意欲は全く上がりません。このような状況で「指導をする」というのはほぼ不可能です。「どこに合わせるか」だと思っています。が、この世の中では「平等ではない」や「」一方だけひいきする」というような言分も出てきます。こうなったら本当にやる必要がないのではないなかなと思う部分もあります。私の中で「陸上競技」が大きなウエイトを占めていました。しかし、今はどうか。一定の水準までは保たれていると思います。が、本当に最大のエネルギーを使えているか。
度重なる「考えられないこと」があります。それを自分の中でどのように受け止めるのか。今の私の「価値観」はすでに必要とされないのかもしれません。「教育」というのあはなにか。「あきらめる」ことも必要なのかなと思っています。性格的に「きちんとやらせること」を重視しています。適当にやるのは嫌い。練習であっても「きちんとやる者」と「適当にやる者」が混在することが許容できません。それは人としての「器」の問題なのかもしれません。多分なかなか分かってもらえないと思います。私の「苦悩」は他者にとってどうでもいいことだと思います。が、約束事もルールも守れない。その中で何をしていくのか。「きちんとやる者」にマイナスになる状況がどれだけ続くのか。見えません。
土曜日。競技場に行きました。別に特別な理由があるわけではありません。学校のグランドが使えなかっただけの話です。前日まで雨が降っていたのでグランド状況も悪い。そうであれば競技場に行ってもいいかなと。改修工事が入って初めての競技場でした。コロナの関係で使えなかったというのもありますが。競技場に行くと久々に会う方もいます。そこで話が盛り上がるのですが。それはそれで非常に楽しい。こういう時間も必要かなとは思います。「競技場に来て」という言葉もいただきました。なかなか・・・。
練習をしている途中に選手が「反発」の話をしていました。反発系の練習をしたりスイッチングをしている途中での話だったと思います。「良いポジションに入らなくても力が返ってくる」という表現をしていました。これはなかなか興味深い。学校のグランドは土です。反発もそこまでありません。だから怪我をしにくいというのもあると思っています。タータンの上で何かをすると思った以上に「反発」を感じる。実際問題、「反発」を得られない選手もいると思います。地面に力をきちんと加えることができないからです。さらにはその「力」を緩衝してしまって逃がす。そのため「返ってこない」部分があると思っています。それが「感じられる」というのはなんとなくいい方向に進んでいるのかなと思っています。
「力の方向」をどのようにするのか。ここが走る中でのテーマになっている部分があります。「反発」をきちんともらって「水平方向」に変えていく。これで前に進むのです。ある選手が「誤魔化せる」といっていました。反発をうまくもらえなくても走れるという意味なのか、パワーで持っていくことができるという部分なのか確認をするのを忘れていましたが。これも非常に「興味深い」話だと思っています。
これもある選手が「反発が返ってきやすいので進むのは進む」「今日の前半メニューの走りを学校でしていたら進まない」「力んでいたり腰が乗っていないのに進んだ」という話をしていました。あまりにも「細かい」部分かもしれません。それでも私自身はここが感じ取れるようになるのかは重要だと思っています。「自分がどうなっているのか」を理解する。「競技場に行ってスピードが出て走れた」ということから「良かった」と捉えるのか「課題が見つかった」と考えるのか。全てを否定的にとらえる必要はないと思っています。しかし、すべてを肯定的にとらえるのも違うかなという感じがあります。
「走れたからよかった」というだけでは「たまたま記録が出た」のと同じだと思っています。再現性がない。中学生が走って記録を出すことがある。それは「特別なこと」をしたのではなく「走った」のです。どれだけ感覚的に優れている中学生でも細かい部分を考えて意識して走っていることはありません。発達段階の話もあります。中学生は「速く走れてしまう」時がある。それが本当の実力でそこからずっと伸び続けると思います。しかし、そんな選手は存在しない。理由はいろいろとありますが「理解する」ことが重要なのかなという気がしています。それが「再現性」につながっていく。
以前、mtm先生が大阪にいたときの話。私が周りから聞かれる「競技場にはいかないのか」という質問をしました。その時の返答が「タータンでも走れる動きをしているので問題ない」ということでした。私がタータンに行かないのは「遠いから」とか「時間がもったいないから」というのがあります。今回の話の中で当時のことを思い出しました。練習において「正確な動き」をしていたらタータンでやらなくても関係ないのではないか。むしろ「反発が得られない」という状況下で「正確な動き」をすることでタータンの上に移動したときにより推進力が得られるのではないか。もちろん、タイミングや進む感覚が違ってくるのでその部分を「合わせる」必要があると思っています。それとは別に「何を求めて競技場でやるのか」だと感じました。
こういう部分を詰めていくのは楽しい作業だと思います。「無気力」になりつつある私にとってこうやって「競技と真剣に向き合う」選手と時間を過ごせるのはありがたいことだなと感じています。本来はこういう選手にエネルギーを注ぐ。「集団」としては「速くなりたい」と純粋に思って一生懸命に取り組む姿が必要です。「自分はやっているのに認めてもらえない」という表現は絶対にこの子からは出てこないと思います。そこの「差」をどうやって自分自身が受け止めていくか。
限られた力をどのように使うのか。それを自分の中で考えたいと思っています。