kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

速く動く

2023-08-27 | 陸上競技

これも「思うこと」でしかないので。まー基本、スプリントとハードルのことしか競技のことは書けません。それはよくない傾向だというのは分かっています。が、自分自身のキャパとしてkd先生のように複数の種目について精通すのは無理だなと思っています。教えてもらう機会は作りますが、細かいことは指導できません。問題だとは思います。

 

前の記事の続きになるような内容ですが。IHに行って「相手にもされない」という状況で戻ってきました。「参加した」というのは事実ですが「戦った」とは言えません。ほど遠い話です。流れがない中でどうやって「新しい感覚」を作り出すか。これは本当に難しいと思います。「自分たちの常識」が「強豪校の常識」とは大きく異なるというのが分からないからです。「どこの学校でも陸上競技はできる」と思います。しかし、指導者も選手も「本気でやる」というのが「当たり前」になっていなければよほどの能力でなければ「それなり」になってしまいます。「朱に交われば赤くなる」という言葉があります。元々、そうではなかったとしても「環境」に馴染んでいくことでそれが「当たり前」になってしまう。最初の段階で「どこを目指すのか」「どのようにやるのか」を示さないと結局は「これまで通り」になります。

 

「雰囲気づくり」は絶対に必要だと思います。というか「競技者としての考え方」なのだと思いますが。それはそれでかなり力を入れてやっていく必要があります。が、それに加えて「競技としての不足」をどうにかしなけちればいけません。単純に「気持ち」が備われば強くなるのかといわれたらそうではないと思います。やはり「正しいこと」をやり続けなければいけない。自分自身も思うのですが「量」を追い求めてしまう傾向があります。それにより「フレッシュな状態で走る」ことが少なくなる。最大出力の中で走ることが少なくなるので「速筋」ではなく「遅筋」が使われてしまう。持久系の強化になるのではないか。それを避けるためには「効率的な練習」が必要になるのは確かです。

 

ここも非常に難しいのですが、「数本走ったら感覚が作れる」選手もいれば「本数を重ねる中で身に付く」選手もいます。ここは非常に難しい。もっと少ない本数で効率よく動きが習得できるという練習が必要になると思っています。そんな便利なものがあるのかどうかという話ですが。あとは「感覚」だけに頼るのではなく「強制的にその動きをさせる」というのも重要になってきます。一歩目の重心移動が作れない選手に対して「もっと大きく」と言っても伝わりません。自分の中では「やっている」のですから。そうなると「道具」を使いながらやるほうが良いかなと思っています。

 

中国大会の後に「前半マーク」をやった際、かなり適当においていました。これにより「やる必要がない」と感じました。「なぜその距離なのか」「なぜその本数なのか」は試行錯誤しながら決めてきました。実際に動きを見る中で調整しながら。しかし、それを「ある程度」で置くとやりたい動きではなくなる。ここは練習の「肝」ともいえる部分ですから譲れないと思います。

 

IHから戻ってきて。中国五県に行って。もう少し「動きの質」を上げたいと思いました。今のままでは「勝負できない」と感じたからです。そこで「前半マーク」を微調整することに。前任校まででやっていた距離に戻そうと。「重心移動」を生み出すためには「マーク」の距離が広いほうが良いと思います。その反面、「動きが大きくなる」という弊害があります。本当に進まない状況だったので「重心移動を生み出す」ことを最優先にやってきました。しかし、見ていると「最大ピッチ」が上がってきません。当然の話ですが。やはり「スピード」を出すためにどうするかを考えていく必要があります。微調整は必要になると思いますが、一旦「前までのマーク」に戻します。同時にトーイングなどを行って「強制的」に「重心移動」と「ピッチ」を生み出すようにします。この併用で「最大スピード」を上げていければいいなと。

 

マークの距離が微妙に「広い」と感じた部分。これは見ていて感じた部分です。ピッチアップドリルというのもやっています。これは「二次加速スティック」として行っていたものです。「タタタ」と勝手に名付けてやっていました。これも同時に「1足縮める」ことにしました。「重心移動」と「最大ピッチ」の折り合いをつけるためです。もちろん、ピッチだけ速くても走れません。しかし、今の状況を考えると「速く動く」というのが必要だと思います。単純に「速く動く」だけではなく「進む」ことが必要になります。そこをどうやっていくか。単純な話ですが。

 

実は珍しくIH直後の練習ではスピードレベルを落として何本か走る練習をしました。これも書いたような気がします。しかし、この練習を繰り返していて「速くなる」というのは難しいかなと思っています。試合で使うスピードをどのように習得するか。何度かこれまでの練習を見直しながら考えていきました。支部新人に関しては「動かなくても仕方ない」と考えていました。しかし、これから先はそうはいきません。暑いので貧血に対する対策もきちんと教えておかなければいけません。その中で「どうやって戦うか」を考える。「最大スピードをどうやって上げるか」という結論です。当たり前ですが。そのための作戦を練る。未だにそのレベルでやっているというのは申し訳ない話ですが。公立高校ですから「流れ」ができるまでに時間がかかります。「できた」と思ったころには転勤という話になる。常に1から作り直すという感じになります。そこは難しい部分かなと。

 

とはいえ、「何をやるか」を考えたときに「マークの調整」と「オーバースピード」かなと。単純すぎますが。今はそれをひたすら考えています。考えているといってもそればかりをする時間がないのでぼんやりという感じですが。ちょっとやりたいなと思うことが見えてきています。今の状況に合わせて「やりたいな」「やらないといけない」という部分です。どこに正解があるのかはいまだにわかりません。探りながら。

 

まとまりませんが。頭の中にあることを記しておきます。余裕があればまた書きます。あれば・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気持ちの示し方

2023-08-27 | 陸上競技

思うことを。

 

練習をする。この中で「見ていて気付くこと」が今更ながらある。IHで「本当に戦うためには」という視点で競技を見る。もちろん、これまでもずっと同じような感じで見てきたと思います。が、今目の前にいる選手たちがもうワンランク上のレベルで戦うためには何が必要なのか。ここは常に変わっていくのではないかなと思っています。「型にはめる」というのではなく「必要なこと」を判断しながらやっていくことは重要かなと思います。

 

今足りないもの。それは圧倒的に「本当に勝負をする」という「気持ち」の部分だと思っています。「根性論かよ」といわれるかもしれませんね。しかし、「その気になる」ことができない間はどのような練習をしても効果はないと思います。結局、「言われたことをやる」だけでしかない。「自主性」が巷では騒がれています。一文の切り取りで「自主性が全て」のような雰囲気が出ています。もちろん、「自主性」というのが必要不可欠なのは当然です。が、「言われたことをやる」とか「基本的なことをやる」というのが度外視されて「言葉」が独り歩きしていないか。結局はやる選手が「その気になる」かどうかは大きいと思います。

 

日誌を見ました。見てみると「動きが」とか「加速段階が」という言葉が並びます。これも以前書いたことがあるともいます。「加速段階」が上手くいったら「11秒台で走れるのか」という話。言い方は悪いかもしれませんが「きれいごと」でしかありません。心の底から絞り出される感情が日誌には書かれていません。こういう部分だと思います。前任校では私はかなり日誌を書かせていました。今は「ルーティン」的な部分があるので「見てみる?」といわれた時だけ見ています。ノートではないので過去の内容は別の冊子に閉じられているのかもしれません。が、総じていえることは「技術的なノート」になっているということ。それはそれで別に作ればいいと思っています。日誌はその日に起きた出来事や湧き出てきた感情を記録しておく。ここが「日誌」の意味だと思っています。

 

このことに関して選手に話をしました。これは分かってもらえるかどうかは大きな話だと思います。しかし、「気持ち」の部分が出てこない限りは「勝負する」という話にはなりません。故障明けで本調子にならない選手、基本的に表情が曇っています。間に合うかどうかというはなしですから仕方ない部分もあります。しかし、それにより練習中に「失敗」が多い。あり得ないミスを連発します。これでは悪循環になる。いい練習ができないうえに失敗をするのだからさらに質が下がる。それによりもっと気持ちが下がる。言い方は悪いですが「勝負をする」ということになった時に、「上手くいかない」とへこんでいる時間はないと思っています。「上手くいかない」ではなく「どうすればうまくいくか」を考えるべきです。それができないのであればどのような練習メニューが提供されたとしても「変化はない」と思います。それどころか「マイナス」にしかなりません。それでいいのかどうかです。

 

結局は「きれいごと」ではないのです。ほとんど練習しなくても「速い」選手はいます。そのような選手に「細かいこと」を求めなくてもある程度まで行くかもしれません。最後は本気になれなければ変わらないでしょうが、しかし、「普通」の選手が強くなるためには「何か」を変えないといけません。「感情を表に出す」と書くとまた微妙な感じになるかもしれませんが。「好き嫌い」の感情を出す、「やりたくない」という感情を表に出すというのではありません。「強くなりたい」という「前向きな感情」を出していく必要がある。「真面目」であってもそれでは勝負にはなりません。不必要な「感情の表現」はマイナスになると思います。しかし、「悔しい」とか「強くなりたい」という感情の表現は必要です。結局、「言われたこと」だけをやるという選手では強くなりません。そこが「自主性」なのかもしれませんが。私の考える「その気になる」というのは「自主性」とはちょっと違うかもしれません。しかし、「その気になる」ことができれば自分で「何が必要か」を考えて動けるようになる。「言われたことだけ」ではなく「本当にやるべきこと」が見えてきます。そういう意味では「自主性」でしょうか。まー感覚的に違うと思いますが。

 

根底になるもの。それは「心」の奥底から出てくる「強くなりたい」という感情だと思います。それがあるから人は「工夫」するようになる。tokushoでリレーでインターハイに行った時。その前の年のIHにキャプテンを連れていきました。「来年戦う場所」はここだというのを見せるためです。それまでは「目標は12秒台を出すこと」と言っていた選手が目の色が変わった感じがしました。「このままではIHには行けない」と他の選手に言い始める。「サポート」をするという本当の意味が分かる。結局は「その気」になるかどうかだけです。「その気」になった結果、中学時代に13秒2くらいだった100mが3年の時には12秒17。100m、200m、4継の3種目でIHに出場し、長崎国体の4継メンバーにも入りました。人は「その気」になれば大きく変わる。技術的なことだけ教えていてそれができるようにはならないと思います。「欲する」ようになるかどうかです。

 

こうやって書いてみても伝わりにくいかもしれません。それでも「変える」ために何をするかだと思っています。「心」の部分が変わらない限りは何も変わらないからです。「表面的な変化」はすぐに元に戻ります。IHで勝負するどころか「相手にもされない」状況で戻ってきて「2年生中心だから来年は」なんてことを言っているのであれば来年はIHに行くことさえできないと思います。そんなに簡単な話ではない。どうするのか。「悔しい」という気持ちはすぐに忘れてしまいます。元に戻る。それを防ぐのが必要。本当に強いチームというのはそんな初歩的な話をする必要がなく「次は必ず」という行動に出ます。それがない。

 

まとまりません。「心」がどう動くか。「その気」になるかどうか。大きな部分だと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする