kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

ただただ思う

2023-07-31 | 陸上競技
思うことを。

別に私は思うことをひたすら書いているだけで。それはこれまでもこれからもずっと変わらないと思います。その考え方がおかしいという人もいるでしょう。それならそれでいいと思います。わざわざ私が嫌いならアクセスする必要はない。多くの人に共感してもらうつもりもない。しかし、現実は目の前にあってそれがどうなのか。そこに実際に立っている中で感じることはどうなのか。私の人生の中で陸上競技は多くの人との出会いも含めて非常に意味のあることだったと思います。しかし、それが全てではない。

これだけ過酷な状況の中で県内ではグランプリが開催されました。世界選手権前の最後のチャンスという感じだと思います。ここで得点を取って少しでも上の順位になる。標準記録を突破して代表になる。シビアな大会だと思います。しかし、実際運営するのは大変だと思います。県内の状況を考えると高齢化は進んでいて「これまでやっていた」というプライドが大きくなる。そうなると本当に効率的になるのか。

私はいつからか出発係という仕事をしています。拘束時間は長い。普段はそこまでではないのかもしれません。しかし、炎天下だろうがずっと働き続けないといけない。今回の大会、高体連の指導者はほとんど参加していませんでした。グランプリなので高校の大会ではない。別に強制されるものではないので手伝う手伝わないは任意です。私的には高体連の試合を手伝ってもらっているのでまた陸協の方々が困っているならやらないといけないと思っています。

最初は24人くらい審判がいると書いてあったのでそれなら手伝わなくても良いかなと思っていました。しかし、実際は8人です。この状態で「やらない」とは言えませんでした。私が休めば7人です。種目はずっと続くので他の人の負担が過剰になります。2グループしか作れない。そうなるとどちらかが仕事をしている間に他のグループは次の種目のスタート地点に行って対応しないといけない。実際のところ本当に休めないのです。こうなると悪循環。こんな過酷な審判をさせられるなら次は行かないと思う人が出てきます。本当にずっとやっておかないといけないので。他の部署が終わってもずっとやっています。高体連の試合の時もずっと最後までやっている。他の先生方には申し訳ないなといつも思っています。それでも「やらないと回らない」からやっている。

負担は大きい。笑い話でない。それでも「好きでやっているんだから」みたいな話ななっていつも先に進まない。どこの部署も大変だと思います。とはいえ、人数は増えない。これから先もっと人が減る可能性が出てくる。「陸上競技が好きだから仕方ないよね」っえいう話なのか。憤りを感じている部分が強くあります。

今回、バックストレートがスタートになる種目が幾つもありました。スタートの時に「スタート時は静かにしてください」という札を持っている補助員がいる。人が一人もいないのにその札を持って観客席に示している。審判に言われて。いや、なんでそんな行為をするのか。誰もいないのに。かなり憤りを感じていました。他の審判が「誰もいないからやる必要ないのでは?」と話すと「出さなくていいと言われていないから出さないといけない」という返答。あーきっと日本ってこういう国なんだろうなと心底嫌になりました。「意味があるかどうか」で議論するのではない。形式的な話が最優先になる。それならもうどうでも良いなっていう気持ちになりました。

今回は室内練習常で「道具を使って良い」となったようです。室内で練習をしていたらわざわざ私のところに「この大会は道具を使って良い」と言いに来られました。いや、それって私に対する当て付けですか?という話。まー何も言わなければよかったのかもしれません。間違っていることを対して指摘したら「嫌味」のように言われる。残念ながら今回は室内練習場のレーンの上にディスク型のマークを置いて練習している選手がいました。ここに関しては「占有」の形になるので「置いたらダメだ」と指摘する必要があると思います。他の人がそのレーンを全く使えなくなるのですから。

もっといえば、動き作りのような動きはどこのレーンでやるか。走るのはどこのレーンでやるか。ここは指定してやらないと危ない。そこに対してはまったく関係ない。これって私の感覚がおかしいんですかね?常識的に考えて何か発言すると「おかしい」と言われる。何が大切なのかという話だと思っています。

なんかそういう意味で誰かに協力するというのが嫌になってきている自分がいます。「高校生のために」「中学生のために」という「やりがい搾取」はどこに行っても変わらない。本当に私がやる必要がありますか?選手達が被害を被るのは違うとは思っています。様々な場面で。それでも本当にやるのは私ですか??という気持ちが強くあります。

この辺りに賛同してくれる若い人たちはいます。だからといって私が何かをするというほど余力がありませんし、声を発したところでどうにもならない感じがあります。無駄を省いて誰もがやりやすくする必要がある。そこってすごく大切なことではないか。そう思うこと自体が間違っているのかもしれないですが。

なんか本当に疲れました。炎天下で休む時間もなくずっと働き続けることの意味。そこまでしてやらないといけないことなのか憤りを感じます。

かなりオブラートに包みながら感情を押し殺しながら書いています。色々と思うことはあります。それでもストレートに書くのは避けています。なんか本当にしんどいなって思います。

何を感じるか。感じない人もいるでしょうし。まーもう良いんです。本当に。
コメント
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