
照る日曇る日第715回
この人も新作が出れば読まずにはいられなくなる、気になる小説家です。それはこの作家が太宰に似て、一生懸命に読者をよろこばせようとするからなのです。
今回はなんでも老人シリーズの最終回ということで、書評家の老人とその娘と孫娘が登場して(同居しているのです)、ああだこうだと例によってつらくてさいわいうすい人世のあれやこれやのエスキスを配給してくれます。
いろいろあって私(たち)とおんなじように人世に消耗し疲れ果てた老人と孫娘は、カウチに腰を沈めていろんな映画をみてゆくのです。
その中で彼らが語るルノワールの「大いなる幻影」、サタジット・レイの「大地のうた」、そして小津の「東京物語」の感想というか批評がまことに秀逸で、とりわけ「東京物語」の有名なラストシーンンのオースター流の解説を読んでいるうちに(そこでは主に笠智衆が原節子に手渡した東山千栄子遺愛の懐中時計について語られている)、私はなぜか滂沱の涙が両頬をつたっていることに気付いたのでした。
それからこの小説では、オースターがよく採用している2つの物語が同時進行するという二重構造になっています。
不眠症に悩む老人が仕方なく夜な夜な考え出す小説が「小説内小説」になっているのですが、その後者の「裏小説」の世界が妙にリアルで悩ましい。というのも自由を求めるニューヨーク州が、右翼的国家的強権をふりかざすアメリカ合衆国に反旗を翻して内戦に陥っているのです。
考えてみれば中東のシリアもイラクもイスラム強硬派が勢力を拡大して、血なまぐさい内戦状態に突入しているのですが、こういう宗教や政治思想の非妥協的対立から始まる「國壊し、民草壊し」のグローバル・トレンドは、世界の憲兵を自任していた米国や自任したがっている中国、そして亜細亜の覇権を再び夢見ている倭国にもいずれ及んでくるのではないだろうかと、本編の文学的値打ちを離れて思わず世界の行く末について考え込まされたような作品でした。
なにゆえに憲法反逆者どもを放置する普通の国なら即逮捕監禁 蝶人