kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

どこを評価するのか

2023-08-25 | 陸上競技
思うことを。これはあくまで「私見」でしかありません。偏った考え方なのかもしれない。それはそれでいいかなと思っています。

支部新人。色々な準備が必要になります。自分達で準備をして大会を行う。毎回ですがテント設営などを手伝ってくれる学校もあります。「競技会」は誰かがやってくれるというものではありません。高校生の大会であれば「自分達でやる」という感覚は必要不可欠だと思っています。

この中ですごく気になる部分。「補助員としてよく頑張った」「大会運営中の手伝いが足りなかった」という指導があります。確かにそうだと思います。「準備を頑張った」というのがあるから大会運営ができるというのは確かです。しかし、一番大切なのは何か。ここが見落とされると「競技会」ではなくなるかなと。

もちろん、「手伝うこと」や「補助員」をすることは重要です。大会運営側からすれば「手伝い」や「補助員」がいなければできません。本当にありがたいことです。しかし、最も大事なのは何か。「選手」として「競技会に出る」という一番ベースになる部分ではないか。人数が多くて試合に出れないというチームもあると思います。しかし、今回のうちの状況であれば「5人のみ」ですから「出場枠」が余っています。様々な状況はあると思いますが、「競技者」としてグランドに立つのか「補助員」としてグランドに立つのかでは意味が違ってきます。「補助員としてよく頑張った」というのは「最終的な部分」であって最初からこの部分を認めていくのは違うのかなと思っています。

しつこいようですがあくまで「私見」です。

何故、「陸上競技」をやっているのか。実際問題、県の陸協では「審判業命」という方もいると思います。競技者の立場に立ってとかではなく自分の生きがいとして「審判」をしている。そういう人を全否定するわけではありませんが、あくまで主体は「競技者」であってその「競技者」がどのようにパフォーマンスを発揮するかが重要。配慮はその一点だと思っています。最重要事項。

が、いつの間にか「補助員」をすることで競技会に参加しているという形になっている者がいないか。暑い中で「補助員」をやっていたら「大変だね」とか「よく頑張っているね」と言われることもあると思います。が、それは「競技者」としての評価ではない。高校生が「学生審判」として競技会に参加するというのはありだと思っています。自分達が普段支えられているので他の場面で「支える」という活動をする。ここから学ぶことはあると思います。

しかし、「高校の競技会」で「補助員」として活躍するのは本筋ではない。やはりグランドに立って競技をしてもらいたい。グランドに立てないことを「悔しい」と思うのか、「仕方ない」と思うのか。部員数が多い球技などでは明らかに「熱量」が異なってきます。レギュラーとそうでない選手の「温度差」が大きくなってしまって問題が生じる。良くある話です。こういう「対校戦」の時に学校の名前を背負って「代表」として出場するかどうかというのは大きいのではないか。もう時代錯誤なのかもしれませんが。

学校によってはそういうスタンスでもよいと思っています。が、曲がりなりにも「体育コース」があってそれなりに「競技をやりたい」と思って活動しているのであれば「試合に出れない」ことに納得してしまったら「勝負する」とは全くの別次元の話になると思っています。別に「速い」とか「遅い」とかではない。「競技」としてどのように考えるかだけ。スタンスとして「楽しくやろう」というのでれば、県総体に出場することができなくても「納得」はできると思います。しかし、「強くなりたい」と思うのであればやはり「競技者」としての感覚を持ち続けてもらいたいなと。

「評価」をどの部分で受けるのか。「挨拶が良いね」と褒められる。「準備ができるね」と認められる。もちろん大切な部分ですし、「人間的な成長」としては重要だと思います。しかし、それは「競技者」として競技力の向上に努めながらでもできるはずです。「人間的成長」が先で「競技力向上」がついてくるのかどうかですが。厳密には複雑に絡み合っているので「卵が先か鶏が先か」と同じ話になるのかもしれません。しかし、「人間的成長」ができたとしても「競技力向上」がほぼなければ何をしているのか分からなくなります。「競技力向上」のための一要因として「人間的な成長」がある。強くなるためには「気遣い」や「計画性」などは重要です。

私自身も「補助員」がいてくれるから競技会が成り立つというのは分かっています。しかし、そこを最優先するのは違う。「競技」があって「支える」部分の必要性が分かってくる。「支える」ことがメインになるのであれば別に「競技者」でなくてもよい。どこが居心地がいいのか。それは人それぞれだと思います。しかし、「競技者」としてやるのであれば「評価」を受けるべきは「競技結果」であって、それに付随する部分に関しては「付属品」だと思います。

「強くなる」ことを一生懸命に考えたら「付属品」の大切さにも気づけると思います。「付属品」がメインになって「強くなる」ことがおまけのようになるとこれはこれで違う方向に行くのかなと思っています。

上手くまとまりませんが。感じたことを記録しておきます。「競技者」であってほしい。強く願います。

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支部新人2023

2023-08-25 | 陸上競技
あっという間に時間だけが過ぎていきます。これって大丈夫なのか。やることは山積み。うーん。

22日の火曜日に支部新人が実施されました。特別調整するという気はありません。このことは以前からずっと書いています。しかし、考え方は様々。「大切な大会だから調整するのが当然」と思う人もいるでしょう。支部新人を重視していないということをこのblogに書いたらかなり前に「選手にとっては大切な大会の一つだ」とコメントを頂いたこともあります。全ての試合に調整して練習量を落としていくというのは個人的にはあまり良くないと思っています。とはいえ、「間違っているのでは」という指摘を受けたことがあるのも事実。私自身の考え方が「正義」だとは思っていません。

今回、支部新人に出場しました。が、女子でまともに競技に出場できた選手は5人。これをどのように捉えるかだと思っています。女子選手の半分が競技会に出場できない。「練習が悪い」と言われるのかもしれません。それは甘んじて受け入れます。全てが選手の責任だとは最初から思っていません。「何か」を変えないといけないのだけは確かです。今回半分の選手が出場できない事に関して、赴任してきた最初の年のことを思い出していました。ずっと練習に参加している選手は1人くらいしかいない。「怪我をするのは仕方ない」「練習に参加できないのは当たり前」というような雰囲気がありました。どこかで変えないといけない部分。

5人しか競技会に出ない状況。それでどうやって戦うのか。出場している選手もIHから戻ってきて体調不良でほとんど練習ができないというのもありました。まともに練習ができたのはスプリント系は2人だけ。その2人も詰め込んで練習をしているので疲労はピークかもしれません。「練習不足」と「疲労」という状況の中で「練習」として支部新人に出る。ここに対して選手自身も面白くないと思うかもしれない。

別に支部新人の「総合優勝」に関してはどちらでもよいなと思っていました。前日の練習の前にも話をしました。20人以上出場するチームもあります。1人2種目、各種目3人数ずつ。この時点で「5人」でなんとかできる話ではないかなと思っていました。実際、「負けたほうが良い」とさえ思っていました。「怪我をする」「練習ができない」というのは様々な要因があります。指導する側の配慮不足もあると思います。が、そうならないようにずっと練習量は調整してきました。ほとんど練習ができていない中で「怪我をする」というのもあります。もちろん、不注意での怪我も。ある程度県で活躍している状況であっても「支部新人で負ける」という状況を突きつけれれば「危機感」を持つかなと。これも批判の対象になるのかもしれませんが。

タイムは度外視。かなりの暑さの中でのレースとなりました。途中、他校の選手の体調が悪くなって対応するというのもありました。それくらい過酷な環境でのレース。通常であればレースにはなりません。とはいえ、タイム的にかなり悪いので問題はありますが。エースは400mHのベストタイムよりもフラットレースのほうが悪いという恐ろしい状況。それでも短時間に何本も走らないといけない状況であったのだけは確かです。1種目に絞って出場でもよかったのですが、もとより「練習の一環」として出場することにしていたのでそこはあまり関係ないかなと。

前日の夜に選手が得点計算をしたら「最大で106点」とのことでした。出場する種目全てで1・2位を取ればということだと思います。流石にそれは厳しいとは思っていました。が、それくらいの得点が取れれば5人で総合優勝というのもあり得る話だなと。結果的には「96点」だったようです。ほぼ取りこぼしなく点を取っています。当たり前と言えば当たり前ですが。問題は地区のレベルかもしれません。たった5人しかレースに出ていない状況で勝ってしまうというのはよくない。地区のレベルが上がらない限りは「なんとかなる」と思ってしまうからです。これはどうなのか。実際に「レースに出れない」選手が大半を占めていたとしても「なんとかなる」と思ってしまいます。それは今後の「競技人生」にとってマイナスではないか。これが他県であれば「上の大会に進めない」ということに直結します。「少しくらい怪我をしても大丈夫」「練習で最大のことをやらなくても上に進める」という負の強化がされてしまう。ここは避けないといけない。とはいえ、IHでコテンパンにやられた状況からすれば「程遠い現実」ではあります。

個人的には「これなら誰がやっても同じ」という感覚が強くあります。こちらが「現状打破」を訴えかけても結局は「なんとかなる」のだから。ここは面白くない。だからどうするのか。ここが大きな話です。

もう少し書きたいことがあります。これはまた別に。面白くない記事ですね。時間に余裕もなく、気持ちも荒んでいます。いいことではありません。
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