照る日曇る日第1473回
聖書は神様がみずからお書きになったという説を唱える人がいるが、それは明らかな間違いで、やっぱり同時代かそのちょっと後の弟子や信奉者が書いたのだろう。もしも神様だったら、同じ話をマタイやマルコやこのルカ伝にダブリで載せるはずがない。
新約聖書の冒頭がマタイ伝で次はマルコ、このルカ伝は3番目になるが、前の2書と同じ話が3回も繰り返し出てくると、村上春樹ではないけれど「やれやれ」と言いたくもなる。
しかし仔細に検討すると、このルカ伝独自のコンテンツも「伝道のために弟子72人を各地に派遣する」、「善きサマリア人」「マリアとマリア」(10章)、「愚かな金持ちの譬え」(12章)「安息日に腰の曲がった老女をえ癒す」(13章)、「客と招待する者への教訓」、(14章)、「無くした銀貨、いなくなった息子の譬え」(15章)「不正な管理人」、「金持ちとラザロ」(16章)「徴税人ザーカー」(19章)などかなり多いので、信者の方から叱られるかもしれないが読み物としては最高に楽しい。
けれどもいちばんの驚きは、冒頭のイエスの先達である洗礼者ヨハネの誕生余話である。
イエスの母となるマリアに処女懐胎を告げた大天使ガブリエルは、狼狽するマリアを落ち着かせようと、「大丈夫あなたの親類の老女エリザベトさんにも赤ちゃんが生まれるんだから、ガタガタ言いなさんな」と変に励ます。するとここがマリアの可愛らしいところだが、彼女は早速エリザベトの家を訪ねて「賛歌」を歌い、なんと3か月も滞在したというのである。
これを「同病相憐れむ」などと書いては、また信者の方からお叱りを受けそうだが、倶に主から大いなる祝福を享けた同じ運命の2人の女性は、3か月の間にすっかり打ち解けて世紀の奇跡をしっかり受け入れる準備ができたに相違ない。
イエスの死後、12弟子は逃亡したが、ガリラヤからやって来た女たちは、終始イエスに付き添い、からっぽの墳墓の前に座っていた。その女たちとはマグダラのマリアであり、ヨハナであり、イエスの母マリアなどであった。
男は逃げたが女は逃げなかったのである。
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世の中の詩集や歌集の殆どが私費出版とは知らなかったな 蝶人