kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

生きているということ

2016-03-14 | 陸上競技
3月11日。この日は日本にとって忘れられない日です。一瞬にして多くの命が失われ、住む土地を失いました。簡単に言葉で書くことはできません。いつの間にか世間のニュースは下世話な話にシフトしている。他人の色恋沙汰や芸能人の活動がメインになり本当に目を向けなければいけないところから遠ざかっている。

数日前のニュース。震災で両親を失い叔父に引き取られた小学生。様々なところから支援のお金が集まった。が、そのお金を叔父が全て使ってしまい本人には何も残らない。ただでさえ両親を失い精神的に辛い思いをしている。親族とはいえ他の人と一緒に生活をするストレスを感じながら生きてきたはずです。肩身の狭い思いをしながら生活。その中で支援のお金を搾取される。実際にこの手のケースは少なからずあると思います。震災により命を失う人もいれば生きて尚、苦しい思いをする人たちがいる。そこからいつの間にか目をそらして生きている自分がいる。

この日、クラスの生徒に少しだけ話をしました。震災に対する想いです。何度もblogに書いています。震災が起きた時私は練習をしていました。同じ日本で起きている悲惨な出来事を何も知らずに「いつも通りの時間」を過ごしていました。練習の途中で他の人から「大変なことになっている」という話を聞き衝撃を受けました。車が津波に流されている。建物が壊されている。実際に起きている現実として受け止めることができませんでした。どこか「現実離れしている出来事」だと感じていました。

が、その年の3月に卒業した教え子が東京の旅行に行っていました。その事を思い出し自分のこととして感じることができました。決して他人事ではないのです。ひょっとしたらこの子たちも同じように被害にあっていたかもしれない。そう思うとゾッとしました。更には前年に卒業して東京電力に就職した教え子達がいました。そのことに対しても不安になりました。すぐに連絡が取れましたが、電車が動かなくなり数時間かけて歩いて帰ることになったとのことでした。他人事ではなく自分の身の回りにも関連した出来事として存在していたのです。

その時、多くの命が東北で失われました。今目の前にいる高校生達と同じ子供達も命を失っています。目の前の高校生は当時小学生だったようです。あまり記憶に残っていないかもしれません。同年代の子供達は突然の死を迎え高校生になれていません。その中で自分たちは少しずつ大人になってきている。それは「当たり前」ではなく「特別な事」なんだと思っています。普段の生活の中では絶対にそのようなことを意識する事はありません。だからこそこの日にしっかりと考えてもらいたい。

「他人の分まで生きろ」というのは少し違うと思っています。まずは「自分のために生きる」のです。ここがきちんと出来なければ意味がないと思っています。ここ最近ずっと書いていますが「時間を有効に使う」ことが大切なのです。生きている時間をきちんと使えているか。中途半端ではなく一生懸命にやる。適当に過ごすのではなく勉強でも部活でも一生懸命にやってもらいたい。

隣の県で中学生が自殺をするという痛ましい事件がありました。実際は私の娘と同じ年です。親の立場として突然子供の命が失われてしまったら耐えられません。命が終わってしまったらそこで本当に終わってしまいます。何もできません。苦しいかもしれません。が、生きてきさえすれば何かできるのです。そこだけは持ち続けてもらいたい。そう思っています。生徒には「親より先に死なないで欲しい」という話をしました。私よりも先に死なないで欲しい、と。

「死」というテーマで話をするというのはなかなか難しいと思っています。高校に入ったら特にそのような話しはなくなります。道徳の時間はありませんから。だからこそ目が届く範囲できちんと話をしていきたい。何を持ってベストとなるのかは分かりません。こういう話をする事を批判的に捉えられる方もいるかもしれません。

私が死んだら。とりあえず悲しんで欲しいと思います。私よりも先に死んでしまったらそれはできません。とりあえず私よりも1日でも長く生きて私の死を悲しんで欲しい。歳をとったら私がこの世を去っても誰も知らないかもしれません。それでも生きて欲しい。大切な事だと思っています。

自分の事として捉える。そこがすごく大切なんだと思っています。特別な日に考える。本当は普段からきちんと考えられるようにならなければけないと思います。生きている事に感謝しながら私にできる事をしっかりとやっていきたいと思います。
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トレーニング&タイヤ

2016-03-14 | 陸上競技
金曜日、この日は久々に生徒が登校。少しクラスで話をしたのでこれはまた別に。思う事を書き残しておきたいというのはずっとあります。色々やっているとなかなかblog更新にたどり着きません。唯一の自分だけの時間がblogを書く時間。他の時間はほとんど他人のために使う。だからこそ少しだけでも自分の時間が持てると良いのかなと思っています。

とりあえず練習のことを。午前中テスト返却などがあったので昼食を食べてから練習開始。トレーニングから始めました。シャフト補強とプレート補強。狭いスペースでの練習となるので往復する形で実施しました。通常は40mあるハンドコートを使いながらやるのですが使えなかったので別のスペースで。20mの往復にすると途中ですいったん休憩が入ってしまいます。これはもったいない。ここを上手く持っていけるようにしたいですね。

シャフトが終わってから思いつきで腸腰筋の補強を。腹筋と同様、腸腰筋も大きな負荷をかけての練習ができません。大学時代に「腸腰筋を鍛えたい」と思って色々と相談をしていたのですが「階段上っていたら鍛えられる」というアドバイスしかありませんでした(笑)。20年前には腸腰筋を鍛えるという感覚はあまりなかったのだと思います。道具を使って強めの負荷をかけました。さらには内転筋も同時に鍛えられる方法を思いつき実施。何人かは前日の補強で筋肉痛になっているようでした。まだまだ鍛える余地はあるということだと思いますね。

そこからプレート補強。普段はダイナマックスと組み合わせるのですがこの日はプレートのみ。こればっかりをやるわけにはいきませんからね。終わってからサーキット。このサーキットには名前をつけていませんから説明が難しくなります。考えないといけません(笑)。3サイクル1セットとしました。スナッチやメディ投げなども含めてかなりの運動量になります。それなりに疲労してあるはずですからキツかったはずです。今はまだ強化期間だと思っています。やる時にはしっかりとやっておきたいですね。

そこからは分かれての練習。やり投げとポールは専門練習としました。それ以外の選手はスキップ走から始めてスプリントへ。きついと思いますが走りにつなげていくためにはここの部分はやっておかなければいけません。先日教えてもらった事を復習するのは絶対に必要です。私は細かく指導できない部分ですから時間の確保だけはしなければいけないと思っています。

スプリント系はスキップ、並走。更にはタイヤ引き。前にも書きましたがトレーニングを走りに結びつける動きは必要だと思います。そこの部分をこれまではあまり考えていませんでしたがやはり最低限のことはやっておきたいと思います。ここの精度はまだまだ低い。こちらとしても工夫の余地ありだと思っています。

取り組みの姿勢について話をしました。足りない部分をどうやって補うか。故障し他者よりれんしが遅れている者が他の者と同じでは絶対に追いつけません。用事があって休んだ者はどうやって不足分を取り戻すかです。最終的には本人の事です。こちらがあれこれ言う話ではないのかもしれません。何度も何度も同じ事を指摘する。この間は成長が完全に止まっているのです。自分の事として捉えることができない。どれだけやっても強くなる事は難しいと思います。なかなか伝わない部分がありますが。

とりあえず記録しておきます。
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気分転換

2016-03-12 | 陸上競技
木曜日、選手は家庭学習となっていました。そのため朝から練習。前日の雨のためグランドが少しぬかるんでいました。こればっかりは仕方ない。元々それほど走るつもりはありませんでした。土日に競技場で走ろうと思っていたので少し「落とし」で良いかなと。

アップとしてダイナマックスリレーを。ボールが地面に落ちただけで汚れます。気にしていても仕方ないので強引に実施。そばでサッカー部が練習をしていました。見ると泥まみれ。これを見ると手が汚れるなんて大したことではありません。温室育ちのようにしたくはありません。やると決めたらとにかくやる。そちらの方が良いと思っています。そのままラグビー走をしてダイナマックス。ダイナマックスをやる前にもう一度その場で動きの確認をしました。丁寧にですね。

ほぼ休まずにそこまで行って休憩を兼ねてダイナマックスを洗う。濡れ雑巾で綺麗にさせました。放置しておくと汚れたままになってしまうのでこちらとしてもその日のうちにやっておいたほうが良い。自主的にこういう行動ができるようになるとすごく良いなと思っています。

今度はハードル股関節。いつもやっている内容ですね。これをかなりやってからリズムスキップ。
かなり良くなっていました。ということでもう少し負荷をかけようと思い、1台行って戻る2台行って戻るという練習をしました。腸腰筋に負荷をかけようと思ってやりました。これも案外できるので最後に両足で。これが一番キツかったようですね。アピールなのか途中から動きが鈍る者も出てきました(笑)。ヘトヘトでしたね。

ある程度やったので今度は腹筋背筋。足バタや背筋をひたすらやりました。

途中で休憩がてら真面目な話を。「同じ事を繰り返さない」という話。以前指導された内容があるとする。それをきちんと自分の事として捉えているか?前と同じ事を言われていないか?ここは大きな話だと思っています。言われた事を次はきちんとやろうという気持ちがあるかどうか。それがなければ成長はありません。治そうという気があるかどうかですから。

上級生になってなった時に何度も同じことで注意を受けている姿を後輩が見たらどう思うでしょうか。更にはそんな姿を見ていたら自分も少しくらい良いやという気持ちが芽生える。示しがつかない。そんな状況は作りたくありません。あまりに繰り返すようであれば練習に参加させる必要はないと思います。「練習をする権利」があると言われるかもしれませんが、他の選手にも同様に「練習をする権利」がある。きちんとルールが守れない選手が「権利」だけを主張するのは違うと思っています。まずはやるべき事をきちんとやる。大切なことです。

話が終わってもう少し腹筋をしてからマークランジ。股関節補強もやっておかなければいけないので。走る練習は全くやりませんでした。それでも普段やれないことをしっかりとやれたと思います。内容的にはキツかったと思いますが「楽しくできた」と思っています。遊びながらやっているわけではありません。それでも楽しくできる。それで良いと思っています。本気でやる楽しさを経験させていきたいと思っています。

そういえばこの日は娘の卒業式。まったく関わることなく過ぎて行きました(笑)。帰宅して話をすると良かったということなので私的にはそれでいいかなと。指導をする中で様々な生徒や選手の成長を見ることができます。自分の娘の成長をきちんと見ているのか?!と言われるとかなり微妙ですが(笑)。それはそれで仕方ないかなと思います。そういう仕事ですから。

色々と心痛します。受験生の保護者は大変だ(笑)
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体幹トレーニング

2016-03-12 | 陸上競技
水曜日、トレーニングのみとしました。この日はシャフトサーキットとプレート補強。久しぶりに全てをやります。他のメニューもやりたかったので時間を決めてやることにしました。

キャプテンに「どれくらいの時間で出来る?」と聞くと「1時間半ですかね」という返答。さすがに厳しいでしょう。それでも良いけど出来なかったらシャフトもう1セットね、と話すと「1時間45分で」と訂正。念押しすると「1時間50分でお願いします」と(笑)。自分で決めたのだからその時間で終わらせるようにと伝えて開始。

私はバタバタ。棒高跳びのポールが次年度から値上がりするとのこと。本気でポールをやろうと思っていますからどうしても購入しなければいけません。今は借りてやっていますがこちらとしても「本気でやるんだ」というのを示さないといけない。後戻りできない状況を作り出さないと。選手も指導者も「覚悟」が必要になると思っています。

そのため親しい指導者に相談しました。餅は餅屋。私は細かいことは全く分かっていませんから教えてもらう以外に方法はない。ポールの長さや硬さを教えてもらいながら購入の方向へ。色々と動いてもらいました。本当に助かります。何かしらの形で恩返しをしなければいけないとは思っています。いつの日か(笑)。

プレート補強が終わった時には1時間48分。適切なタイム設定だったのかなと思いますね。マネージャーにタイム計測してもらっていますから時間を意識してやるようになっています。メニューをやるだけではなく限られた時間の中でどれだけやれるかというのは大きいと思います。今後もそこの部分は意識してやりたいですね。

そこからは腹筋背筋といったベーシックな体幹補強。クランチと背筋をやりました。プレートを使って実施。やっていくと男子が弱い。重さが少し違う部分があったので女子も少し負荷を増やしました。それでも男子の方が弱い。もちろん女子が特別強いとは思いません。しかし、男子が上がらないのです。これでは勝負になりません。体幹が弱いと言い続けていますがこれでは間に合いません。トレーニングは結果が出るまでに時間がかかります。これまでもそれなりにやっていたはずですがこれではダメですね。もう少し取り組みについて真剣に考えてもらわなければいけません。

手押し車と股関節補強を少しやって最後の20分はフリー補強。ペアで自分たちに必要な補強をさせました。考えてやることは必要。見ていると数を数えるのが片一方だけになっている時がありました。「何故数えないのか?」と聞くと「任せていました」との返答。いや、それが良くないと話しているのです。練習する主体は自分自身でなければいけない。人についていくだけではダメ。人任せにする姿勢は「考えないこと」につながっていきます。こういう部分を変えていかなければいけない。まだまだです。

足りないことを家でやるように、と話して終わり。これを考えて本当にやるかどうかで結果は大きく変わってきます。厳しいことをblogに書いていると言われるかもしれません。それでも意味があると思っています。チームが少しずつ前に進もうとしている。その軌跡を残しておきます。

また書きます。
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気持ち新たに

2016-03-12 | 陸上競技
水曜日、この日は15時まで登校禁止となっていました。前日にかなりの負荷をかけているのでこの日はトレーニングのみとしました。午前中はかなり雨が酷かったので午後からにして良かったなという感じですね。どちらにしても屋外でのトレーニングは不可能でしたからちょうど良かったなと。

集合してから少し話をしました。blogに書いていた内容を自分の口から話をすることに。どのように取り組んでいくか。ここだと思っています。「一生懸命やる中でしか味わえない楽しさ」を感じて欲しい。綺麗事ではありません。本当にそう思っています。今年度の最初の頃の話をしました。ある事により外部から指摘を受けました、
目に余るモノがあったようです。そのことに関して厳しく指導。「学校の名前を背負って行動している」という自覚を持たなければいけないからです。

その話をした直後。他のチームが集合して顧問の先生が話をしているのに側で物を投げ出て騒いでいる。小学生のような楽しみ方です。他のチームの邪魔になっている。指導するようになって1カ月くらいでしたが初めて激怒したと思います。今言った事が出来ないというのはどういうことなのか。自分が楽しかったらそれで良いのか?外部から「目に余る」と指摘を受けたというのも当然の話だと思います。そんな楽しみ方をするならわざわざ部活に所属する必要はない。本気でそう思っています。

その時から比べると明らかに人数が減りました。これに対しての批判もあるでしょう。何かをやろうとすれば何処かから必ず批判は出ます。どこに合わせるかという感覚だと思います。「一生懸命やりたい」という選手と「適度にやりたい」という選手が共存するのはなかなか簡単なことではありません。「適度にやりたい」のであってもきちんとできれば良いと思いますが大抵は手を抜いてしまいます。それだけではなく足を引っ張る。

「なんでそんなにマジになるの?」「キツいからやらなくてもいいじゃん」という発言が出ます。強くなりたいと一生懸命にやる選手の行動を否定するような発言がチーム内に存在する間は強くなるはずがありません。目指そうとしている所が違います。それを許すことは簡単です。しかし、許してしまうと一生懸命やっている選手が良い気はしません。段々と自分がバカらしくなる時も来ます。目の前でグダグダやっているのに自分だけ一生懸命?そんな感情を抱かせるのは集団として不適切だと思います。

何度も何度も話はします。それでも伝わらないという部分が出てくる。今はそれなりに「強くなりたい」と思っている選手がいます。ありがたいことです。身体を動かすことだけを目指しているのではなく「チームを作る」という感覚を持ってくれています。だからこそこちらとしてもやれる事をやりたいと思います。

周りから「強いけど取り組みや態度が悪いね」と言われるようでは絶対に成長しません。応援してもらえるはずがないからです。そうなってはいけない。適当な取り組みをしていたら下の学年が入ってきた時に真似をします。先輩が許されているのだから自分も許されるという気持ちになる。当然です。

2年生はもう少して3年生になります。そうなった時に自分の競技に集中できるかどうかが大切です。最上級生が新入生の指導をしなければいけない状態であれば自分の事が出来なくなります。そうならないように1年生が下級生指導ができるようにならなければ。新入生は上の学年を見て育ちます。甘さが残っていたらそれを真似します。自分が強くなるためにはきちんとやっておかなければいけないのです。

簡単ではありません。それでも一生懸命になれる集団を育てたいと思っています。そのためにはこちらも厳しく言わないといけません。これまでの人生の中で何となく許されていたことであってもチームとしては許さないというスタンスを持ちたい。ある選手は許してある選手は許さないという「ダブルスタンダード」ではダメなのです。強い選手は何をやっても許されると言うのであれば力がない選手はやる気を失います。逆に力がない選手だからといって「適当を許す」のであれば力がある選手が納得しません。基準は一律にしなければいけないのです。もちろん全てが同じようにできるわけではないですが、極力気をつけないといけないと思っています。

こちらのスタンスや求めることは話しました。もちろん全員が理解しているとは思いません。それでも話し続けないといけない。それができて初めてチームができるのですから。

これが新しいスタートになればと思います。
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高校入試&練習

2016-03-11 | 陸上競技
火曜日、高校入試でした。今年はいつもと異なる緊張感がありました。当然ながら毎回緊張感を持っていますが今回はいつも以上。高校受験というのは想像以上にストレスを感じる事がわかりました。何なんだ。

結局一日中落ち着かない時間を過ごしました。キツい(笑)。書こうと思えば思うほど書く気にならないので止めておきます。

この日は終日学内に入る事が出来ないので競技場で。自分達でやる事にしました。何度も書いていますが「自分達でやる」事がきちんと出来ないとだめだと思います。私が不在の時にどれだけの集中力で練習が出来ているのかは分かりません。ここが出来なければやはりこれから先強くなることは考えられません。

メニューは前日に渡していました。あえてかなり強めの練習にしていました。キツいメニューだとしてもお互いに力を合わせながらやっていかなければいけないと思っているからです。こちらは選手を信頼してメニューを渡しています。真面目な選手達なのできちんとメニューは消化するはずです。あとはその中身の問題。質が低ければ意味がありません。やるのは当たり前。そこからどうやってやっていくのかという話。やる事を評価する気はありません。

ドリルをやってスピードスキップ。チューブとマーク走。ここまでは全員で一緒に。そこからは専門に分けました。もっと走らせたいという気持ちがあるのですが私の性格的にやらせていたら専門が疎かになります。最初から決めておかないとズルズルと引っ張ってしまい専門の時間がなくなってしまいます。これまでは全てスプリントという感覚でやっていましたが専門種目のある選手がいるのできちんとやらせないといけない。今更ですが(笑)

スプリント系は直線での並走、カーブ&直線での並走。さらには合わせ。これだけでかなり走っています。そこからスタート。前日にやっているのである程度感覚はつかめていると思います。頻度を増やしていかなければいけないと思っています。

最後は走り。ここからは全体で。250mを1本全力で走る所からスタート。うちの練習スタイルからすれば250mという距離は長い。冬期であってもやっていません。それでもこれくらいの距離は走れないといけないと考えています。マイルを走ることを考えると最低でも250mは全力で走れないと。タイム測定をさせました。絶対にスピードを緩めないためです。今回の記録を基準に次のタイム設定を行いたいと思います。そのまま短い距離を組み合わせて1セット。

その後は120mを中心に走りました。どこまで出来たかは分かりませんがやってくれたのではないかと思います。こういう機会をどう活用するか。自分達でやるという感覚が持てないとダメだと思っています。

1年前と比べるとこちらが求める事が出来る様になってきていると思います。本当に変わりました。この変化は私にとって本当に大きなものだと感じます。本人達にとってどうなのかは分かりません。もうしばらく様子を見たいと思っています。一時的なものではないように。これからです、
これから。
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練習について書いておかなければ

2016-03-10 | 陸上競技
なんだかんだやっていて結局練習について書いていません。もともとはこれがメインのblogなんですが最近は色々と思う事があり過ぎて別の内容に話が飛んでしまいます。どうなんでしょうね。

月曜日、練習をしました。考査が終わったので久しぶりに競技場へ。このタイミングで棒高跳びを教えてもらう事にしました。これまで色々とあって練習のタイミングが作れませんでした。私がポールの練習をしているところでその様子を見る事が出来ていません。課題は「各校で育てる」部分にあります。どれだけ見てもらったとしても最後は自分でやらなければいけなくなる部分が出てくる。修正方法や練習方法を教えてもらいながらやる事にしました。

うちは短距離も含めて全員で競技場へ。ハードルを使ったアップから始めした。今回はあえて遠くから見ているスタンスでアップをさせました。他の指導者と話をすることもあったので。基本的には最も近い場所で練習をするようにしています。しかし、時には自分たちで意識してやらなければいけない。それができるかどうかだと思っています。自分たちがしっかりとやらなければいけないのです。いつも指導せずに遠くから見ているスタンスではありません。が、毎回毎回私に言われて練習をするようでは選手としての成長はありません。アップが終わる頃に私は近づいていく事にしました。

そこからバックストレートに移動してスピードスキップ。更にはチューブ走。で、並走という流れですね。久しぶりにタータンで走りますから流れの確認をしたり感覚の確認をしました。大切な事だと思います。ある程度走ってからスタート練習。スタブロからの練習にかなり時間をとりました。最初の出だしの動き、更には5歩のリズム。加速段階の動き。この辺りに時間をかけました。スタート前までの練習は遠目で見ているという感じでした。棒高跳びの練習の様子を見ながらでしたから。いつもいつも教えてもらえるわけではないのでこういう機会に私自身が見ていくことが重要だと思います。

翌日も競技場で練習をする予定にしていたので強い負荷をかけるのは避けたいなと思っていました。最後にカーブ&直線を2本ほど走って終わり。終わってから棒高跳びの練習を教えてもらう事になったのでその間は他の者は補強。多少ですがやっておかなければいけません。

時間が経過すると忘れてしまいます(笑)。もっと色々と感じる事があったのですが。とりあえず記録として残しておきたいなと思っています。面白くなくて申し訳ありません(笑)
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楽しい?

2016-03-09 | 陸上競技
月曜日、考査終了でした。かなり長い間考査があった気がします。土日を挟んで2科目ですからそれなりの時間は確保できたのではないかと思っています。繰り返しになりますが勉強をきちんとてまきないとやはり良い選手にはなりません。嫌なことから逃げて逃げてやっていても上手くいかないのです。

同僚と話をする機会がありました。「部活を楽しくやりたい」と言う生徒がいる。その意見を完全に無視するつもりはありません。が、楽しいって何か?という部分です。とにかくみんなで集まってワイワイやる。キツい事はやらずにやりたいメニューだけをやる。で、ほとんどの時間は楽しいおしゃべりをしてすごす。それは楽しいことでしょう。表面的に笑って笑顔で過ごせば良いのだから。辛いことはやらない。

何年か前に練習中に他校と一緒になることがありました。こちらは本気でインターハイを狙うために練習をやっています。バトン練習も真剣にやっている。が、その学校はワイワイやっている。こちらがバトン練習をやっている隣でずっと話をしている。大きなギャップを感じました。全く別の世界でやっている感覚がありました。そちらから見れば「なんであんなに必死にやっているの?」という感覚でしょう。お互いに理解しあえない世界。このような練習で「高校時代に陸上やっていました」と言えるのか?まーそれぞれの価値観ですからどちらが絶対的に正しいと主張するのは無意味だと思います。

その時にある選手に対し激怒しました。前日に「怪我をしたら全てが終わってしまうから細心の注意を払え」と話していたのに練習にランニングシューズを忘れてくる。スニーカーで練習をするのです。指導歴の中で初めてのことでした。が、他校と比べるとこのレベルは「高い水準の要求」なのかという錯覚に陥りました。基本的に練習に対する姿勢ではかなり上でした。それでも甘さがあるから注意する。が、多分この感覚は「楽しくやっている学校」からすれば「何言ってるのこの人」という感覚だと思いますね。交わる箇所を見つけることが難しい。

「楽しくやる」というのが何処のレベルか。表面的に楽しい事を求めるのか。私自身は合宿や他校の選手を指導する時には「楽しい要素」を多少取り入れるようにしています。それは「特別な場」であり「導入」としてです。毎日の練習で遊びながらやるなんて事は出来ません。練習自体はかなりハードです。みんなが一生懸命やっているのに1人だけ遊び半分でやっているのは絶対に許せません。「きちんとできないならやらなくて良い」という感覚でいます。これが肯定されるとは思いません。価値観が異なる中での主張は何も生み出さない可能性があるからです。

「楽しくやる」事を前面に出せば人は集まります。スィーツマラソンというのがあります。ゆっくり走ると途中で美味しいスィーツを食べられるものです。みんなでワイワイ言いながら走っていく。これはかなり楽しいと思います。または仮装して走るとロードレース。これもかなり楽しい、
走りながらみんなで写真を撮って進んでいく。5キロくらいを楽しく走るのです。よくマスコミで取り上げられています。参加者はかなり増える。

が、その人達が「競技会」に出るのかといえばそれは「No」です。「走る」という行為は同じですが「競技」としてはやっていない。自分に何処まで出来るのかを試すという感覚ではないのです。「競技」として走るのであれば自分自身を磨かなければいけません。他の種目と違い使える道具は「自分の身体」です。そこを磨いていかなければ記録云々を求める事は出来ません。「FUN RUN」という言葉があります。「楽しく走ろう」という意味でしょうか。これはスィーツマラソンのようなものだと思っています。

楽しいという表現。難しいと思います。自分を磨いていってこれまで出来なかったことが出来るようになるという楽しさもあればワイワイやる楽しさもある。どちらが正解でどちらが間違っているというものではないと思います。一つ言えるのは私は「FUN RUN」をやりたいのではないということだけ。そこを求める気はありません。私の価値観を他者に押し付けると言うのはどうなのか?と思いますが。多くの価値観がある。その中で私のように「本気で競技をやることの楽しさ」を求めるタイプが存在する。逆に「楽しくやること」を求めるタイプが存在する。どちらか一方が「良」で一方が「悪」ということはないと思います。が、私は「競技」をしたい。

多様な価値観の中でやっています。私のような人間もいます。それに賛同してくれる方もいるでしょうし、そうではない人もいる。それで良いと思っています。

「楽しい」をどのよう捉えるか。競技が終わった時に「真剣にやっていてよかった」と思えるような「競技生活」をしてもらいたい。それ以外の「楽しさ」であれば陸上競技ではなくでもできる気がします。

上手くまとまりませんね。自分が正しいと言っているつもりはありません。そういう考え方で競技をやっていきたいと思っているだけです。表現って難しい。
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遊び心

2016-03-08 | 陸上競技
最近よく思うのが「遊び心がない」という部分。趣味がないのでどうしても読書や考える事、陸上競技に関してあれこれする事が多くなる。周りから信じてもらえないかもしれないが「真面目」だと思う(笑)。というか型破りな事が出来ないのかもしれない。保守的な人間なのかもしれないと思っている。何人かにはお前が言うなと突っ込まれる可能性がありますが(笑)

学生の頃、教育実習に行きました。大学院に進学して競技を続ける事を決めていましたが、やはり教員になりたいという気持ちが強くありました。当時は大学院修士課程を修了したら博士課程に進み研究職に就いてみたいと考えていました。今考えると研究よりは人を相手にする方が何百倍も楽しいのですが、当時は陸上競技を続けていきたい、もっと深く勉強してみたいという気持ちがありました。

上述のように基本的に「真面目」ですから教育実習中も「部活に出るように」と言われて毎日出る。それも全力で練習する(笑)。まー自分自身が練習したかったというのもあると思いますが。練習が全て終わってから授業案などを作る。毎回毎回かなり遅くまで残っていました。今考えると指導教官に多大な迷惑をかけています。優先順位を考えろ!と激怒するところですね(笑)

最近、親しい人に「自己犠牲的なところがある」と指摘されました。これも自分では全くと言って良いほど気づかないのですが。無趣味なのと「遊び心」がないのが影響するのでしょうか。私的にはこういう生活が当たり前だと思っていますが周りから見ると違うのかもしれません。

これも学生の頃、周りとの温度差を感じた事があります。名前を忘れましたが春先に運動部の新幹部を集めて宿泊研修みたいなもののありました。他の部との交流を深めようというのと各部が抱えている問題点を洗い出して良い部活を作っていこうというもの。私は陸上競技部のキャプテンだったこともあり下級生指導の班長?になり研修に参加して司会などをやることになりました。

集まった下級生達は様々な話をします。実際に部活で悩んだりすることもあるのでしょう。が、こちらが話を振らないと自分から何も言いません。もったいなくないか??という話を何度もしました。更には休憩時間などで各自が布団でゴロゴロしています。いや、こういう時間だからこそ本音で話したりできるんじゃない?という気持ちが強くありました。その事を指摘しても「え?」という感じ。そんなに熱くならなくても良いじゃないですか、という雰囲気。

この時に「なんとなく感覚が違うんだな」と感じました。真面目すぎるのかもしれないなと(笑)。せっかくの機会を無駄に使うのはもったいないと思う。どうせやるなら自分にプラスになるように時間を使う方が良いよねって常に思っている。当時は「死」なんて意識したこともなかったが、それでも時間を有効に使わないって勿体無いなと思っていた。ここの感覚の差は今でもすごく感じる。

教育実習の話に戻る。母校に実習で帰っていたので高校時代な他お世話になった先生方が何人もいらっしゃった。ある先生が「お前は真面目すぎる。採用試験に受かったら俺が遊びに連れて行ってやる!」と言ってくださいました。客観的に見て「こいつ面白くないな」と思われたのだと思います(笑)。今の仕事に就いた時にはその方は体調を急激に崩されお亡くなりになられていました。当時の私の事をどう感じておられて、何故遊びに誘って下さったのかを聞いてみたかった。心配されるくらい融通が利かない学生に見えていたのかもしれないですね。

そういえば教育実習の時にいきなり生徒の前で話をするようにと言われた事があります。なんの話をしたら良いのか分からず「海老フライの尻尾を食べる人はパセリを食べる確率が高い」という話をしました(笑)。馬鹿ですね。ちょうど実習に行く前に仲間内で食事に行きそんな話になっていました。海老フライの尻尾まで食べる人は出されたものは全て食べる。だからパセリも食べるんだ!!という強引な話をして盛り上がっていました。その話を教育実習の生徒の前でする。もちろん怒られましたが(笑)。それでも翌日には生徒から「家で話をしたらお父さんも食べるって言っていました!」という反応が(笑)。何をやっているのか。

なかなか自分に足りないものを身につけるというのは難しいものがあります。そして足りない物に気づかない場合が多い。私自身に足りない「遊び心」。どうやったら身につくのでしょうか?それだけふざけた生き方をしているのに何を今更と言われるかもしれませんが。案外真面目なんです。

色々と考えます。真面目なんで(笑)
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時間の使い方

2016-03-07 | 陸上競技
ここ数日間、車で移動する時間が多かった。通勤プラス2時間は運転をしていただろうか。通勤で片道40分くらい。トータル3時間半くらいの運転。昨年まで5分で職場まで着いていたので考えられない時間運転していることになる(笑)。元々車が好きというのはないので運転が楽しいというのは全くない。人によっては一人でドライブしたりするのが好きだという人もいる。それぞれ楽しいと思う事が違う(笑)

移動する間、色々と考え事をする。危ないと言われるかもしれないが座って考え事をするのとは違う。今自分がやっていること、やろうとしていること、目指すもの。答えがあるようでない事について考える。元々考えを巡らせるのが好きだというのもあり苦痛にはならない。案外楽しい。ボーッとして時間を過ごすよりは有効だと思う。

こうやって考える時間が長くなるとblogの内容が偏る(笑)。面白みがない内容になってしまう。最近分かったのだが色々な方がblogを気にかけてくださっているとのこと。ありがたい。逆に書き方に気をつけなければいけないという気はしている。文字の羅列でしかないので歪曲して受け止められる可能性もあるから。言葉を選びながら書いているつもりだが。

そういえば夏くらいに前任校の「小さなエース」についてblogを書いたことがある。保護者から「1年前のことが懐かしく感じる」と連絡をもらった。随分関わりが深かったのもある。人はこれだけ成長するのか?というの目の当たりにしたこともあった。だから思い入れが強い。保護者の協力もあり県を代表する選手となった。思う事を書き続ける事がマイナスになることもあるのかもしれないが劇的にプラスになる子もいる。まー結局は私の自己満足であり、他者から批判される要素を増やしているだけなのだが(笑)

実際に他の人がどれだけ考え事をするのか分からない。こんな話はしても面白くないからだ。blogに書いている内容を毎日聞かされたらこれは苦痛だと思う(笑)。長い(笑)。もちろんこの一部分は選手には話をする。文字だけで考えている事を伝える気は全くない。今は一人になって考える時間がかなりあるので気づくことも増える。その事を段階を追って伝えている。

人それぞれ考え方がある。私が考えていること、やっている事が絶対的に正しいなんて思ったことはない。どちらかというと「ダメなのでは?」と思う事が多い。それが良いのか悪いのかは分からない。一つ言えるのは万人に受け入れられようという気はないということ。八方美人のように全ての方面に良い顔をするのがかなり苦手。 そこを改善していかなければいけない気はするが今の私には無理(笑)。それでも良いかなと思っている。

考える時間が増えるとありとあらゆることを考えるようになる。プラスに考える事もあればマイナスに考える事もある。しかし、考えていくことで見えるものがある。人によってはそんな時間は内容をというかもしれない。趣味のない私にとってはそれがすごく大切な時間だったりする。他の何かをするよりも考えている時間の方が楽しい。趣味としては変わっていると思うが。

前の記事にも書いたが「生きている時間」というのは限られている。意味のあることをしたい。意味のないことというのがあるのかどうかは分からない。ひょっとしたら全てに意味があるのかもれない。それを判断するのは最後の最後だと思う。私はタバコは吸ったことがない。ギャンブルもまったくやらない。金銭的に負担がかかるというのもあるがそこに楽しさを感じないから。

自分に出来ることについて考える。綺麗事ではない。本気でそう考えている。人に好かれるためとか嫌われないようにという小さな枠で考えたくない。それなりに「神様から与えられた役割」があってそれを果たしていくのが人生の中で大切だと思っている。その「役割」を認識できるかどうか。ひょっとしたら大半の人は何気なく生きていてその「役割」に気づかないままで人生を終えてしまうのかもしれない。特に若いうちにそれを感じずに無駄な時間を過ごしてしまうことは多い。


移動する時間がある。これまでにはない時間。他に何もやることが無いので考えている。これが新鮮で楽しい。世界平和について考えられるほど私の力はない。まずは目の前の事を最大限に奴まで行くことだけしかない。それができて初めて大きなことにつながっていく。自分自身と向き合う時間を作り続けたい。貴重な時間だと思っている。大切にしたい。
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