この2週間近くかなり体力的にも精神的にも「疲弊」しています。このような内容をblogに書くことに意味があるのかどうか。それさえもわかりませんが。とにかく「限界値」に近い感じがあります。
「価値観」という部分からもいろいろと考えさせられています。以前は「陸上競技」について考えることが至福の時間でした。今はどうなんだろう。そこまで「熱」がないというか。自分のこととはいえ「技術的な改善」をどのようにしていくかを時間をかけて考えるという気持ちになりません。
元々、「誰かのために」という感覚の中で生きてきました。自分自身が何をするかというよりは「必要とされる」部分でそれに対して何をするのか。必要とされないのであれば「別にやる必要はない」という感じがあります。この部分がこれまで以上に大きくなってきている気がします。
「グランド」に行ってなぜ「生活指導」をしなければいけないのか。その部分に対して本当に「疑問」があります。「取り組みの姿勢」を0から教えていく必要があるのかどうか。「それはどこでも同じ」という人もいると思います。多分「違う」と思います。「熱量」が明らかに違う。
「本気」でやる者だけに合わせてやっていけばいいという意見もあります。が、結局は「きちんとできない」者がきちんとできないので集団の力が落ちていきます。そうなると「一生懸命の者」が苦痛を味わう。もっときちんとやりたいのに、と。
なんか、そういう姿を見るのが自分の中で辛くなってきています。一生懸命にやりたいのにできない。元々は「そういう選手の力になりたい」と思っていました。私自身が高校時代に一切競技の指導を受けたことがない。我流ですべてをやってきた。その時に「遠回りしている」と感じた部分があったので「教員になって同じ想いをする選手を生み出さないようにしたい」と考えていました。
10年位前、本気でインターハイを目指していた時期があります。そのときは選手全員が「本気」でした。こちらが止めなけばやり続けてしまう。その学年が2年間続きました。私自身も最高に競技のことを考えて生きていました。もちろん、当時に比べると今のほうが「指導」に関しては知識も見る目も養えています。今の「私」があの当時冷静に指導できていたらかなりの種目でインターハイに進めたと思います。
今はどうなんだろうか。本当に「競技指導」ができているのだろうか。「部活動」は「教育活動」の一環だと思ています。だから「改善点」を指摘します。しかし、それが本当に選手にとって必要なことなのだろうか。「間違っている」「修正したほうがいい」という部分を指摘することで「何でこんなことを言われなければいけないのか」と感じる部分があるのかもしれない。
そうであればそこに私が持っている「エネルギー」を注ぐことは非効率なのではないか。もちろん「強くなりたい」と思ってくれている選手もたくさんいる。そういう選手だけに「エネルギー」を注ぎ続ければきっと違う世界が見えてくるのかなと思う。が、性格的に「きちんとやりたい」という部分があるので見過ごせないところが多くなる。「絶対に許せない」と思う部分がある。それを特別高く設定しているつもりはない。結局、「できてないよね?」という話をすることになる。競技に関しての話ではなく「生活指導」に関してになる。それはだれか幸せになっているのか。
こうやって「考える」こと自体がかなりのストレスになっています。これは「グランド」場面だけではない。多くの場面で「ストレス」を感じる。「生き辛い」という性格なのだと思っている。何も考えずに波風を起こさないように適度にやっていたらこんなことにはならないのかもしれない。
なにをやているんだろうか。色々なことを投げ出したいなと感じる部分が増えてきている
エネルギー切れなのかもしれない。充電することもできない。そんな状況。人は生きていれば何かしらを感じる。それを「言葉」にするかどうか。それもある。私自身は「人から好かれて生きていきたい」とは思わない。それでも「理不尽」な批判を受けることは疑問を感じる。何かわからないまま時間だけが過ぎていく。