あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

半蔵門の国立劇場で「通し狂言平家女護島」をみて 

2018-10-28 12:46:06 | Weblog


蝶人物見遊山記第293回



ついこないだの橋之助が、いつの間にか八代目の中村芝翫になっていて、清盛と俊寛僧都の2役を、物凄いしゃがれ声で演じていました。

平家に対する陰謀の廉で喜界ヶ島に流された俊寛は、ひとり取り残されてうおううおうと嗚咽するのですが、芝翫のその声たるや、三階席の右端に座っている私の難聴気味の耳朶を聾するくらい猛烈なもの。

これを今月の1日から私が見物した24日まで毎日毎晩やっていたのですから、喉がもつわけがない。それでもひしゃげた声を振り絞ってセリフをちゃんと喋っていたから偉いもの。とうてい軟弱な喉の吉右衛門、白鸚、藤十郎なぞに出来る芸当ではありません。

それはそれとして、この近松門左衛門のシナリオは平家物語の島流しのお話と違って自由奔放の限りを尽くしている。正使が2人もいて、一人は成経、康頼しか赦免しないといううのに、もう一人の正使は清盛ではなく教盛の赦免状を持参していて、そこには俊寛の名がある。

ところがその俊寛、成経と結婚した海女の千鳥を帰国させるために赦免を辞退しようとするのだから、訳が分からない。ついには傲慢不遜な正使を殺害し、その罪をひっかぶって島を出ないことに自分でしてしまうなんて、こりゃあんまりな自業自得ではないかいな。

まあその他、清盛が厳島神社の御座船から後白河法皇を海に突き落として殺そうとしたり、反天皇制主義者が泣いて喜ぶような、3幕終盤のサプライズもあって、退屈する暇のない通し狂言でありました。

    半蔵門の国立劇場のわが指定席3階12列60番なり 蝶人


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