闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.450

ダスティン・ホフマンが自閉症の長男、トム・クルーズが健常の次男役を主演する兄弟愛をテーマにした障碍物の映画であるが、その功罪は相半ばする。
「功」としては21世紀に入っても聖ルカ病院の老理事長のように自閉症をみずからを閉ざす病気であるとか、両親の子育て法が原因であるとの謬説を盲進する馬鹿が跡を絶たない体たらくであるにもかかわらず、すでに1988年の時点で原因は「脳の先天的な器質障碍」でありと断言している点。
「罪」としては、大半の自閉症児者が健常者にくらべて知能がいちじるしく遅れているにもかかわらず、この映画は計算や記憶についての部分的だが特別な知的能力(サヴァン症候群という)を持つ「映画的な」人物を主人公にしたために、観客たちは「すべての自閉症児者が特殊能力を保有する」と信じ込んでしまったこと。こんなのはほんの少数の例外でしかないのに。
私の息子もこの映画の主人公と同様の自閉症者だが、絶対音感を持ち、記憶力に優れてはいるものの、だからどうっていうことは全然ないはんぱないはみ出し者。かえってなまじ「記憶力がいい」ものだから、私から何十年も昔に怒鳴られた記憶が脳裏によみがえり、突然暴れ出したり、自分の頭を西瓜のようにポカポカ叩きだすのだからむしろ人生の悲劇の種なのである。
この世の埒外に生きる孤絶者で、対人関係や対社会関係において適切な対応がとれず日夜苦悩している人たちを目の前にすると、私のような能天気な健常者はそれだけで無上のさいわいを頂戴しているのだなと痛感するのである。
「おばあちゃん、僕お仕事がんばってます」と遺影の前で叫ぶよ耕君 蝶人