「責任者」だから指導するのが当たり前という感じがあるのかもしれません。しかし、時間外に誰かから何かを強制される筋合いはありません。選手も同様です。放課後の時間にやりたくないことをやらされる必要はない。誰も幸せにならないから。本当に「速くなりたい」と思うのであれば練習をすれば良い。やりたくないと思うのであれば別の選択をすれば良いだけ。
練習はやりました。が、私は一切指導はしませんでした。前向きにやろうとしている選手には申し訳ない部分かもしれませんが。批判する人は何をやっても批判するでしょうし。こんな世の中ですから。自分自身の正義を振りかざして、グランドで現状を見続けるわけでもなく批判することは「無責任」だと思います。私はグランドで見ています。だからこそ「ダメなものはダメ」だと話をする。
活動。今できないことを次にできるようにしていく。ここが大切だと考えています。が、何度も何度も同じことを繰り返すというのはよくない。なかなかわからない部分かもしれないですが。
注意されて不貞腐れていて何が変わるのか。素直に次に移れるようにならなければいけないと思います。誰のためにまでならない。これにより練習の質が間違いなく落ちているのは確か。せっかくよくなってきていたのにまた元に戻る可能性があります。一進一退です。それをどう感じるか。
練習がきちんと出来ている者もいればそうでない者もいる。同じ環境であってもそれを素直に活かそうとするか、斜に構えるか。これによって大きな「差」が生まれます。
良い練習はできませんでした。本当に残念です。これがどう切り替えられるか。そこが重要かなとは思います。できるかどうかですが。
記録として書いておきます。FacebookやInstagramでは「幸せ」を書くことが大半なのだと思います。「私はこんなに上手くいっています」を出す。このblog自体はそんなつもりはありません。日常的に起きていることを書いているだけです。良いこともあれば悪いこともある。それが日常だと思います。批判をするために書いているわけではない。それだけは確かです。