kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

エネルギーが・・・

2020-07-17 | 陸上競技

この2週間近くかなり体力的にも精神的にも「疲弊」しています。このような内容をblogに書くことに意味があるのかどうか。それさえもわかりませんが。とにかく「限界値」に近い感じがあります。

 

「価値観」という部分からもいろいろと考えさせられています。以前は「陸上競技」について考えることが至福の時間でした。今はどうなんだろう。そこまで「熱」がないというか。自分のこととはいえ「技術的な改善」をどのようにしていくかを時間をかけて考えるという気持ちになりません。

 

元々、「誰かのために」という感覚の中で生きてきました。自分自身が何をするかというよりは「必要とされる」部分でそれに対して何をするのか。必要とされないのであれば「別にやる必要はない」という感じがあります。この部分がこれまで以上に大きくなってきている気がします。

 

「グランド」に行ってなぜ「生活指導」をしなければいけないのか。その部分に対して本当に「疑問」があります。「取り組みの姿勢」を0から教えていく必要があるのかどうか。「それはどこでも同じ」という人もいると思います。多分「違う」と思います。「熱量」が明らかに違う。

 

「本気」でやる者だけに合わせてやっていけばいいという意見もあります。が、結局は「きちんとできない」者がきちんとできないので集団の力が落ちていきます。そうなると「一生懸命の者」が苦痛を味わう。もっときちんとやりたいのに、と。

 

なんか、そういう姿を見るのが自分の中で辛くなってきています。一生懸命にやりたいのにできない。元々は「そういう選手の力になりたい」と思っていました。私自身が高校時代に一切競技の指導を受けたことがない。我流ですべてをやってきた。その時に「遠回りしている」と感じた部分があったので「教員になって同じ想いをする選手を生み出さないようにしたい」と考えていました。

 

10年位前、本気でインターハイを目指していた時期があります。そのときは選手全員が「本気」でした。こちらが止めなけばやり続けてしまう。その学年が2年間続きました。私自身も最高に競技のことを考えて生きていました。もちろん、当時に比べると今のほうが「指導」に関しては知識も見る目も養えています。今の「私」があの当時冷静に指導できていたらかなりの種目でインターハイに進めたと思います。

 

今はどうなんだろうか。本当に「競技指導」ができているのだろうか。「部活動」は「教育活動」の一環だと思ています。だから「改善点」を指摘します。しかし、それが本当に選手にとって必要なことなのだろうか。「間違っている」「修正したほうがいい」という部分を指摘することで「何でこんなことを言われなければいけないのか」と感じる部分があるのかもしれない。

 

そうであればそこに私が持っている「エネルギー」を注ぐことは非効率なのではないか。もちろん「強くなりたい」と思ってくれている選手もたくさんいる。そういう選手だけに「エネルギー」を注ぎ続ければきっと違う世界が見えてくるのかなと思う。が、性格的に「きちんとやりたい」という部分があるので見過ごせないところが多くなる。「絶対に許せない」と思う部分がある。それを特別高く設定しているつもりはない。結局、「できてないよね?」という話をすることになる。競技に関しての話ではなく「生活指導」に関してになる。それはだれか幸せになっているのか。

 

こうやって「考える」こと自体がかなりのストレスになっています。これは「グランド」場面だけではない。多くの場面で「ストレス」を感じる。「生き辛い」という性格なのだと思っている。何も考えずに波風を起こさないように適度にやっていたらこんなことにはならないのかもしれない。

 

なにをやているんだろうか。色々なことを投げ出したいなと感じる部分が増えてきている

 

エネルギー切れなのかもしれない。充電することもできない。そんな状況。人は生きていれば何かしらを感じる。それを「言葉」にするかどうか。それもある。私自身は「人から好かれて生きていきたい」とは思わない。それでも「理不尽」な批判を受けることは疑問を感じる。何かわからないまま時間だけが過ぎていく。

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立ち上がる

2020-07-16 | 陸上競技
かなり疲弊しています。これは何度も書いていますが。頭の中にもやがかかったような状況。これって本当に大丈夫なのかなと自分でも心配になります。鬱だとは思いません。多分。自分で「鬱」という人は大丈夫だという話を聞いたことがあるようなないような。
 
明らかに疲弊しているので発言も減ります。話をするエネルギーさえも不足している感じがあるからです。そんな時に「先生大丈夫ですか?」と声をかけてくれる生徒も。マー生徒に心配をかけるというような状況では最悪だと思いますね。
 
「先生が倒れたら誰がエビの世話をするんですか?!」と励まされました。いやいや、そういう話なのか。そう思いながらもなんとかエビの世話をしたいなと思ってはいます。エビを眺める時間がほとんど作れないというのも苦痛です。
 
アップする元気がなかったのでほとんど何も書いてきませんでしたが「えび」について少しふれておきます。
 
実は先日もう一つ水槽を立ち上げました。ネットでいろいろ見ていたらどうしても・・・。以前からレッドビーシュリンプを育てています。比較的順調。1か月に1匹くらい☆になっていましたが。それでもこれまでの流れから考えるとかなり安定してきていました。それでもなかかな繁殖という部分まで行きません。抱卵するというのがかなり難しいのだと思っています。前回は気が付いたら抱卵していたのですが。
 
時間をかけていますが抱卵しない。そんな時に「チェリーシュリンプ」をペットショップで見かける。同じ「エビ」でもこちらは「ミナミヌマエビ」の亜種だと思います。一緒に飼育しても交配しないので雑種になることがない。こちらはいろいろな色のエビがいます。
 
我慢できなくなって水槽を作ってしばらくして個体を購入。まだ時間が経過していないので「パイロットフィッシュ」として5匹購入。2匹は水槽に移す前に☆になっていました。それもどうかと思うのですが。購入してすぐに☆になるというのはこちらの責任ではないというのもあります。が、とりあえず「パイロットフィッシュ」としての役割を考えていたので「仕方ない」という感覚でした。
 
が、残りの3匹のうち1匹が「抱卵個体」でした。驚き。どのタイミングで抱卵したのかは分かりませんが。最初から抱卵した個体だったのかもしれません。しかし、新しい水槽ですから耐えられるのかどうかは分かりません。
 
数日後、残念ながら力尽きていました。申しわけないなと思いながら。卵はどうなったのか分からない。しかし、エビはひたすら新しい水を卵に送り続けなければいけないと聞いていたのでメスが☆になってしまったら卵は負荷しないだろうと考えていました。
 
しばらくしてふと水槽を見てみると水槽の側面に「黒い物体」が。もが生えてきたのかなと思ってみてみると・・・。
 
 
なんとなくエビでした。☆になったエビが抱えていた卵が孵化していたのです。これは驚き。調べてみると「メスは卵が孵化した後力尽きて☆になることがある」と書いてありました。先日☆になっていたエビは卵を孵化させるために全力で生きていたのだと思います。すごい話です。その状況から「稚エビ」が孵化して育つ。あまりにも小さすぎてこちらも気づきませんでした。
 



この画像を見てもらうと「普通の大きさのエビ」と「稚エビ」の大きさの違いに気づいてもらえると思います。本当に小さい。この命を守ってあげたいなと感じています。本当に休職したいという感覚もありますが、そうなると「エビ」の世話をする人がいなくなります。水替えも含めてあれこれやる必要があります。まだ倒れるわけにはいかない。
 
とはいえ、かなり弱っているのだけは確かです。それでも少しずつ生きていきたいと思います。「やりたいこと」ができる環境はない。それだけはずっと感じています。どこに行っても「本当にやりたいこと」ができることはないのだと思います。そうであれば・・・。
 
受け止めながら生きていくしかないのか。理不尽なことに関しては受け止めません。何か考えていきます。
 
エビに救われます。感謝です。
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誰かの役に立つ

2020-07-16 | 陸上競技

色々と抱えている。人はそれぞれ多かれ少なかれ「何か」を抱えています。当然です。その場に置かれているときは「自分だけ」と感じることもありますが、時間が経過してみると多くの人が「何か」を抱えて生きている。

 

少し前、「真面目な話」を他の人とする機会がある。陸上競技とは全く関係ない話。その中で自分のこれまでの経験を伝える。それが何の役に立つのかは分からない。が、「誰もが通る道」だというのはある。それを「経験」や「実体験」として他の人に伝える。それが何かしらの「ヒント」になって進む道が見えてくることもある。

 

これまで結構な経験はしてきている。夜に電話がかかってきて「ヤンクミみたいに生徒のために必死になれ」と言われたこともある。これは学園ドラマ。ドラマの中で教員がトラブルに巻き込まれている生徒を守るためにバトルをするというような内容。あくまでドラマはドラマ。現実とは違う。それでも「ドラマでこんなにやっているじゃないか」と言われる。理不尽な話も数えきれないくらいある。こちらの脇が甘い部分もあるのだろう。攻撃を受けやすい体質なのかもしれない。それでも「おかしいだろう」と思うことは山積みになっている。

 

そんな経験。誰かのために生きるのであれば話をする必要はあると思う。同じようなしんどさを経験する。その時は「なんで自分ばかり」と思うのだと思う。が、同じような「理不尽さ」を感じて生きている人はいる。それが示せれば誰かの役に立つ。

 

理想論だけで生きていくことはできない。「事実は小説より奇なり」という言葉がある。まさにその通り。どれだけの人がこの手のことを経験するのか分からない。blogには書けないようなことが数えきれないくらいある。それって誰かの役に立つ情報なのかは分からない。それでも「経験」してきたこと、「目の当たりにしてきた」ことは何かしらの意味があるのではないかと思っている。

 

「どこにでもある話」と言われるかもしれない。が、これがどこにでもある話だったら世の中は混乱を招くはず。こういう状況で世の中が回るのかどうか。それでも「現実」として信じることができない行動が生まれる。

 

何度も書いている。私自身は聖人君子でもなんでもない。普通の人間。それでも「それはおかしいだろう」と思うことに対しては発言をする。自分が完璧だとは思わない。どちらかというと欠陥的な部分が多い。それでも「目の前のこと」を冷静にとらえようとしている。自分の子供のことだけを考える人もいる。もっというと自分のことだけを考える人もいる。そうなったら「客観性がなくなる」ので支離滅裂になる。

 

話をする中で誰かが救われたらと思う部分がある。私が抱える尋常ではないストレスを同じように他の人が抱えることがないように。アドバイスや指摘、これまでの経験談。それがどこかで生きてくる。もちろん、求められないのにこちらから何かを言っていくことはない。そこまで心は広くない。必要な人であれば力を貸す。それだけ。

 

今は他者に力を貸せるほどのエネルギーはない。それだけは確か。それでも「役に立つ」ことが必要なのかもしれない。ここは本当に難しい。

 

余力はない。

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かなり・・・

2020-07-15 | 陸上競技

ものすごく疲れています。精神的な部分が大きい。色々なことが起きます。それに対する対応。集中力が著しく低下する部分も出てきます。これって本当にいいのかな・・・。

 

競技について書きたいという気持ちもあるのですが「はぁ」ということが多すぎます。「何かあったのか」と問われたら「何か」ではない。とにかく「複合的に起きる」のです。色々なことをやってきたつもりです。それに対して好意的にとらえる人もいるだろうし、否定的にとらえる人もいる。それはそれでいいと思っています。それだけで世の中が回るわけではない。

 

「持っているエネルギー」の総量は決まっています。それに対して自分が何をするのか。どのように使うのか。少し前から枯渇している自分がいます。「必要なこと」にエネルギーを使うことができない。時間も集中力もそこに向けることができません。申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

はぁ。これって本当にどうなんだろう。重なりすぎている。そして「自分の力」でどうにかできることではない部分も出てくる。ここも非常に難しいなと思って今う。

 

とりあえず生きています。そこだけは報告しておきます。

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はぁ

2020-07-13 | 陸上競技
極度の疲労と過剰なストレスによりほとんど眠れず。それに加えて新たなストレスが重なる。

久々です。もうこれって何なんだろうって気持ちになります。

半端ないストレス。普通の生活をしていたらこんなにストレスを感じることってあるんだろうか。想像を絶するレベル。

blogを書くというエネルギーが発生しません。「病んでいるのでは?」と思われるかもしれません。かなり病んでいると思います。

今日も書く気になりません。

終わり。
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苦悩

2020-07-11 | 陸上競技

なかなかです。「心」の部分がしんどいですね。

 

「上手くいく」部分と「上手くいかない」部分が混在します。それを自分の中でどのように受け入れていくか。処理しきれない感情が存在します。

 

「部活動」と「競技」の部分。私自身は「やりたくないならやらなければいい」というスタンスです。これは以前から書き続けています。「怒られるからやる」という部分は誰にとっても不幸。「雨が降ったから練習が休み」とか「練習早く終わればいいのに」という「感情」を持っている中で練習をすることは不幸だと思います。

 

競技。「速く走りたい」と思う気持ちがあってそのなかで取り組んでいくことが重要だと思っています。「とりあえず時間を過ごす」ために参加するのは本当にもったいない。トレーニングなどは「きつい」部分があります。「目的」がない中で「トレーニングを本気でやる」というのは不幸だと思っています。「無意味に穴を掘り続ける」ことと同じだからです。何を目的にその行為をしているのか。ここが分かるかどうか。

 

うちは最初から「競技」をするという話をしています。別に「強い」というだけではなく「少しでも速くなるためにどうするか」を考える。ここが重要だと思っています。「必要ない話」を延々とし続けることは誰のためにもならない。

 

「私語が多い」と指摘される。別におしゃべりがしたいのであれば「陸上競技」ではなくてもできます。普通に放課後にそのあたりに集まって「話をする」ことはできるからです。わざわざグランドに来てゲームの話や漫画の話をする必要性はないと思っています。それは私が思っているだけで必要だと感じる人もいるのかもしれませんが。

 

グランドで何をするのか。「どうしたら走れるか」を考えてもらいたいと思っています。それができるかどうか。それが「当たり前」だと思う者もいれば「みんなが来るから行く」という者もいる。「多様性」を認める部分が必要だとは思います。しかし、それには「限度」があるのではないか。そう思っています。

 

「私語」を指摘する。「陸上に関する私語です」という返答をされる。これはもう何と言っていいのか分からなくなります。もう「競技」としての話ではない。それでも「教育活動」なのでそこに対して指導をしていく。が、そうなると「本気で速くなることを考えている者」にとって不幸ではないか。どうしても雰囲気を乱す部分が出てくる。そこに時間をかけている間に「本気でやる者」に関わる時間は削られる。それが「平等」というものなのかどうか。見えない部分があります。

 

「本気でやる」選手に合わせることは間違っているのか。そこは分かりません。「部活動」というとらえ方でやるのかどうか。もちろん、そういう視点で見ています。しかし、「お世話」と「部活動」は明らかに違うと思っています。「放課後のお世話」をするために時間を割いてグランドに向かうのではない。そういう部分を大切にする人もいるのだと思います。「楽しく好きにやる」というのが「活動」だとすればそれが「正解」だと。私は違うというのだけは確かです。

 

毎回毎回この手のことが自分の中で生まれてきます。「本気でやりたい」と思う。そこをどのようにサポートするのか。ここが重要だと思っています。「なんとなくやる」のであればどこでもできるのかなと思います。それは「陸上競技」ではなくてもできる。「本気でやる」という集団を作れたらいいなと思っています。競技だけではなく勉強も学校行事も全力で取り組む。ここが重要。

 

以前書きましたがみんなで掃除をするときに何もしないで立っているという選手にはなってほしくない。グランド整備をするという状況でグランドを荒らす。それも間違っていると思う。しかし、「間違っている」と思うのは私だけで「やっている」と主張されたら何も変わらない。この苦悩。分かってもらえるかどうか。

 

指導する。このことに対して「熱意」があるかどうか。ここは重要だと思っています。「教育活動」って何か。見えなくなる時があります。しんどい部分だなと。「伝わる」者にはきちんと「伝わる」と思うのですが「伝わらない」者に関しては全く伝わらない。何度話をしても「伝わる」者にしか伝わっていかない。それって何なんだろう。

 

本当にしんどいなと思います。それを自分の中でどのように処理するか。しんどいですね。

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視点

2020-07-10 | 陸上競技

感じていることを。

 

ある時、選手の動きを見ている。その時に他の人から「末端に力が入っている動きをしている」と指摘された。これ自体は私が意図していない動きだからちょっと驚いた。毎日見ていてそう感じることはほぼない。練習においては「段階」を追って身体の中心から力を発揮してそこで動かす意識を持たせる。末端を使う動きに関してはほぼやらない。「力を伝える道具」だという話をしている。私がそのように思っていても選手は違うのかもしれない。または指摘してもらった方とは「見えているもの」が違うのかもしれない。

 

どこを基準に置くか。これも難しい。「乗り込む」という話。私自身は「乗り込む」というのは非常に難しいので「真下でとらえる」という感じ話をする。接地の部分の話。スプリントの「接地」と「跳躍の踏切」。私的には一緒だとは思えない。スプリントは「水平方向に進む」ことを考えている。そのために「ブレーキをなくす」ことを考える。接地にポジションが前側にずれると「ブレーキ」がかかることになる。それでは「水平方向」に進むことができない。だから「身体の真下でとらえる」という表現になる。

 

ここに関しては「膝の引き出し」と「腰の移動」とも関係してくるので非常に表現が難しくなるのだが。「真下でとらえる」だけを考えれば「重心移動」が小さければそれで対応できる。移動が大きくなればなるほど「真下でとらえる」ことが難しくなるから。その話をしながら「踏切はスプリントの乗り込みと同じ」という話になる。どうも納得ができない。その時の感覚的には「少し遅れるのではないか」と思っていた。正直、そこまで興味のない分野なのですが。前の記事に書いた「土の上でやることで身に付く部分」に関しての延長線上にこの話があった。

 

その時、「タイミングが遅れるのではないか」という話をした。これは単純に「イメージ」の話だったの確証は全くなかった。「遅れると踏み切れない」という話をされた。重心が後ろにあると距離や高さは出ないということだった。まーこの辺りになると本当に興味関心が薄れるのですが。「真下でとらえる」という感覚の中で「踏切」を考えると「水平方向に進む」のではないかなと感じる部分があるから。幅跳びで水平方向に進むとすぐに着地してしまう。スプリントの延長なのだから。身体の真下でとらえて同じタイミングでやれば間違いなく「水平方向」に進む。高跳びでもスプリントと同じ感覚で「捉える」のであれば方向の切り替えができない。高く飛べないのではないか。若干ブレーキをかけることになるのかもしれないが「少し前」に接地するのかなというイメージがあった。本当に興味関心が低いのでその部分の正確性はない。

 

が、こうやって書いていて感じたことを記録しておきたい。「踏切」は「タイミングを遅らせる」ことで高さを出すのではないかなとその時は思っていた。が、よくよく考えてみると「タイミング」が遅れることで間違いなく「力」の方向がずれる。これは非常に分かりにくいのだが。スプリントの時は「接地する」時に「スイング」で方向を変えるという感じで思っている。地面に足が着いた瞬間には地面からの「反発」は返ってきているのでその時には「前方向」への動きになっていなければいけない。「接地」してから「方向転換」をするのではない。「接地」した瞬間には返ってくるので「前方向」に進むための動きになっていなければいけない。

 

そう考えると「踏切」に関しては「遅らせる」どころか「スプリント」よりも「前取り」する必要があるのではないかなと。「遅れる」ことで「反発」が返ってきている間に「水平方向」への推進力が残る。ということは「流れる」という状況になるのではないか。遅れている間に「身体」は「慣性の法則」で水平方向に進み続けているのでそこから「方向転換」をしようとしても手遅れになる。「遅れ」は高さを生み出すことはできない。「踏切」によって「進む方向」を変えるのであれば「遅れる」ことで方向は変わらなくなる。

 

そうなると「踏切局面」に関しては「タイミングをより早く」ではないか。私の考えている「タイミング」というのは「反対足の位置」です。ここも表現が難しくなるのですが。「水平方向」に進みたいものの「方向を変える」のであれば「より早く方向づけ」する必要があるのではないか。なんとなくそう感じました。「遅れる」というのは非常によくない。

 

走るときは「膝を前」に持っていきます。が「踏切」の後はその方向が「斜め上」でであったり、「上方向」であったりする。水平方向の力を変えていくのであれば「遅れている」と「水平方向」に進んでしまいすぎるので「上」ではなく「流れる」という状況になる。

 

基本的な話ですが。今更こんなことを書くというのもどうかと思います。それでもなんとなく記憶に残っていたので記しておきます。そして、もう少し書こうと思ったのですが「飽きてきた」のでこのあたりでやめておきます。興味関心が著しく低い部分に関してやはり飽きが早い・・・。

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正確に動くこと

2020-07-09 | 陸上競技

意欲は全く上がりません。このような状況で「指導をする」というのはほぼ不可能です。「どこに合わせるか」だと思っています。が、この世の中では「平等ではない」や「」一方だけひいきする」というような言分も出てきます。こうなったら本当にやる必要がないのではないなかなと思う部分もあります。私の中で「陸上競技」が大きなウエイトを占めていました。しかし、今はどうか。一定の水準までは保たれていると思います。が、本当に最大のエネルギーを使えているか。

 

度重なる「考えられないこと」があります。それを自分の中でどのように受け止めるのか。今の私の「価値観」はすでに必要とされないのかもしれません。「教育」というのあはなにか。「あきらめる」ことも必要なのかなと思っています。性格的に「きちんとやらせること」を重視しています。適当にやるのは嫌い。練習であっても「きちんとやる者」と「適当にやる者」が混在することが許容できません。それは人としての「器」の問題なのかもしれません。多分なかなか分かってもらえないと思います。私の「苦悩」は他者にとってどうでもいいことだと思います。が、約束事もルールも守れない。その中で何をしていくのか。「きちんとやる者」にマイナスになる状況がどれだけ続くのか。見えません。

 

土曜日。競技場に行きました。別に特別な理由があるわけではありません。学校のグランドが使えなかっただけの話です。前日まで雨が降っていたのでグランド状況も悪い。そうであれば競技場に行ってもいいかなと。改修工事が入って初めての競技場でした。コロナの関係で使えなかったというのもありますが。競技場に行くと久々に会う方もいます。そこで話が盛り上がるのですが。それはそれで非常に楽しい。こういう時間も必要かなとは思います。「競技場に来て」という言葉もいただきました。なかなか・・・。

 

練習をしている途中に選手が「反発」の話をしていました。反発系の練習をしたりスイッチングをしている途中での話だったと思います。「良いポジションに入らなくても力が返ってくる」という表現をしていました。これはなかなか興味深い。学校のグランドは土です。反発もそこまでありません。だから怪我をしにくいというのもあると思っています。タータンの上で何かをすると思った以上に「反発」を感じる。実際問題、「反発」を得られない選手もいると思います。地面に力をきちんと加えることができないからです。さらにはその「力」を緩衝してしまって逃がす。そのため「返ってこない」部分があると思っています。それが「感じられる」というのはなんとなくいい方向に進んでいるのかなと思っています。

 

「力の方向」をどのようにするのか。ここが走る中でのテーマになっている部分があります。「反発」をきちんともらって「水平方向」に変えていく。これで前に進むのです。ある選手が「誤魔化せる」といっていました。反発をうまくもらえなくても走れるという意味なのか、パワーで持っていくことができるという部分なのか確認をするのを忘れていましたが。これも非常に「興味深い」話だと思っています。

 

これもある選手が「反発が返ってきやすいので進むのは進む」「今日の前半メニューの走りを学校でしていたら進まない」「力んでいたり腰が乗っていないのに進んだ」という話をしていました。あまりにも「細かい」部分かもしれません。それでも私自身はここが感じ取れるようになるのかは重要だと思っています。「自分がどうなっているのか」を理解する。「競技場に行ってスピードが出て走れた」ということから「良かった」と捉えるのか「課題が見つかった」と考えるのか。全てを否定的にとらえる必要はないと思っています。しかし、すべてを肯定的にとらえるのも違うかなという感じがあります。

 

「走れたからよかった」というだけでは「たまたま記録が出た」のと同じだと思っています。再現性がない。中学生が走って記録を出すことがある。それは「特別なこと」をしたのではなく「走った」のです。どれだけ感覚的に優れている中学生でも細かい部分を考えて意識して走っていることはありません。発達段階の話もあります。中学生は「速く走れてしまう」時がある。それが本当の実力でそこからずっと伸び続けると思います。しかし、そんな選手は存在しない。理由はいろいろとありますが「理解する」ことが重要なのかなという気がしています。それが「再現性」につながっていく。

 

以前、mtm先生が大阪にいたときの話。私が周りから聞かれる「競技場にはいかないのか」という質問をしました。その時の返答が「タータンでも走れる動きをしているので問題ない」ということでした。私がタータンに行かないのは「遠いから」とか「時間がもったいないから」というのがあります。今回の話の中で当時のことを思い出しました。練習において「正確な動き」をしていたらタータンでやらなくても関係ないのではないか。むしろ「反発が得られない」という状況下で「正確な動き」をすることでタータンの上に移動したときにより推進力が得られるのではないか。もちろん、タイミングや進む感覚が違ってくるのでその部分を「合わせる」必要があると思っています。それとは別に「何を求めて競技場でやるのか」だと感じました。

 

こういう部分を詰めていくのは楽しい作業だと思います。「無気力」になりつつある私にとってこうやって「競技と真剣に向き合う」選手と時間を過ごせるのはありがたいことだなと感じています。本来はこういう選手にエネルギーを注ぐ。「集団」としては「速くなりたい」と純粋に思って一生懸命に取り組む姿が必要です。「自分はやっているのに認めてもらえない」という表現は絶対にこの子からは出てこないと思います。そこの「差」をどうやって自分自身が受け止めていくか。

 

限られた力をどのように使うのか。それを自分の中で考えたいと思っています。

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無気力になる

2020-07-07 | 陸上競技

とにかく疲れています。気分的にも乗りません。

 

テスト期間中、色々な用事が重なり10分程度しかグランドに行けない状況がありました。たった「10分」ですが「本当にやりたいことができるのか」と思わされる出来事が何度も何度も繰り返されました。これはしんどいなと。

 

どこのレベルに合わせるか。「強くなりたい」と思ってやっている選手に合わせるのか。それとも「和気あいあいにやるものに合わせるのか。ここはそれぞれの考え方だと思います。「きちんとやりたい」と願っていてもそのような環境がなく指導に飢えている選手もいると思います。逆に「軽い気持ち」で入ってきたが「本気でやっている」という部分に戸惑う者も出ると思います。

 

「やりたくない」と思う者には選択権があると思います。「きちんとやる」ようにするのか「入らずにやらない」という選択です。競技力があるなしは関係なく「きちんとやる」という水準でできるのか。ここは大きい。

 

これまで多くの時間をかけて指導してきました。が、常識的ではなかったりする部分がある。少し前のことですが全員が片づけをしているのしない。そこを指摘する。今度は全員が室内の掃除をする。が、今度も全くしない。そこを指摘するとほうきを動かすだけで掃除はしない。これって「指導」なのか。ひどく疲れました。

 

さらにここ最近。練習中に関係ない話をし続ける。そのことに関して指摘する。練習に集中するように。が、次の日も同じように話をする。他の者が指摘をする。瞬間的には変わるがまた同じようなことを繰り返す。日誌には「今日も私語をしてしまった。明日からはしないようにする。」と書いているが、翌日の日誌にも「今日も私語をしてしまった。明日はしない。」と書く。ここに意味があるのか。

 

結構真面目に話をしたり指導をすることがある。が、それが日誌には一切書かれない。指導する意味があるのかどうかも疑わしくなってくる。ある者が「注意をしたが、その話が終わったらまた私語をしていた」と日誌に書いていたりする。「注意」をした者の気持ちがわかるのか。きっと分からない。

 

決められあ距離を走る。それができない。「きちんと走る」というのができずにテンポ走以下のスピードでしか走らない。さらに練習中に他の部の者にちょっかいをかけ始める。練習に集中するという話の前に「何をしにきているのか」を問われる部分なのかもしれない。

 

「きちんと提出物を出すように」としつこく指導する。練習だけきちんとやればいいわけではない。学校生活がきちんとできなければそこに意味があるとは思えない。それでも「提出物」が出せていないと指導を受ける。なぜなのか。

 

私が年齢を重ねたからなのか。「感覚的な差」がある。正直、陸上競技の指導自体やる必要があるのかを感じる。そこまでして私が「嫌な思い」をしながら「競技指導」以前の問題を言い続ける必要があるのか。「テスト中」は日誌の提出はしない。が、毎日書くのが約束となっている。テストが明けて提出すると全く書いていない。途中の指導も指摘も全く書いていない。

 

これって「私が悪い」のかどうか、だと思う。すべてを許容する必要があるのかもしれない。しかし、それって何か意味がるのか?

 

全体の前で「きちんとやっている者には悪いけど私が来て指導する意味があるか?」と聞いた。かなりの時間を使って競技指導をする。しかし、今の自分のとっては「陸上競技がすべて」ではない。他に「楽しい」と感じることもある。そうであれば「嫌な思い」をしてまで「競技指導」をする必要性があるとは思えない。

 

その話をした後にある選手が「自分は指導が受けたくて時間をかけて通っている」という話を全体にしたらしい。結局、「伝わる者」には「真意」が伝わる。「伝わらない者」にはどれだけ話しても伝わらない。それが現実なのかなと思っている。

 

気力がわかない。それが現実。どうするのか。わかりません。

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疲れ果てる

2020-07-05 | 陸上競技
エネルギーが枯渇しています。とにかくやることが多い。仕事を次の日に残さないようにと思ってやっていましたがどう考えても無理。

勤務時間という概念があるのかないのか。部活にもしばらくほとんど顔を出しませんでした。色々と思うこともありましたし。こんな感じの中で私がやりたいことって本当にできるのかな。そう考えると別に競技だけが全てではないなと。どこに合わせるのかという部分は常にあります。以前に比べるとかなり寛容になりました。「悪意なく」という部分であれば全てを許さないといけないのか。あまりにも「教えられていない」というのがあって。本当に靴紐の結び方から伝えなければいけなくなる。1ミリでも進んでいるならこちらも前向きになりますが、進むというのがどれだけしんどいかを突きつけられる感じがありました。

検定が3週連続ありました。全て監督をする。合間の時間にテスト作成をして提出物の評価をして、さらに採点をして。そんなこと誰もがやっていると言われるかもしれません。しかし、これだけタイトな日程で全てをやるというのは自分自身の精神的にも負荷が大きい。「働き方改革」があーだこーだ言っていましたが、あの話はどこに行ったのか。叩く時だけは矢面に立たされてひたすら叩く。現状がどうなのか。息つく暇もなくやり続けても終わらない。それだけは確かです。

疲れ果てています。それしかない。そんな感じです。
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