
茫洋物見遊山記第123回&鎌倉ちょっと不思議な物語第283回&ふぁっちょん幻論第77回
高橋源ちゃんの監修による特別展を、薔薇の香りが緑のそよ風に乗って漂う鎌倉文学館にて鑑賞いたしました。
まずはじめに展示されていたのが、彼の晩年のついの住処となった三鷹の住居に掲げられていた古びた標札です。そこには津島修治と書かれた左側に、括弧をつけてやや小さく太宰治と記されていましたが、楷書を少し崩したその自然な、あまりにも普通の、そしてそれゆえに非凡な彼の書跡に大きな感銘を受けました。
私はこれまで夏目漱石や森鴎外や川端康成や三島由紀夫など有名な作家の原稿や筆跡を見る機会がありましたが、いずれも個性的ながら変態的な自意識が鼻につく奇妙な癖のあるものばかりで、あまり感心したことはありませんでしたが、この明るく透明で、風のように通り抜けてゆくノンシャランな書体をいきなり目の当たりにして「ああ、これはいいものを見せてもらった、あとはもうどうでもよろし、ありがとう文学館さん」と心からのお礼を申し上げたのでした。
ところがギッチョンチョン、驚きはそれだけではありませんでした。会場の半ばに展示された彼の自作の油絵の自画像が、この間近代美術館で見たばかりのフランシス・ベーコンが描くそれに酷似していたからです。頭全体がぐちゃぐちゃに崩れ、激烈な原色で激しく塗りたくった上半身こそ、作家の自己認識と実存の生々しい証ではないでしょうか。
そして最後に私の眼を射たのは、出口に置かれた細身の万年筆の隣にさりげなく畳まれていた、なんの変哲もない小振りのネクタイでした。
おそらく素材は絹の西陣織だと思うのですが、灰色と薄茶色と黒が混合された無彩色の微妙な色合いといい、その表面を走っている(眼を凝らして見なければ気付かない)同系色の穏やかなストライプといい、これほどお洒落なネクタイを私は見たことがありません。
見た目はあくまでも普通でオーソッドクスだが、よくよく見ると驚くべき中身が凝縮されている門札とネクタイ。はしなくも展示会の序幕と終幕を飾っている2つの遺品の中に、私は太宰治と津島修治の結節点を見つけたような気がいたしました。
この特別展は偉大な昭和の大作家の「人間失格」、「右大臣実朝」などの生原稿や遺品の数々と共に来たる7月7日まで長々と開催中。いまなら薔薇園のバラもうるわしく咲き誇っておりまする。
アカルサハホロビノ姿デアラウカココヲセンドトサキホコル薔薇 蝶人