あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

半蔵門の国立劇場で「南総里見八犬伝」をみて

2015-01-16 10:03:45 | Weblog


茫洋物見遊山記第166回


 曲亭馬琴の有名な大河浪漫大小説を渥美清太郎がうまく脚色して尾上菊五郎が監修した本作は人情噺よりも立ち回りと荒事、そして要所要所でのと大仕掛けの場面転換が眼にも鮮やかな正月らしいエキサイティングな通し狂言でした。

 発端の里見家の息女、伏姫と迷犬八房の絡みからして規模雄大な舞台が幕を切って落とされますが、序幕本郷円塚山における犬山道節(尾上菊五郎)の火遁の術による華やかな登場、2幕目足利成氏館芳流閣上の犬塚信乃(尾上菊之助)と犬飼現八(尾上松緑)との息もつかせぬ大格闘が最大の見どころです。

 特に感動したのは回り舞台を回転する天守閣から信乃に蹴落とされた捕り手の面々が、バック転しながら舞台暗渠に落下したあと、その姿が3階席の私たちから見られないように黒布を前身に纏いながらゆるゆると姿を消していくことで、そんな隠れた細部にまで神経を遣っている役者魂にいたく感嘆させられたことでした。

 大詰の扇谷定正居城における善悪両党の一大決戦における鳴りもの光りもの大爆発は目が眩むほど華やかなものですが、もしかするとこういう勇壮無比な大スペクタクルこそ本来の歌舞伎の姿なのかもしれません。

 細部で瑕瑾無きにしもあらずながら、全体としてのお芝居の楽しさと勢いと鮮度は抜群でとりわけ美術部門、大道具、小道具の充実と健闘に拍手を贈りたいと思います。 

 なお本公演は来る27日まで。



  なにゆえに松竹歌舞伎座に行かないか阿呆莫迦再建計画には反対だった 蝶人
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ダン・アイアイランド監督の「クレアモントホテル」をみて

2015-01-15 16:32:04 | Weblog


bowyow cine-archives vol.754


 スコットランドの田舎からロンドンの同名のホテルに投宿したおばあちゃんの周りに巻き起こる悲喜交々の人間模様を映画は温かく描き出していく。

 そのおばあちゃん、はじめはあんまり昔は美人でもなかったのだろうなと思っていたが、なんと当年とって85歳になるジョーン・プロウライトはあの名優ローレンス・オリビエの妻であり、長年にわたって舞台と映画で活躍してきたと知って驚いた。

 ただのおばあちゃんではなかったのである。

 袖摺り合うも多生の縁、実の娘や孫よりも親切な赤の他人と意気投合し、そこから生きる力を汲み取るのは人世の常であるが、この老婦人が若者たちを励まし、励まされながら生き難い人生を生き続ける姿は多くの観客の共感を呼ぶに違いない。


 沖縄を見よ満州を見よいざとなれば我らを見棄てて逃亡する軍隊 蝶人

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ベルトラン・タヴェルニエ監督の「ラウンド・ミッドナイト」をみて

2015-01-14 20:02:27 | Weblog


bowyow cine-archives vol.753


 伝説のアルト・サックス奏者と彼の熱烈なファンであるパリジヤンとの生涯にわたる友愛を描く映画です。

 まずデイル・ターナー役に扮したアルト・サックス奏者のデクスター・ゴードンの演奏と演技が素晴らしい。ジャズとアルコールしか目がないこの老人が「音楽以外すべてに疲れた」と呟きながら巴里の街角を彷徨する姿を見るとすぐにもくたばってしまうのではないか、と心配になりますが、ひとたびサックスを口にすると見事な演奏を繰り広げる。

 天才ミュジシャンの末路を案じた若きパリジャンは、そんな彼を自宅に迎え入れ、娘ともどもまるで実の家族のように暮らし始めます。彼らが関係者を集めて開いたホームパーティにおける演奏と団欒は絵に描いたように仕合わせな光景ですが、やがて老奏者は地元NYでカムッバックするのですが、そこは巴里のような居心地の良さはまるでなく、ああ無情、やがて悲しい最期を迎えることになるのでした。

 そんな無常感が全編を通じてひしひしと伝わってくる映画にも関わらず、彼の人となりを見、音楽に耳を傾けることの気持の良さというものが2時間にわたってゆるやかに持続するのは演出というよりもデクスター・ゴードンの持って生まれた魅力に依るのでしょう。

 ハービー・ハンコックをはじめ有名ミュジシャンがどっさり登場するオマケもあります。しかし巴里にはブルーノートなんてジャズクラブはなかったはずだけどなあ。


  サザンの歌はワアワアワアお前の頭はパアパアパア 蝶人

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京に着ける午後~「これでも詩かよ」第118番

2015-01-13 10:34:36 | Weblog


ある晴れた日に 第277回


ライターの女性と私は、京都のあるお寺へ向かった。

取材は彼女にまかせて内部をぶらぶら歩いていると、広く薄暗く猛烈に暑い部屋のあちこちで男女が立ったまま抱擁して呆然としている。

私は一瞬歓喜仏ではないかと疑ったが、まぎれもなく生きた男と女のからみあいなのだ。

しかしよく見ると、男あるいは女が一人で棒立ちになってその姿かたちが熱で溶解している姿もあった。

いったいここはどういう部屋なのか。もしかすると彼らは即身成仏の途上にあるのかもしれない。

おそるおそる広間から後退した私は、ライターと合流して寺男の案内で別の小さな寺院に向かった。

ここは門が高いのでよじ登って入るしかない。寺には中年の艶めかしい女性とその娘がしゃがんで遊んでいる。

尿意に駆られたライターが慌てて便所を探したが、間に合わなかったとみえて少し離れたところでしゃがんで用を足すと、それが近くを流れている小川の流れに乗ってここまで流れてきた。



 軍隊が民衆を守るなんて冗談じゃない満洲沖縄みな裏切りやがった 蝶人
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西暦2015年のお正月に2本の「エイリアン」をみる

2015-01-12 11:25:08 | Weblog


bowyow cine-archives vol.751&752

◎リドリー・スコット監督の「エイリアン」をみて

 何度見ても面白さが失せないのはさすが才人リドリー・スコットなり。

ギーガーの鬼面人を驚かせる作りものといい、頑固で一癖もふたくせもある科学者がじつはロボットでありというサプライズといい、ようやくヒロイン、シガニー・ウィーバーが脱出に成功したはずの飛行船に潜んでいた怪物といい、可愛いネコちゃんという伏線といい、じつに見事な連続荒技で、観客をぐんぐん引っ張ってゆくのであったあ。

◎ジェームズ・キャメロン監督の「エイリアン2」をみて

 リドリー・スコットが身を引いたあとの続編だしきっと失敗するのではないかと思っていたら、かなり表現が雑駁にはなっていたけれど、ジェームズ・キャメロンが見事にスリルとサスペンスを盛り上げたのは立派なり。

 どんな窮地に追い詰められても断固戦う女丈夫シガニー・ウィーバーの存在感を際立たせることに成功した。



  しばし待てエイリアンが飛び出すだろう安倍蚤糞は獅子身中の虫 蝶人
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西暦2015年のお正月にいろんな「バットマン」をみる

2015-01-11 11:12:46 | Weblog


bowyow cine-archives vol.745、746、747、748、749、750

◎ティム・バートン監督の「バットマン」「バットマン リターンズ」をみて

 バットマン役やその恋人のキム・ベイシンガーなどはどうでもよいが、悪役ジョーカーに扮した名優ジャック・ニコルソンの圧倒的な怪演を堪能できる。しかしあんな毒液の中に落っこちると骨も肉も蕩けて死んでしまうはずなのだが、どうして顔だけ変形して生き延びることができたのか不思議。

 不思議と言えばバットマンてどこまで超絶肉体なのか映画をみているだけでは分からない。鋼鉄自動車が欲しくなる映画なり。

 続編の「バットマン・リターンズ」でも目立つのは主人公ではなく、敵役のペンギン男ダニー・デヴィートと恋人役の猫女ミシェル・ファイファー。悪役が得意なクリストファー・ウオーケンなど完全に霞むほどの大活躍で世界暗黒化に貢献している。

 監督のティム・バートンとしては人間の善悪の二面性に光を当てたいのだろうが、そんなお題目よりブラックヒーローのいびつな魅力が冴えわたる異色作なり。

◎ジョエル・シューマッハー監督の「バットマン・フォーエバー」「バットマンとロビン」をみて

 監督と主役が交代したバットマン・シリーズの第3作は、前作と前々作にくらべてさらにくだらなさが前面に出た。

 主役のぼんくらマイケル・キートンが同じく凡庸なヴァル・キルマーに交代しても別に痛痒を感じないが、肝心かなめの悪役のトミー・リー・ジョーンズが不発に終わり、ジム・キャリーにはさらさら魅力がなく、物語の2極構造と推進力を喪失した映画は、善玉に訳の分からない助っ人を追加したことによってさらにつまらなくなっていったのである。

 ゆいいつ見るに耐えたのはヒロイン役のニコール・キッドマンのみ、という体たらくなり。

 4作目の「バットマンとロビン」では悪役になんとアーノルド・シュワルツェネッガーが冷凍怪人Mrフリーズを演じるがこれがいかにも寒い。

 寒すぎるというのでもう一人ユマ・サーマンを狂気の植物毒女に配したので、バットマン勢もこれに対抗すべくジョージクルーニーとバッドガールを投入、3枚駒で善悪入り乱れての戦いとなるが、もはやこうした対決図じたいが原作の漫画以上にあほらしい漫画になってしまい、ともかく終りまで見るのがつらいのであった。

◎クリストファー・ノーラン監督の「バットマン・ビギンズ」「ダークナイト」をみて

 本作はシリーズの冒頭で描かれるべき主人公の来歴、バットマンがなぜバットマンになったか、ならざる得なかったかをなんとシリーズ5作目にしてしらじらしく物語るという次第に驚きあきれはてたが、この作品ではじめてまともな演技ができる主人公が登場したのは、いささか遅すぎたにせよ慶すべきことではある。

 ノーランの演出は漫画調を大きく逸脱した糞真面目風。バットマンと対決する武道の達人に渡辺謙が出演して英語を喋っている。

「ダークナイト」ではもはやバットマンがヒーローどころかただの悩める弱き存在に堕してしまい、満身創痍でジョーカー一味と戦う姿は悲愴そのもの。最後は恋人にも振られ、死なれ、可哀想なくらい。

 悪の権化ジョーカー(ヒース・レジャーが強烈な存在感を示す)を殺せば己の性善説が崩壊してしまうがゆえに殺せず、殺さず、諸悪の根源は己であるとして腐敗都市ゴッサムシティのために犠牲的精神を発揮するのであったあ。

 百鬼夜行と見えつつ、実は一握りのエリートが富と権力を独占しているゴッサムシティとは、すなわち平成日本の暗黒社会そのものなのである。

  目に見えぬ暗黒物質に囲まれて我ら今ゴッサムシティの住人 蝶人

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独グラモフォン盤「ワーグナーオペラ全集」全43枚組CDをきいて

2015-01-10 10:32:41 | Weblog


音楽千夜一夜第340回

初期の歌劇「妖精」や「恋愛禁制」、「リエンツィ」から最後の「パルシファル」までワーグナーのオペラをすべて収録した全集ですが、やはり聴きものは楽劇「ニーベルングの指輪」でありましょう。

このワーグナー畢生の大曲をセルの愛弟子ジェイムズ・レヴァインが手兵メトロポリタン歌劇場管弦楽団を振って充実した演奏を繰り広げています。歌手はモリスやモル、ベーレンスやイエルザレム、ノーマンなどですが、首になる前の阿呆莫迦バトルもちょい役で歌っています。

これらは全部セッション録音ですが、やはりライヴのほうがレヴァインも燃える。同じ曲でもビデオの実演のほうに軍配があがります。

「トリスタンとイゾルデ」はカルロス・クライバーの定評ある名盤ですが、「指輪」と同じことがいえます。彼のドキュメンタリーの中に、バイロイト音楽祭でのリハーサルをモノクロ映像で指揮姿のみを断続的に撮った映像があるのですが、これを一度でも見たことのある人は、こんなCDなど別人28号だというに違いありません。

トリスタンやイゾルデと共に歌いながら、熱にうかされたように棒を振る鬼神のようなその姿、そして天から降り注ぐような圧倒的な音楽は、もはやこの世のものとも思えないものです。

ああ、あの全曲の録画が残っていたら千金を叩いても買い求めたいものを!


  凡百のくだらぬ指揮者を葬りて百年にひとりの天才を蘇らせたし 蝶人
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夢は第2の人生である 第22回 

2015-01-09 10:40:44 | Weblog


西暦2014年長月蝶人酔生夢死幾百夜

日払いマンションに住んでいた私。毎日会社から帰ると、お金を入り口に投入して扉を開き、2DKの部屋に入ると、奥の6畳間に居る女の処へ行って、朝まで抱いたり抱かれたりしているうちに、とうとう尻子玉を抜き取られてしまった。9/1

マンチェスターかリバプールの小さな村に、私たちは3人で住んでいたのだが、MORE OVERという歌が有名になると、「MORE OVERとつぶやくとすぐに有名になれる」という伝説が生まれて、世界中から大勢の人が押し寄せた。9/3

大部屋住まいの新米役者見習いの私は、大先輩の五味龍太郎氏の付き人として、信長に侍従する日吉丸のような謙恭な態度で、諸先輩の芸を盗みとろうとしていたが、いつまで経ってもなんの収穫もないのだった。9/4

テレビで宝くじの当選番号を放送していたので、私はそれを全部メモしてから宝くじ協会の倉庫に忍び込んで当たりくじだけを拾って引き揚げた。これで当分生活できそうだ。9/5

久しぶりに地上に降りてきたら「テニスのなんとか選手を知ってるか」、「テング熱を知ってる蚊」などとブンブブンブとうるさいので「んなもん知るか、要らんことを知るくらいなら、なんも知らんほうがよっぽど健康的じゃ」と答えると、そいつはアキレタボーイズになって黙ってしまった、9/5

私たちは決死の覚悟でその城砦に立て篭もったのだが、指導者たちは籠城の意思を固めたために、日が経つにつれて食糧が乏しくなった。これでは戦うためではなく、飢え死にするためにここへやってきたようなものだ。9/6

私の城の主はだんだん若返って、いまでは孫の代から曾孫、玄孫の代にまで及ぼうとしていた。9/7

1937年、帝国軍の上海攻撃に井汲氏と参加することになったので、私らは緊張高まる日本海の荒波を乗り越えて、中国本土に到着した。9/9

私がモンブランの設計図を立体化した着ぐるみを身にまとっていると、吉田秀和翁がなぜか非常に興味を持って「とってもいいね」とほめたたえるので、私はいつのまにか大勢の人々に取り囲まれてしまった。9/10

李氏朝鮮時代に渡海した私は素晴らしい馬を見つけたので、「これはいくら」と尋ねたら5千ウオンというのだが、その時代にウオンなる通貨単位が存在しているか否かが不明だったので、さんざん迷った挙句に買わずに帰国した。9/11

最愛の耕君が大阪道頓堀の名物カニ料理の前で行方不明になったので、旅行はそこで中止となり、警察が大捜索を開始した。9/11

イケダノブオが「佐々木さん、これからは耳たぶデザインの時代だと思うんです。それで耳たぶデザイナーの名前を考えてくれませんか」とせがむので、面倒くさくなった私は、「耳たぶデザイナーでいいじゃないか」と答えた。9/11

オバマ氏に招かれて、キッチンがついた6畳間だけの木賃アパートへ行った。煎餅布団が敷きっぱなしの狭い部屋は、ごみやがらくたでいっぱいだったが、孤独な大統領は「私が心からくつろげるのは、世界中でここだけなんですよ」と、涙目でぼそぼそと呟くのだった。9/12

スイスのチューリヒで開催されている国際ネーミング大会から招待されて、私は空港からタクシーで会場に直行したのだが、何千名も収容できる国際会議場には、人っ子ひとり、猫の子一匹いなかった。9/12

暮れなずむ巴里の街角のカフェで西田佐知子が♪オークレールドラリューン、メザミピエロと歌っていたが、「アカシアの雨に打たれて」とは勝手が違うので、ずいぶん音程が狂っていた。

インディアン、つまりアメリカ先住民の襲撃に備えて最前線で銃列を敷いていた私に、隣の男が「あんたの母校はどこだい?」と聞くので、「長岡先祖学校だよ」と答えると「それははじめて聞く名前だな」と言うので、私もそう思った。9/13

茂原印刷が謹製した円、ドル、ユーロ、ポンドなどの紙幣の偽札は、みな溜息が出るような傑作ばかりだったが、特に素晴らしい出来栄えだったのはキューリー夫妻やドビッシーの肖像が印刷されたフランの旧札であった。9/14

インド帰りの吉田君が「上野桜木の家に来て泊れ」というので、久しぶりに東京に出かけた。まだ旅館や下宿のある本郷西片町や母の生まれた谷中の坂道を辿っているうちに急激に懐かしさがこみあげてきて、もう一度この地で青春を送りたいと思った。9/16

私の右の胸のあばら骨の下にいた武装兵が、私の左胸のあばら骨の下にいた無防備の人々に襲いかかって皆殺しにしたので、彼らが極右のテロリストと分かった。9/17

若い男女2人がシャドー・バスケットをはじめたので、中年男もそれに加わろうといたのだが、その動きについていけず、尻尾を巻いてすごすご逃げ出した。9/18

卒業生たちがお礼参りにやって来て、学校のすべての教室に大量のウンチをまき散らしていったので私たち在校生は驚いたが、それがもしかすると黄金に変わるのではないかと思ってそのままにしておいた。9/20

こんなに狭い島なのに権力闘争は続けられ、細川宮はナチの応援を求めて接触しようとしていたが、荒川将軍は「そんなことは断じて許さん」と息巻いていた。9/20

宝くじが外れたというので、私は右腹を偽の息子に刺されたが、それでもなお豆腐を作る手をやめなかった。9/21

最近私のSNS友になった戸田という男が、朝から晩まで大量のメールを送りつけてくるので、私は夜も寝れずノイローゼになってしまった。9/22

大阪支店の支店長に、「「JALには商品を卸すけれど、ANAには卸さない」というのはどういう理屈かね」と、問いただしているうちに朝になった。9/22

必死に逃げ回ったけれどついに捕えられた私は、太陽神ラアのピラミッドのてっぺんで心臓をえぐり取られることになった。9/23

私のように才能のない醜い男がふぁっちょんデザイナーになれるなんて思ってもいなかったのですが、どういう風の吹き回しかなってしまうと、真木よう子似の美人が近寄って来て一夜を共にしたいなぞと囁くのでした。9/25

明日から戦車隊の後部砲員に配属されることになったが、エコノミー症候群の私は、その密閉された狭い空間が恐怖で、今のうちに屋外に出て深呼吸をしておこうと思うのだが、それも出来ないのだった。9/25

その広告会社の本社兼社員用アパルトマンには、てんで仕事をせずにデスクの上で寝そべっている大勢のぐうたら社員がいたが、彼らの大方がクライアントのアホ馬鹿子息だったので、会社は首にするわけにもいかず、飼殺しにしているのだった。9/26

その会社の本社ビルジングの最上階は6畳くらいの狭い1室があって、そこには風采の上がらない無精ひげをはやした中年男がひとりで住んでいたのだが、朝な夕なに有名人やタレントたちが訪ねてきて、なにやら怪しい人世相談に乗ってやっているのだった。9/26

明田五郎の家は地下にあるというので、我われがどんどん階段を降りていくと、烏賊や蛸が切り刻まれている部屋や、血まみれの嬰児の死体が散乱している部屋がまるで菊人形のようにあらわれたが、地底の奥底の部屋に五郎は座っていた。9/27

深夜まで残業したあとでタクシーで帰宅し、車から降りて我が家に向かっている。真っ暗な坂道を喘ぎながら登っていると、なにやら足元でもぞもぞ蠢くものがある。はじめはゲジゲジかムカデかと思ったが、良く見ると蠍の大群だった。1メートル近い巨大な奴が躍りあがって尻尾を振った。9/28

レリアンの今井社長がすぐにテレビCMを制作してもらってくれというので市電に乗って電通の築地本社へ行き、プランナーに依頼したのだが、「ったく、やんなっちゃうなあ、忙しくて3日も家に帰っていないんですよ」とブウブウ文句をいう。9/29

 それをなだめすかしてともかく今晩中になんとかしてくれよと頼むと、彼は社内の自動販売機に1万円札を入れて「CM企画キット」を取り出し、私に向かって「ではオリエンをお願いします」と言う。9/29

 このCMのターゲットは誰で、訴求する商品のセールスポイントはなにかを教えてくれと迫るのだが、私はまさかこんな展開になるとは思わなかったので、「ミ、ミ、ミッシーカジュアル」とつぶやいたまま絶句した。9/29


  ヨミウリやサンケイ繰れば聴こえて来るよいと勇ましき軍楽の響き 蝶人

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吉田秀和述「モーツァルトその音楽と生涯第4巻」を読んで

2015-01-08 11:03:31 | Weblog


照る日曇る日第753回&音楽千夜一夜第340回


 この巻では1782年から86年にモザールが作曲した「ハフナー交響曲」、「ハ短調ミサ」、「リンツ交響曲」、弦楽四重奏曲「狩」、ピアノ協奏曲k466、467、「プラハ交響曲」などが扱われているが、やはり中核をなすのは「フィガロの結婚」でありましょう。

 故吉田翁はこの世界一のオペラ(と私は考えています)をショルティ&ロンドンフィルの演奏で紹介していますが、私ならフルヴェンかベームかクレンペラーかエーリッヒ・クライバーかと迷った挙句に、クライバー&ウィーンフィルにするでしょう。

 普通の指揮者のだとCD3枚組ですが、これはあまりに快速なので2枚に収まるのもお得だし、何よりも演奏が圧倒的に素晴らしい。序曲の弾みからしてシャンパンのように沸き立つ生命の祝祭そのもの。1955年の録音なのによくぞステレオで入れてくれたと、今は亡きデッカの技術陣に感謝したくなります。

 でも、でも、もしも、もしも息子のカルロスが振ってくれたら、間違いなくもっと凄い演奏になったはずなのですが、ないものねだりしても仕方がありませんね。

 吉田翁も指摘されている通り、この曲の急所は終幕第14場で、阿呆莫迦アルマヴィーヴァ伯爵が「Contessa,perdono」と謝ると妻のロジーナが「Piu docile io sono E dico di si」
とすべてを呑みこんで許してやる数小節にあるのですが、録音でもライヴでもこの瞬間に全世界が静止して「皆許しの天使」が宙空から降臨しない演奏はみな失格です。

 なお、本巻でも1枚のCDがおまけに付いていて、懐かしき翁の声音を音楽の抜粋と一緒に聞くことができます。


    壇ダダン弾ダダン段々無くなる権威のお城 蝶人
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川井怜子著「メチレンブルーの羊」を読んで

2015-01-07 11:04:15 | Weblog


照る日曇る日第752回


メチレンブルーの羊のわれは混みあへる路線バスに乗りつつじ見に行く

 という歌からとられた題名に、まず意表をつかれました。

 メチレンブルーとは美しい青色の色素で、ウールを染色したりするそうだから、青いセーターを着た作者が満員バスに揺られて、さながら一匹の迷える羊のように、まだ行ったことのない行楽地に向かおうとしているのかもしれません。

 ともかくこの歌人は、一撃で物事の本質を捉えます。

たっぷりとインクつまれど字の書けぬボールペンのやうな人に会ひました
九月六日月曜日午後三時よりスーパーいなげ屋の茄子詰め放題
銀色のアンクレットゆれる足首をふと摑みたい地下鉄の段

 鋭い観察眼と的確な表現、そしてそこから膨れ上がってくる斬新なイメージに、私はいたく驚かされました。

たうがらしむむつとふりてほれぼれと団十郎がうどんを食ふも
あの人は何処へ行くのか晴天を雨傘一本抱へ降りゆく
救急車に運ばるるいのち電車より見下しながら併走しをり

 事象をリアルに射抜く作者の眼は、同時に夢幻的でもあります。
 写実と幻想、日常と非日常のさりげない同居! そこでは短歌が一行の童話でもあるようです。

少年の象使ひは夢をみるならむ胸板厚き青年象使ひを
月光は大人の時間コンビニの袋ゆらしてぶらんこに乗る
声明るき車のセールス小川さんがあきらめかへる春のゆふぐれ
食ひ食はれ戦ひののち残りたる一匹のこぶたのお話ししましょ

 さりげなく歌っているけれど、この歌人の技巧には舌を巻くほかありませぬ。

クローバーの花野荒らしてふりかへるなにごともなきクローバー花野
尾を捨てし一大事件なんのその蜥蜴は温き春の石の上
魚清はわが家の変遷見てきたり四匹、三匹、二匹の秋刀魚

 また、いきなり読者を驚かせることも……。

文旦の黄の明るさを抱へをり軍場(いくさば)なれば御首ひとつ
くれなゐの葉脈粗きもみぢかな われに関東の血は流れつ
紅白の夾竹桃を門先にはべらすO氏邸のかがやく祥気

されど、伴侶に向けられる視線がなぜか暗いのが、気になります。

ハンイバル戦記夜毎に読む夫のこころの行方われは問はざり
地下鉄の窓のさみしさ夫にいへば「ああ」と答へて本を読みゐる
蕨餅と葛餅のちがひ三十五年分からぬ人とけふもくらせり
新しきテレビの前に磔刑となりし家人と袂を分かつ
美術館にはぐれし夫は木の陰の吹かるる椅子に腰かけゐたる
千円の不具合の傘かへし行くわたしを夫は怖いと言えり

 所詮人世は、暗く、寂しいものなのか?

あはあはと齢をかさねかたくななこころばかりがこつんとありぬ
六十歳から七十歳までが楽しき日日深く頷くうなづきてさみし
日蔭茶屋の黒き柱に背をもたれ魚食ふわれらただに夫と妻
嘘をつくたのしみなどもなくなりて一つソファーの両端にゐる
絶え間なく花咲き実のなるこの国に人間のみが年老いてゆく

 しかし作者がこの世界に注ぐ眼は、思いのほか温かく、そこからは新しい光がさしてくるように感じられるのです。

両の手をそつとひらけばカブトムシの幼虫ごろりきみのたからもの
何ならむこの明るさはレモンイエローのセーターにわれは隠れむとして
一匙のスープにぽつと口をあく赤子にわれらみな口をあく

 歌人のご健勝とご活躍を心から祈念いたします。


  耕君が首長くして待っている鎌養の教師に出した年賀状の返事 蝶人
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椎名誠著「ぼくは眠れない」を読んで

2015-01-06 11:49:22 | Weblog


照る日曇る日第751回


 そういう名前の小説と思っていたら、なんのことはない著者の実際の体験を告白録だった。作家になってから夜中に頭が冴えて眠れなくなり、酒を呑んだらかえって覚醒するようになったので睡眠剤のお世話になっているという話だった。

 私はそういう不眠症にかかったことはないので、売れっこ作家も大変だなあと思ったが、そんなおのれの不幸をネタにして新たな本を書くというか、書かされるのも因業な話だなと、それにはさして同情できなかった。

 本書の中でちょっと夢や睡眠着について触れた個所があったが、そもそも睡眠について興味を覚えたのは、友人の前田さんがかつて勤務していた枕メーカーが睡眠に関する研究をしていて睡眠着に関するシンポジウムに出席してからだった。

 人は誰でも夜中に猛烈に暴れまわっていることをビデオで見せられ驚いたが、朝になると寝る前と同じ姿勢に戻っているので、当の本人も覚えていないのである。

 人生の1/3は布団やベッドの中で過ごすにもかかわらず、その睡眠環境の快適さの研究はほとんどなされていないことがよく分かり、なるほどこの未開拓の領域を科学することは新たな真理と新たな製品を生み出すだろうと思ったことだった。

 私が自分の見た夢を記録するようになったのは、仏詩人ネルヴァルや明恵上人の「夢記」の影響が大きいが、その大元はこの時の「睡眠シンポジウム」だった。

 夢が第2の人生であることは、毎夜の夢を自分で記録してみればよく分かる。そこには白昼の自分とは似ても似つかぬ、制御不能のとんでもない自分が、闇の中に跳梁しているのであるが、その見知らぬ自分を含めての自分が、豊かに拡張された新たな自分なのである。



リモコンで切り替えても切り替えても出てくる存在自体が不愉快なあの醜い顔 蝶人
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三谷幸喜監督の「清州会議」をみて

2015-01-05 11:05:56 | Weblog


bowyow cine-archives vol.744


 全編モノローグで書かれた同名の心理小説が面白かったので、期待していたがそれほどでもなかったのはなぜだろう。有名な役者を思いのままに起用しているにもかかわらず。

 大泉洋の秀吉はミスキャストかと思っていたがなかなかの健闘。しかし役所広司の柴田勝家はどうも違和感が残る。佐藤浩市の池田恒興はどうにも落ち着きが悪いし、鈴木京香のお市の方はろうたけ過ぎて顔がぐちゃぐちゃ。こんな醜い女には誰も惚れないだろう。

 結局いちばんぴったしカンカンだったのは小日向文世の丹羽長秀だけという体たらくで、適材適役に失敗したのがこの映画の敗因だろう。


 切れ目のないシームレス・ストッキングを被った醜い男が抜け目のない選挙をしたようだ 蝶人
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稲垣浩監督の「無法松の一生」をみて

2015-01-04 13:23:55 | Weblog


bowyow cine-archives vol.743


 武骨者の三船敏郎が、寡婦高峰秀子を思慕しつつ白い雪の上で死んでゆく哀れな純愛物語なり。

 貧富や階級の違いがあればあるほど、男は女を理想化し、密かにわがものにしたいと熱望する。

「奥さん、おいらは汚い男でがす」と永遠のマドンナに包み隠さず告白するシーンがあればこそ、この映画は真の人間ドラマとなった。

 2度目の映画化に挑んだ稲垣の演出は全然あか抜けないが、かつてギュンター・ヴァントが愚直なプラクティスを繰り返すうちにある日突然ブルックナーの真髄をつかむことに成功したように、三船の演技に似た愚直さを積み重ねていくうちに、かの祇園太鼓の乱れ打ちのエクスタシーにおいて、ある種の悟達の境地に至ったようである。

 ベネチアにおける金獅子賞の授与は、その思いがけない御褒美でもあったろうか。




まなかいてふ言葉をいちど使ってみたかったまなかいまなかい私の短歌に 蝶人

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西暦2015年の歌~「これでも詩かよ」第117番

2015-01-03 11:01:42 | Weblog



ある晴れた日に第276回

一つの朝
一つの昼
一つの夜
を過ぎて
またここに新しい朝

一つのよろこび
一つの悲しみ
一つの死
を過ぎて
またここに新しいよろこび


一つの空
一つの海
一つの山
を過ぎて
またここに新しい空

一つの歌
一つの夢
一つのよみがえり
を過ぎて
またここに新しい歌


  20枚連番で買うておけば1億円当たつていたと妻が言うあはれあはれ 蝶人
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謹賀新年

2015-01-01 14:14:35 | Weblog



あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

2015年元旦


   誰ひとり通らぬ道を歩みゆく風が過ぎゆく真白き道を 蝶人
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