蝶人物見遊山記第378回&鎌倉ちょっと不思議な物語第458回
鶴岡八幡宮の西側の雪ノ下2丁目にかつて私の伯父さんのプール付き、裏山付きの大邸宅がありました。それが売却された現在も、玄関口に通じる細い路地だけは当時もままに残っていて、往時を偲んで年に一度くらいはそこに佇むことがあります。
そこから巨福呂坂切通に通じる横浜鎌倉線道路を50メートルくらい直進したところで左の急な階段があり、そこを突きあたった所に小さなお稲荷さんがあります。志一稲荷です。
南北朝時代に訴訟のために鎌倉にやって来た僧侶、志一上人が、大事な証文を京に忘れてきたので、大困り。すると1匹の狐が、「それではおいらがひとっ走りして取ってきましょう」というて、いうだけじゃなくて実際一昼夜で取ってきてくれたので、お礼の印にと作ったのがこのお稲荷さんという言い伝えがあり、それは吾妻鑑にも出ているそうです。
案内板に誘われて急な階段を心臓をパクパクさせながら上り詰めると、質素な稲荷神社がひと箱建っておりました。この辺は鎌倉時代から鶯で有名なところで、三代将軍の実朝がこの地を訪れたそうです。
お稲荷さんは別にどうということもなかったのですが、驚いたのはその近所のハンオキの茂みになんと美しいゼフィルス蝶の代表選手、ミドリシジミが数匹飛んだり止まったりしていたことで。通常なら6月の梅雨時に羽化するミドリシジミがなんで今頃こんな鶯山の麓で遊んでいるのか、それこそ志一上人とその友達の狐クンの導きとしか思えませんでした。
ハンノキがあるから生きられるミドリシジミの命の母よ 蝶人