kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

立ち上がる

2020-07-16 | 陸上競技
かなり疲弊しています。これは何度も書いていますが。頭の中にもやがかかったような状況。これって本当に大丈夫なのかなと自分でも心配になります。鬱だとは思いません。多分。自分で「鬱」という人は大丈夫だという話を聞いたことがあるようなないような。
 
明らかに疲弊しているので発言も減ります。話をするエネルギーさえも不足している感じがあるからです。そんな時に「先生大丈夫ですか?」と声をかけてくれる生徒も。マー生徒に心配をかけるというような状況では最悪だと思いますね。
 
「先生が倒れたら誰がエビの世話をするんですか?!」と励まされました。いやいや、そういう話なのか。そう思いながらもなんとかエビの世話をしたいなと思ってはいます。エビを眺める時間がほとんど作れないというのも苦痛です。
 
アップする元気がなかったのでほとんど何も書いてきませんでしたが「えび」について少しふれておきます。
 
実は先日もう一つ水槽を立ち上げました。ネットでいろいろ見ていたらどうしても・・・。以前からレッドビーシュリンプを育てています。比較的順調。1か月に1匹くらい☆になっていましたが。それでもこれまでの流れから考えるとかなり安定してきていました。それでもなかかな繁殖という部分まで行きません。抱卵するというのがかなり難しいのだと思っています。前回は気が付いたら抱卵していたのですが。
 
時間をかけていますが抱卵しない。そんな時に「チェリーシュリンプ」をペットショップで見かける。同じ「エビ」でもこちらは「ミナミヌマエビ」の亜種だと思います。一緒に飼育しても交配しないので雑種になることがない。こちらはいろいろな色のエビがいます。
 
我慢できなくなって水槽を作ってしばらくして個体を購入。まだ時間が経過していないので「パイロットフィッシュ」として5匹購入。2匹は水槽に移す前に☆になっていました。それもどうかと思うのですが。購入してすぐに☆になるというのはこちらの責任ではないというのもあります。が、とりあえず「パイロットフィッシュ」としての役割を考えていたので「仕方ない」という感覚でした。
 
が、残りの3匹のうち1匹が「抱卵個体」でした。驚き。どのタイミングで抱卵したのかは分かりませんが。最初から抱卵した個体だったのかもしれません。しかし、新しい水槽ですから耐えられるのかどうかは分かりません。
 
数日後、残念ながら力尽きていました。申しわけないなと思いながら。卵はどうなったのか分からない。しかし、エビはひたすら新しい水を卵に送り続けなければいけないと聞いていたのでメスが☆になってしまったら卵は負荷しないだろうと考えていました。
 
しばらくしてふと水槽を見てみると水槽の側面に「黒い物体」が。もが生えてきたのかなと思ってみてみると・・・。
 
 
なんとなくエビでした。☆になったエビが抱えていた卵が孵化していたのです。これは驚き。調べてみると「メスは卵が孵化した後力尽きて☆になることがある」と書いてありました。先日☆になっていたエビは卵を孵化させるために全力で生きていたのだと思います。すごい話です。その状況から「稚エビ」が孵化して育つ。あまりにも小さすぎてこちらも気づきませんでした。
 



この画像を見てもらうと「普通の大きさのエビ」と「稚エビ」の大きさの違いに気づいてもらえると思います。本当に小さい。この命を守ってあげたいなと感じています。本当に休職したいという感覚もありますが、そうなると「エビ」の世話をする人がいなくなります。水替えも含めてあれこれやる必要があります。まだ倒れるわけにはいかない。
 
とはいえ、かなり弱っているのだけは確かです。それでも少しずつ生きていきたいと思います。「やりたいこと」ができる環境はない。それだけはずっと感じています。どこに行っても「本当にやりたいこと」ができることはないのだと思います。そうであれば・・・。
 
受け止めながら生きていくしかないのか。理不尽なことに関しては受け止めません。何か考えていきます。
 
エビに救われます。感謝です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誰かの役に立つ

2020-07-16 | 陸上競技

色々と抱えている。人はそれぞれ多かれ少なかれ「何か」を抱えています。当然です。その場に置かれているときは「自分だけ」と感じることもありますが、時間が経過してみると多くの人が「何か」を抱えて生きている。

 

少し前、「真面目な話」を他の人とする機会がある。陸上競技とは全く関係ない話。その中で自分のこれまでの経験を伝える。それが何の役に立つのかは分からない。が、「誰もが通る道」だというのはある。それを「経験」や「実体験」として他の人に伝える。それが何かしらの「ヒント」になって進む道が見えてくることもある。

 

これまで結構な経験はしてきている。夜に電話がかかってきて「ヤンクミみたいに生徒のために必死になれ」と言われたこともある。これは学園ドラマ。ドラマの中で教員がトラブルに巻き込まれている生徒を守るためにバトルをするというような内容。あくまでドラマはドラマ。現実とは違う。それでも「ドラマでこんなにやっているじゃないか」と言われる。理不尽な話も数えきれないくらいある。こちらの脇が甘い部分もあるのだろう。攻撃を受けやすい体質なのかもしれない。それでも「おかしいだろう」と思うことは山積みになっている。

 

そんな経験。誰かのために生きるのであれば話をする必要はあると思う。同じようなしんどさを経験する。その時は「なんで自分ばかり」と思うのだと思う。が、同じような「理不尽さ」を感じて生きている人はいる。それが示せれば誰かの役に立つ。

 

理想論だけで生きていくことはできない。「事実は小説より奇なり」という言葉がある。まさにその通り。どれだけの人がこの手のことを経験するのか分からない。blogには書けないようなことが数えきれないくらいある。それって誰かの役に立つ情報なのかは分からない。それでも「経験」してきたこと、「目の当たりにしてきた」ことは何かしらの意味があるのではないかと思っている。

 

「どこにでもある話」と言われるかもしれない。が、これがどこにでもある話だったら世の中は混乱を招くはず。こういう状況で世の中が回るのかどうか。それでも「現実」として信じることができない行動が生まれる。

 

何度も書いている。私自身は聖人君子でもなんでもない。普通の人間。それでも「それはおかしいだろう」と思うことに対しては発言をする。自分が完璧だとは思わない。どちらかというと欠陥的な部分が多い。それでも「目の前のこと」を冷静にとらえようとしている。自分の子供のことだけを考える人もいる。もっというと自分のことだけを考える人もいる。そうなったら「客観性がなくなる」ので支離滅裂になる。

 

話をする中で誰かが救われたらと思う部分がある。私が抱える尋常ではないストレスを同じように他の人が抱えることがないように。アドバイスや指摘、これまでの経験談。それがどこかで生きてくる。もちろん、求められないのにこちらから何かを言っていくことはない。そこまで心は広くない。必要な人であれば力を貸す。それだけ。

 

今は他者に力を貸せるほどのエネルギーはない。それだけは確か。それでも「役に立つ」ことが必要なのかもしれない。ここは本当に難しい。

 

余力はない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする