kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

現実2

2023-08-10 | 陸上競技

思うことを。感じたことを。こういう時代ですから思うことを思い切り書くというのは非常に難しくなっています。とはいえ、書ける範囲で書けることを書いておきたい。前の記事の続きになるかどうかは分かりませんが。

 

IHに行く。ここに大きな意味はあると思っています。これは3年生に言っていたのですが「下級生をIHに連れて行って欲しい」という部分。今の3年生が2年生に上がる冬季練習の時。「このままでは誰も中国大会の予選を通過しない」と話したことがあります。それは「客観視」したらわかることですが。「練習をしている」かどうかではない。「本気で目指す」部分に対して「難しい」と感じたからです。私自身は「練習をする」ことを評価するという気はありません。それは「当たり前」だと思うからです。上の大会を目指したいのであれば練習をするのは「当然」だと思います。やらないのであれば「届かない」のだから。しかし、「練習」をすればそれでいいのか。「練習」に関してはどこでもやっています。その内容は別にして。

 

「IHで戦う」ことを考えてやっているチームも「」県総体に出たい」というチームも多かれ少なかれ「練習」はします。だから「練習をやっている」かどうかは評価の対象ではないと思います。高校生は「自分の価値観」で判断します。本物を見たことがないから。「本物」はやはり「本物」です。「練習」に関しても「同じようなこと」をやっているかもしれませんが、その精度が全く違います。それを突き付けたいなとずっと思っていました。「合宿」のような特別な場面ではなく「普段の練習」にこそ「本物」が「本物」である理由があります。「合宿」であれば大半の選手が頑張れます。数日間ですから。「特別な舞台」で何かを演じるのはできると思っています。もっと大切なのは「日常」です。定期的な刺激は必要だと思いますが、やはり「日常」をどうするか。ここに対しての「感覚」を刷新しないといけないと思っています。

 

「強い選手が集まっているから強い」と言われる部分もあると思います。ここ最近強く思うのは「やっかみ」でしかないなと。個人であれば「能力」が高い選手がいて「高い目標」を持っていれば自分自身で頑張れます。ごく少数かもしれませんが。「集団」となるとそれは難しくなります。ある程度の選手が集まっていても「目指す場所」が明確でなければ方向付けはできない。10人いたら3人伸びたら「強い」と言われる部分はあります。が、「本当に必要なこと」ではない。本当は10人が10人伸びる必要がある。それは「雰囲気」が重要になるのかなと。万が一記録が思うようにの伸びなくても「役割」を見つけて「IHで戦う」ために何ができるかを考える。そこが必要なのかなと。大きな集団の中にいることで「安心」することはできる。が、それでは戦えない。ここ最近見てきた様々な「集団」の中で「居場所」を見つてて満足している高校生を見ると「戦う」とは真逆ではないかと感じています。

 

どれだけ「言葉」で説明してもきっと分からない部分がある。そのため「IHに行く」ことが必要でした。今の自分達とは「違う世界」で競技をしている人たちを見ることができるかどうか。「本物」が「本物」である理由はどこにあるか。それを知らないといけない。ショック療法なのかもしれませんがある程度の方向を決めるためには「本物」を見る必要がある。これまで何度も「本物」に触れるために県外に行ってきました。それも早い段階で。hoshoの時、「無理だ」と感じたので県外に行きました。能力のある選手が3人来てくれたのもあってこの子たちが3年生の時に「IHで戦いたい」というのがあったからです。が、「ぬるま湯」の中で何をしても伝わらない。「そこまでしてやらなくてもいいじゃないか」という意見も聞こえてきていました。もちろんそれに対しての「批判」も多くある。全員が同じ方向を向く集団ではなかった。それでも実際に3年生と時にはIHに出場できました。もっとやり方はあったと思いますが、「周りの環境」を考えると「IHに行く」ことが最大目標になっていたのかもしれません。

 

現実を突きつけられる。それがどれだけ重要か。実際問題、「強くなるための練習」がどれだけできたのかは自信がありません。「中国で戦う」ために作戦を立てて対応してきた数か月でした。「強化する」や「本物と戦う」ことを目指すところまではいきませんでした。時間がない。言い訳でしかありません。しかし、「本当に勝つために」という雰囲気を作り出すことはできませんでした。結局、「技術指導」よりも「組織づくり」のほうが重要なのです。選手は「技術的なこと」を求めます。これはクラブチームなどでも同じだと思っています。しかし、「集団」として強くなることを考えたら「方向付け」が重要だと思っています。それができないのであればいつでも「指導を辞める」という覚悟を持っておかないといけない。それは自分自身の中での話ですが。

 

女子4継の決勝の翌日。色々と話をすることができました。今の自分の現状。本当に必要なこと。ysd先生と話をすることができました。「選手はIHの決勝を目指していない」という言葉。「2位になっても3位になっても『悔しい』しか残らない」という現実があります。もとより「戦う場所」が違うのです。「日本一になる」と思ってやっている「集団」と「中国で戦う」ことを考えている「集団」では到達点が違う。当然の話です。指導する側は「サポートする」という感じの話でした。「日本一を目指す」と本気で思っている集団を「より高いところ」に到達できるように「サポートする」のだと思います。もちろん、技術的なことも戦略的なこともかなり指導されると思います。それでも「集団」として「目指す場所」が明確であれば「やるべきこと」は変わってきます。そのなかで安易に「決勝に進む」なんてことを考えることはできません。「中国大会で戦う」ことを考えているチームが「IHでベストを更新したい」というのは最初から難しいのです。だからリレーの決勝に残るチームは「伝統校」になる。「集団」がそちらの方向に向かっているのでよほどのことがない限り「逆転」はありえない。

 

今のskyは県内でいれば「強い」と言われるかもしれません。それなりの選手が来てくれていますから。それでも昨年は4継で「50秒0」しか出せませんでした。どこかで大きく変わらないといけない。「中国大会に出たい」という感覚ではなく「IHで戦う」ことを目指す組織にならない限りは「決勝で戦う」というのは絶対にできません。そしてそれを求めることは指導する者もキツイ。現状、今の状況で県内で「IHで戦う」というリレーチームはないと思います。夢のまた夢だからです。しかし、「集団」の力は大きい。中学時代に全中にリレーで行ったとしても高校で中国大会に行くのが精いっぱいというのも出てくると思います。それは「選択」です。それで満足するのであれば「仕方ない」と思います。本当はもっと速くなれるのに「環境」において「満足」するレベルが違ってくる。だから戦えない。県内のレベルが「近畿レベル」になるのであれば全く違う結果になると思います。競争が生まれるので。今の状況では間違いなく「競争」は生まれにくい。

 

その中で「どうするか」を考えないといけない。勝負する相手を「県内」で求めるのか。「中国」に求めるのか。「全国」で求めるのか。個人とマイルでIHに進みました。これは周囲からみれば「すごい」と言われるかもしれない。が、」実際に北海道で走って「競争」することもできないかった「現実」からすればそれは「大したことはない」のかもしれない。選手は「今の力」を出してIHに進みました。本当に誇れることです。その反面、「もっと高いところを目指せなかったのか」という部分も出てきます。最初から「IH戦う」ことを考えてやっていたら「46秒5」と「3分48秒」を目指していたと思います。「50秒を切る」「4分を切る」というところでやっていたら到底届く話ではない。

 

「現実」を突き付けられる。今のままでは何もできない。来年度はIHにさえいけないかもしれない。その「現実」を肌で感じること。それができたかどうか。3年生に連れて行ってもらったIHで何を感じるのか。「本当に必要なこと」を「求めるレベル」に応じで提供する。それしかないかなと。

 

まとまりません。それでも記しておきたいなと思っています。それが正解かどうかは分かりませんが。また書きます。

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現実

2023-08-10 | 陸上競技

思うことを。ここに書くというのは「公になる」といことです。第三者が見ることもある。さらには関係する保護者なども見ているかもしれません。ここで何かを発すれば「切り取り」で批判されることもあるでしょう。そうなった時に「顧問をやめろ」という話にもなるのかなと。そうであればそれは受け入れる必要がる。自分の考え方に対して「納得できない」という選手が多ければその中でやることは誰にとっても「不幸」だからです。それでも「思うこと」は記しておきたいなと思っています。

 

そして「大した結果も残せていないくせに」という批判的な見方もあると思います。実際にそうですし。「インターハイに行くだけ」の指導しかできていないのに偉そうにblogを書くというのもどうかと思います。それも間違っていない。もっと優秀な指導者の下で指導を受けたいのにという選手もいるでしょう。本当に「指導者の問題」なのかは別として。「魔法」のような世界はありません。ある指導者が指導したら一瞬で劇的に強くなる。あの指導者の下で数回指導を受けたら全国で入賞できる。そういう「魔法」があるなら身に付けたい。あくまで「幻想」だと思っています。そんなに簡単に「ドラマ」は起きない。

 

4月からの指導。少しずつやらせてもらっていましたが「やりたいこと」ができたかどうか。結局は「どこを目指すか」という話が大きなことになります。チーム内で「競争」をさせることがレベルアップには必要だと思っていました。そのため学年関係なく「一番可能性が高い種目」で出場することにしていました。「出場しなければ勝っていたのに」という部分は勝っていた選手は思っていたでしょう。2年生が400mHを始めたことにより3年生はかなりのストレスを感じていたのではないか。3年生がストレスを感じないために2年生に400mHをさせないという選択肢もあるかもしれません。2年生の間はスピードを磨くために400mHには出場せずに100m/200mでやっていく。3年生になってから400mHを。そんな意見もありました。「焦る必要はない」という意見を耳にしながら。

 

では、「3年生が楽に勝てる」状況を作っておくことが本当にレベルアップにつながるのかという話になります。同時に「2年生は我慢して戦える種目をやらない」ということも私からすれば「おかしい」という感覚があります。何度も書いていますが今の県内のレベルは「危機的な状況」です。去年の県新人で「70秒」を切れたのは1人だけ。うちの3年生も県総体で65秒99を出した後は68秒くらいかかっていました。この状況の中で「インターハイを目指す」というのが実現できるのかどうか。県内の大会でも4継もマイルも勝てない感じがありました。中国総体で200mで決勝に残った選手も「それなり」の走りしかできません。同級生にも負けてしまう感じが出ていました。この中で「インターハイで戦う」というのを口にしても「夢のまた夢」という感じでしかない。

 

高い目標を持つことは重要だと思います。が、この状況で「IH」を口にすることがどれだけ現実的なのか。「高い目標に向けて頑張る」という話だけではないと思います。本当にそれを達成するためにはやるべきことが山のようにあります。それができていないのに「IHに行く」というのを言い続ける。「絵に描いた餅」よりも厳しい。IHで削りあいを見たことのない選手が夢見ているIH。どんなものなのか知らないまま「IHに行きたい」と話をする。そんなに簡単に行けるくらいなら多くの選手がIHに進んでいると思います。中学時代に全国入賞を果たしている選手でもIHに出場できなくなる。それくらい競争は激しい。それなのに「到底届かない」というレベルでやっている中で「IH」と言い続けることは難しくないか。

 

そう考えていました。「自分たちは頑張っている」という感覚はあると思います。しかし、それでは「届かない」のです。「IHで戦う」という前段階で「IHに行く」ことができるかどうかの話になる。そう考えると「競争」をさせる必要があると思っていました。全体のレベルを上げることができなければ「IHに行く」なんてことはできない。70秒を切って県で優勝したところで中国大会の予選さえ通過しない。「県で勝つ」ことが必要なのか、「中国で戦う」ことが必要なのか。正直、「中国で戦う」ことさえ厳しい状況ではあったと思います。4月当初、最初の大会で3年生が下級生に負けたことで「上を目指す」という雰囲気ではなくなりました。きちんとやらない。それなのに「きちんと指導をしろ」と言われるのは意味がないと思っていました。より効果を高めるために「男女別」にさせてもらうようにしましたが、「下級生に負けた」くらいで「きちんとできない」のであれば細かく見る必要性さえないなと感じたからです。

 

無責任かもしれません。が、「絶対に無理」という状況で「中国で戦う」ことを選手に求めるのは「酷」だと思います。あくまで「IHで戦う」ことを目指したいですが、その前に「中国で戦う」ことさえできない雰囲気がある。目の前の勝ち負けにとらわれれ「本当にやるべきこと」ができない。それなのに「きちんと指導しろ」と言われてもやる必要はないと感じました。「やるべきこと」を示しても「やらない」のであればそれはお互いにとって「不幸」だからです。「戦う組織」という部分とは程遠い状況の中で何をするのか。この時保護者や選手から「無責任」「辞めろ」と言われたら間違いなく辞めていたと思います。本当に私が無責任なのか。「絶対に届かない」という状況で「届くようにするため」には「きちんとやる」必要があると思います。

 

「思い出作り」であればそこまでやらなくてよいと思います。高校時代に陸上競技をやっていた。県総体に出て中国大会に進んだ。IHを目指したけど届かなかった。自分たちはよくやったよね。それはそれで「素晴らしい事実」だと思います。そこを目指してやるのであれば私自身もそこに合わせて「ある程度」でやればよい。かなり楽になりますから。「IHに行きたい」という話が出ても「現状では不可能」というのを伝えながら「今できる最大限のこと」をやっていくだけでいい。今の学校でそれをやるのであれば「私は必要ない」という結論になります。だったら辞めろという話になるのでしょう。

 

近畿地区では「府大会」「県大会」を勝ち抜くことが「IHで戦う」ことになります。それくらいのハイレベルの大会が最初からあるからです。400mで60秒で走っても予選さえ通過しません。山口県では60秒で走れば「中国大会出場」も可能になります。この部分ですでに「勝負あり」だと思います。60秒で走ればいいのですから。57秒を切るくらいの走力が求められる地区とは「感覚」が違います。そんな中で「今のままでは戦えない」と言い続けても「現実味」はないでしょう。実際問題「県レベル」では上位入賞できるのだから。県で「勝った」「負けた」で争うのであれば上級生優先で試合に出して「勝つ」ことを経験させることはできます。県では勝つかもしれませんが中国では戦えない。それでよければ「現実」を突き付ける必要もない。

 

こうやって書いていると「IHに行きたい」というレベルではなかったのかもしれません。「中国で戦う」というレベルに届くか届かないかだったのかも。最終的には「中国で戦う」という水準になりましたが、「IHで戦う」というのは遠い遠い目標だったと思います。結局、「劇的に変わる」ということはないのかもしれません。時間をかけて変えていくことができるかどうか。以前のskyであれば「全中入賞」の選手が何人も来ていました。それであれば「個人の力で戦える」ので十分だと思います。が、今は違う。全中を経験した選手はほぼいない。その中で「練習していたらIHで戦える」という感じにはならない。

 

結局は400mHで2人がIHに進みました。2年生がやっていなければ3年生もIHには届かなかったのではないかと思っています。目の前のライバルがどれくらいの走りをしてそれに勝つためには何をするべきか。それを考えることができる機会が歩かないか。「県で勝ちたい」という小さな「現実」の中で何かをしていても達成できなかったと思います。何とかして3年生をIHに進ませたかった。そのためには「刺激」が必要だと思っていました。それが正解だったかどうかは分かりません。本人や周辺には大きなストレスを与えたかもしれません。それでも「中国で戦う」ためのは必要の要素だったと思います。

 

正当化するつもりはありません。私に対する不満は多くの人が持っていると思うからです。今の世の中では「部活動」で指導することは「リスク」しかありません。「上を目指したい」という言葉を信じで何かを提供すれば「批判」をされる。そんなことは日常茶飯事だと思います。だからこそ「目指す場所」に応じた指導が必要になる。それが「県総体に進む」という目標であればそれに応じて指導します。そうであれば「IH」は口にするべきではない。全くの別のスタンスですから。

 

長くなりました。言葉が足りないところもあると思います。3年生には申し訳ないなという気持ちが大きくあります。これまでの「現実」から抜け出すために色々な話をした部分もあります。それが良かったのかどうか。分かりません。

 

書きたいことがほとんど書けていません。また書きます。

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インターハイ終わる

2023-08-07 | 陸上競技
2022年のインターハイが終わりました。結局、「戦えない」というのを突きつけられて戻ってきただけになりました。それは私自身の責任も大きいと思っています。本当に難しいなと感じています。

4月から女子の指導をさせてもらっています。4月の一番最初にあった高体連記録会の結果が4継で50秒0でした。この状態で「インターハイで戦う」というのがどれだけ「現実的なこと」かどうかは私自身分かっているつもりです。選手を鼓舞しなければとうてい間に合わない。いや、誰もこの時点でIHに行くということが現実的に可能かどうかを判断で来ていたか。「やれば記録が伸びる」というのであればそれほど難しくない。しかし、「IHに進む」ことがかなり厳しい状況にあるというのは確かでした。400mHに関しても68秒くらいで走っていたか。大きな故障をしていて出遅れているというのではない状況で「夢みたいな話」をしている自分もいました。

無理矢理というかかなり「急ピッチ」でやっていきました。最終的には4継で47秒9まで。昨年度4分8秒くらいだったマイルのタイムも3分54秒まで。それはチームとしては「大きな飛躍」でした。が、そこで終わり。そこから1か月で「IHで戦う」水準に引き上げるのは無理でした。中国大会が終わってから間違いなく「安心」している感じがありました。本当はここから貪欲になってやっていかないといけないのに「練習の精度」は大きく下がった。その状況でIHで戦うというのは不可能だと。分かっている部分もありました。それでもなんとか「予選通過」と投げかけながらモチベーションを維持させるように。

現実は・・・。誰もレースに参加できないまま終わってしまいました。選手には申し訳ないなと思いますが。一気にやってきた反動は間違いなく来ます。本気で「IHで戦う」という意識で冬季練習ができた選手がどれだけいたのか。「自分達の基準」のなかで「やっている」という感覚の中から抜け出せない。

言い訳をするつもりはありません。選手は「練習を頑張っていた」というのは事実です。その「基準」がどこにあるか。「過去の自分」と比べてどうかではない。本当に狙うべき「場所」を知らない中で「自分はやっている」と思っていたら「満足」はするでしょうが「本当に必要な練習」はできないと思います。「本物」を知らないのだから。

1年目の時に「このままでは戦えない」と言葉にして伝えたことがあります。第三顧問の立場であれこれ言うのは良くないなと思ってはいましたが、それでも「見るのが苦しい」という感じがありました。「自分達はやっている」という雰囲気が強くてそこから「勝つために何をするか」という話にならない。言われても現実味がなくて分からなかったのだろうなと思っています。

「本当の闘い」を知らない。そのことを知らなければいけない。「伝統校」と言われる学校には「目に見えない何か」があります。ノウハウと言ってもいいと思います。どれくらいやらないと「勝てない」というのが分かっているからです。だから中途半端な状況で満足はしません。当たり前です。IHに行くことで大きなエネルギーを使うのはどの選手も一緒かもしれません。しかし、目標とする「到達点」が違えばそこに対する「満足度」は大きく異なると思います。

戦えない。それだけを改めて突きつけられました。こんなことを自分自身何度感じながらやるのか。根本的なことから変えていかないといけない。今回IHで突きつけられた現実。それでも県内の他のチームでは実感できない部分だと思います。もちろん、「中国大会に行った」ことで満足する選手もいると思います。中学時代は「全国へ」と思っていたとしても「環境」によって「中国に行ければいいな」というくらいになる。だからこそ「環境」を何とかしたい、クラブチームとしてなのか。学校の教員としてなのか。そこは分かりません。しかし、「IHで戦う」「日本一」というのは捨てたくないなと思っています。

思うことはかなりあります。まだ頭の整理がついていません。必ず書きます。
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ただ思う

2023-08-01 | 陸上競技
思うことを。

愚痴として捉えられるもしれないなとは思いながら。今の自分が何者なのか。何を目指すのか。そんなことを考えながらやっている。自分自身と向き合う時間さえ与えられない感覚。全てをやるというのは難しい。わかってはいる。でも、何ができるのかだけは考えたい。こうやって文字として投げかける。共感を必要としているわけではない。ただただ現実について考えている。

あっという間に時間だけがすぎていく。気がつけばもうインターハイに向けて出発している。今は飛行機の中。メモ帳を使ってblogを書いている。ここまでの準備がどうだったか。やれることは全てできたか。正直分からない。そんな曖昧な形で高校生にとって一番大きな大会を迎えるというのがどうなのか。正解はわからない。目の前の選手に対してやれることはやる。そこだけは変わらない。様々な形で関わっている選手。特別何かを与えるわけでもない。距離感は近いのか遠いのか分からない。こうやってblogを書くことが選手にとってプラスなのかマイナスなのか。そこも含めて考えていけたらとは思っている。

指導者として。教員として。そこをら強く求められる。その時に「個」としての自分はどのような位置付けになるのか。私自身の感覚で何かをすることはゆるされないのかもしれない。綺麗事ではなく。比較的思うことは言葉にしてきている。もちろんかなり我慢をしているのは確か。それでも言葉として伝えることは必要。怪我をして練習ができない選手に対しても声かけはする。それが響くかどうかも分からない。それでも「大切なこと」「やるべきこと」を話すことは大切だと思う。昔ながらの指導だとは思わない。他者から尊敬されるとか敬われるとかは求めていない。

ただ時間だけがすぎていくという現実は面白くない。いつか迎える「無」になる瞬間。そこに向けて私自身は何をするべきなのか。「やるのが当たり前」とされること。それは「正しい」のか。「陸上競技のために」「生徒のために」「選手のために」という大義名物。そこに対して盲目的に受け入れるというのは違う気がしできている。私自身が「やりたい」と思うかどうかはこれから先の「限られた時間」の中で大きなことだと思っている。誰かから強制されてやるというのは受け入れ難い。

インターハイに向かう。それは誰もが経験できることではない。選手にとっても指導者にとっても。今年選手がインターハイに進む。そのことに対して誰がどのように評価するのかは分からない。本当にやれることを全てやったのか。もっと違う方法があったのではないか。色々な意見があると思う。インターハイという一つの目標に対して一生懸命に取り組んできた選手達は尊敬に値する。そこに「価値がある」と思えるかどうかはそれぞれの価値観だと思う。

戦うこと。力を出すこと。準決勝に進むこと。決勝に残ること。日本一になること。それぞれにとって大きな意味がある。そこに対してはどう関わるのか。本当に必要とされるのであればやれることはやりたい。もちろん、私自身が「やりたい」と思ってやるという前提があるが。

まとまらないけど記録だけはしておく。
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