あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

クラウディオ・アバドの独グラモフォン交響曲全集を聴いて

2015-11-14 11:07:08 | Weblog


音楽千夜一夜第351回


 ついこないだ亡くなったばかりの指揮者を偲んで全41枚のCDを聴いてみました。

 収められているのは順番にモーツアルト、ハイドン、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームス、ブルックナー、マーラーで一番多いのは彼がシェフをつとめたベルリンフィルですが、晩年のルツエルン祝祭管の演奏もあります。

 いずれもいかにもアバドらしい「清新にしてクールな」アプローチが耳に残りますが、いつ聴いても心が洗われるのはモザールの演奏で、惜しまれつつもあっさり解散してしまったモーツアルト管弦楽団との後期交響曲集は、私の生涯の宝物となりました。

 彼が下馬評の高かったロリン・マゼールやバレンボイムをい退け、カラヤンの跡目を相続したきっけとなったのは、ブラームスの難曲である交響曲第2番の熱演でしたが、この選集ではベルリンフィルとマーラー室内管による2つのセレナードが入っていて、4つのシンフォニーに劣らぬ秀演を聴かせてくれます。

 カラヤンの跡を継いだものの長く不振が続いたアバドでしたが、その低迷を脱した記念碑的な演奏が、ベルリン最末期のベートーヴェンの全曲演奏。その大半がローマでのライヴで(まず映像でリリースされました)、例えば2番、7番などを聴くと別人28号のような精気が漲っており、どうしてもっとシェフを続けなかったのかと思うくらいです。

 彼の理知的なマーラーは既に高い声望を集めていますが、どうしても忘れられないのはロンドン響と入れたメンデルスゾーンの全曲で、スコットランドなどの調べを聴いているとやはり胸が高鳴るのはこれがアバドの青春の輝きの歌だったからでしょうね。


  2000ポイントのおまけがついたのに知らずに買った恨みは深い 蝶人
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デヴィッド・フランケル監督の「マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと」をみて

2015-11-13 13:05:32 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.940


 世界一だか日本一だか知らないがおバカどころかアホバカな犬は世界中、日本中にごろごろいるようだ。

 隣のアホ犬などは朝の六時から無駄吠えをして、向こう三軒両隣のみならず町内の善男善女を叩き起こしているのだが、いったいどういうつもりなんだろう。

恐らくこの映画に出てくるアホバカ犬と同様幼い時にきちんと躾なかったからだろう。それを怠ったがために自分たちはもちろんまわりの人たちにも非常な迷惑を掛けるのだ。

 私の愛犬だったムクもちょっと莫迦だったが、この映画に出てくるアホバカに比べたら全然許せる莫迦だったとしみじみ思うのである。


  新聞の歌壇に投稿すれどほとんどが没になり入選するは年に数回 蝶人
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秋の鎌倉文学散歩

2015-11-12 13:25:29 | Weblog


茫洋物見遊山記第192回&「鎌倉ちょっと不思議な物語」第359回




 鎌倉文学館の主催で年3回行われているこの催しですが、今回は「鎌倉文士の足跡」を辿るウオーキングでした。

 というても行動半径は駅の周辺の近場ばかり。午前10時に裏駅の時計広場に集合してお昼前には駿河銀行前で解散という短時間ツアーなんだね。もちろん文学館の学芸員の方が用意されたテキストをもとに懇切丁寧な解説をしてくださいますので毎回勉強になります。

 鎌倉文士というのはキザで嫌な言葉ですが、そもそも文士というのは武士という言葉ともども古事記や吾妻鏡に出ているといわれて、ちょっと驚きました。その当時は役所の事務方という意味で現在のように文学者などを意味しなかったそうですが。

 久米正夫、高見順、川端康成などの鎌倉文士が、戦争末期に喰うに困って始めた貸本屋「鎌倉文庫」は鶴岡会館付近にあり、その開設準備は小町通りと若宮大路をつなぐ路地にあった「龍謄」という喫茶店で行っていたそうです。

 昭和20年8月17日に鎌倉養生院で肺結核で亡くなった島木健作も、その死の直前までこの「鎌倉文庫」の企画に賛同して蔵書を提供しています。

 ちなみにこの鎌倉養生院というのは現在の清川病院で、中原中也も昭和12年10月22日にこの病院で亡くなっているので、私は彼らを悼むべく毎年の健康診断をこの倒産寸前の由緒ある病院で行っているわけです(笑)。

 中也と云えば以前の日記で、最晩年に彼が長谷の玩具屋「からこや」で空気銃を買ったと書いてしまいましたが、今回のツアーでそれは下馬四つ角にあった「林家」という今は材木屋になっている百貨店で買い求めたそうです。

 中也はそれで八幡様の鳩を撃ったようですが、私ならさしずめそこらへんにうようよしている凶悪にして獰猛なる台湾栗鼠を撃滅したいですなあ。


   月並みにあらざるはずの歌選び新聞歌壇に投稿するなり 蝶人
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保坂和志著「遠い触覚」を読んで

2015-11-10 11:12:20 | Weblog


照る日曇る日第827回



 この本をデビッド・リンチの映画「インランド・エンパイア」や「マルホランド・ドライブ」を見ながらの感想を綴ったエッセイだと云うたら、それはそうかもしれない。

 あるいは小島信夫やカフカやベケットやランボオや聖アウグスティヌス、カール・バルト、道元などを読みながら気づいたことどもの思索の軌跡と云うたら、それはそうかもしれない。

 あるいはまたこの本は著者が熱愛した歴代の忘れがたい飼猫の思い出の記と云うたら、それはそうかもしれない。

 あるいはこの本は現代日本語の表現に関する考察と実験の書と云うたら、そうかもしれない。

 あるいはこの本は、エッセイでも小説でもなく、とある映画やとある本や、日常の目の前に転がっているとある素材をネタにして、人世や芸術についてどこどこまでも考え続け、その無限に考える喜びに耽る或る種の快楽的哲学入門書かもしれない。

 著者がいうように、書くことと考えることとは、別である。ある本や映画をうわべで理解するだけでなくて、それを本当に自分のものにするためには、とりあえず自分が理解したことを(私がいつもやっているように)適当な文章にしてはならない。 

 それを行った途端に、私たちはその本や映画を生きることから遠ざかってしまうのである。


  一週間におよそ二十の歌を詠むそのほとんどが月並みなれど 蝶人
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鎌倉国宝館で「鎌倉震災史」展をみて

2015-11-09 13:02:53 | Weblog


茫洋物見遊山記第191回&「鎌倉ちょっと不思議な物語」第358回



 いつも仏像や御雛様の展示をしている国宝館が異色の展覧会を来る12月6日まで開催しています。題して「鎌倉震災史」。歴史地震と大正関東地震という副題がつけれれているとおり、当地における有史以来の地震や津波や地割れ、建築物倒壊、死傷や人身事故の赤裸々な実態を歴史文書と絵巻物、写真などで明らかにしています。

 「吾妻鏡」を読んでいると驚くのは鎌倉の地に夥しい天変地異が起こっていることで、その中には8回の地震&津波情報の他に、化物や精霊、怨霊、妖怪のたぐいの出現と併せて天文の異常を伝える記述も多く、そのたびに幕府はパニックになって例の博士に占わせています。

  例えば寛喜2(1230)年には、大規模な震災と山崩れ、液状化現象が、わが家の近所で発生しました。

 三代将軍実朝が父頼朝を偲んで1212年に建立した大慈寺(現在はカトリック修道院が建っている)の七堂伽藍は、裏山の阿弥陀山の大崩壊によって次々に倒壊し、滑川をはさんだ広大な敷地は、激震と液状化現象によって甚大な被害を蒙ったと「吾妻鏡」にも記されています。

 その後も鎌倉は建長5(1253)年6月の大地震、正嘉元(1257)年8月23日の山崩れ、地割れ、湧水、後代に入ると1703年の元禄大地震、1923(年の関東大震災など先日の東日本大震災に匹敵するほどの災害を経験しているのです。

 
 「天災は忘れたころにやってくる」と申します。ことし寛喜大震災から785年、関東大震災からは92年を迎える鎌倉が、またしてもの大震災に見舞われる日は、それほど遠くないでしょう。


   鎌倉がくたばる前に私をくたばらせてよ神よ仏よ 蝶人



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内田光子のシューベルト8枚組CDを聴いて

2015-11-08 12:58:46 | Weblog


音楽千夜一夜第350回


 一聴すればたちまち分かるように、これまでのどんなピアニストのどんな演奏とも鋭く一線を画する恐るべき音楽が鳴っている。

 内田光子は死んだシューベルトの霊を呼び出し、彼になりかわって白鳥の歌をうたい、鎮魂の真心を捧げているのである。批評家がなんといおうとも、恐らくこれまでの彼女の最高傑作ではないだろうか。

 ではどのようにしてこのような、もはや音楽にして音楽を逸脱したような異様なまでに我らの心に迫る演奏が生まれたのであろうか?

 内田選手のライナーノートによれば、彼女とフィリップスの有名なプロデューサー、エリック・スミスは、ウィーンの楽友協会ホールにおけるD894のト長調のピアノソナタを皮切りに、まずシューベルトのソナタ全曲を録音しようと固い約束を交わしていたそうだ。

 ところ幸か不幸かがちょうどその時、空前のモーツアルト・ブームが訪れ、彼らはおよそ12年の歳月をかけてモザールのソナタや協奏曲の録音に取り組むことになったという。

 ところがその間にエリック・スミスは引退し、あまつさえフィリップスが倒産して旧敵デッカに併呑されることになった。

 しかしシューベルトの音楽について彼と肝胆相照らした内田光子の決意は変らなかった。彼女はエリック・スミスをデッカに呼び戻し、懐かしのヴィーナー・ムジークフェラインで、この見事な歴史的録音を完成させたのである。

 
 シューベルトの「未完成」を聴きながら思うことどんな生も完成している 蝶人
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高橋源一郎選手独演会

2015-11-07 11:50:42 | Weblog


「鎌倉ちょっと不思議な物語」第357回&バガテル-そんな私のここだけの話op.214


 秋日和の昨日は、商工会議所で鎌倉文学館開館30周年記念の「鎌倉文士前夜とその時代」という講演会があり、高橋源一郎、館長の富岡幸一郎両氏の対談があった。

 富岡と云う人はてんで知らないが、私は処女作「さようなら、ギャングたち」以来の源ちゃんのファンなので楽しみしていたのだが、源ちゃん、定刻になっても現われない。

 会場を間違えたそうでおよそ10分間の遅刻であったが、対談は完全に源ちゃんのペースで、演題のテーマからは明後日、しあさっての方角へどんどんずれてゆくのだが、そのはちゃめちゃなずれが、ほとんど晩年の小林秀雄の講演さながらの見事な落語になっていて、成程新旧鎌倉文士の要諦は座談の御笑いの洗練された芸にあるのかと笑い転げつつも唸らされた。

 源ちゃんは現在64歳であるが、これまで5回結婚していて、およそ50回引越ししたので、作家業より不動産の目利きであると自慢していた。彼は現在妙本寺の森の中にある素敵な隠れ家に住んでいるが、以前鎌倉にいたときはロシア文学者の神西清の旧邸に居住していて、この家は扉を開いた瞬間に、「この家に決めた!」と声が出るほど素晴らしい家だったらしい。

 彼は鎌倉とは不思議な縁で結ばれていて、大学時代の寮は鎌倉にあったし、70年代の10年間は当地の斎藤建設の土方をやっていたので、鎌倉中の下水道工事は自分が手がけたと自慢していた。

 いわゆる鎌倉文士が酒を喰らっている間に、地べたを這いつくばって働き、別れた最初の奥さんへの慰謝料、養育費を払っていたわけで、ここに源ちゃんの原点があるのだろう。

 文学については「自分は過去の文学を全部破壊してやるという意気込みで取りかかったが、おじが戦争で死んだルソン島へ行って戦争のことなどをつらつら思いみると、あにはからんや過去の文学のしんがりに連なっていると痛感する」

「これからは老人の時代だ。文学は時間の藝術だから年季の入った老人の新人が登場するのではないか」

「他の藝術は無理だろうが、文学だけは認知症になっても大丈夫。武者小路実篤や小島信夫、庄野潤三の最晩年の名品を見よ」

 等々の気炎があがり、最後は海あり山ありの鎌倉は永住の地としては最高だ。万歳万歳と地元賛歌のお手盛りシャンシャン音頭で楽しく幕を閉じたのでありましたあ。


 10年かけてゆるゆるとこの国の農業牧畜業を壊滅させるTTP 蝶人


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偶には映画でもみようっと

2015-11-06 13:49:28 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.937、938、939



○パトリス・ルコント監督の「髪結いの亭主」をみて

 相思相愛の一方の若妻が、年配の夫に性交を挑んだあと、激流に身を躍らせる。 もうこれ以上の至福の時はないだろうから、その絶頂で身を絶とうというわけだが、頭の中で思うくらいはいいとしても、実行しては困りますな、お嬢さん。

 いくらジコチュウの仏蘭西人でもここまで身勝手な奴はあまりいないだろう。

 残された髪結いの亭主には、生活能力なんてありまへん。訳のわからんアラブカタブラアラブダンスを踊りながらくたばっていくのかしら。

 いとあわれ。


○ウディ・アレン監督の「マッチポイント」をみて

 資産家の娘婿の地位を手に入れた超ラッキーな青年が、色情に目がくらんで手を出した女のために自暴自棄になって殺人を犯すが、幸か不幸かそれが露見しないまま残る人世を死人のように送ってゆかざるをえなくなる暗い黒い話。

 ネットにひっかったテニスボールがあちらにおちるか、こっちに落ちるかで人世が変るという冒頭の例え話が、ラスト近くで見事に生かされているずら。


○オットー・プレミンジャー監督の「悲しみよこんにちは」をみて

 やもめの父親(デヴィッド・ニーヴン)を慕うファザコンの娘(ジーン・セバーグ)が、父が再婚しようとした大人の女(デボラ・カー)を策略で死に至らしめ、以来いつも悲しい、という話であるが、考えてみればこれは倫理的な殺人行為であり、「悲しみよこんにちは」などという歌を垂れ流して抒情的に悲歎している場合ではないだろう。

 常人なら自殺するしかないと思うが、この映画のヒロインや父親は、そうすべきと知りつつずるずると魂の死を生き続けるしかないのだろう。


 むごたらしく死んぢまったジーン・セバーグちゃんを懐かしく思い出す秋日和かな 蝶人
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「谷崎潤一郎全集第13巻」を読んで

2015-11-05 12:12:09 | Weblog



照る日曇る日第826回


「潤一郎犯罪小説集」(「日本におけるクリツプン事件」、「或る罪の動機」「黒白」)、「卍(まんじ」を中心に、芥川龍之介の思い出噺などを交えたコンピレーションである。

 谷崎の小説では、男は女への奉仕者であり、女たちはいきいきと自由奔放に生きていて、それを読んだ男たちに恍惚と不安の二つの感情を存分に味あわせてくれる。

「黒白」におけるドイツ人のような西洋風の謎の日本人娼婦は、谷崎を思わせる主人公の小説家を思うさま引きずり回し、その結果主人公は殺人犯人の濡れ衣を着せられ、官憲に拷問までされるに至るが、それでもおそらく彼女の面影をどこかで追い求めているのだろう。

妻の心と肉体を同性の美女に奪われた「卍」の亭主も哀れな男で、理知と常識を備えたインテリでありながら、愛する妻を自由放任にまかせたがゆえに、ずるずるべったりとのっぴきならぬ修羅場に巻き込まれ、とうとう命まで落としてしまう。

 哀れといえば哀れ、愚かといえば愚かだが、その人世最後のいっときに、自分の愛した二人の女と一緒に毒薬を飲んだ瞬間の自己放下の快感を思うと、羨ましいと思わないでもない。

 本巻では「卍」の標準語版初稿の前半と関西弁の本番改定版の2種を読むことができるが、後者のカタリがいかに小説の内容に合致しているかを読者は痛感することだろう。

 いずれにしても私たちは、いきなり希代のストーリーテラーに拉致され、その物語世界のめくるめく深淵と陶酔に身を任せるほかないのである。


「ケータイくらい充電しとけ」と言い放つそれでもお前は福祉の職員か 蝶人
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がんの歌~「これでも詩かよ」第162番

2015-11-04 11:20:28 | Weblog


ある晴れた日に 第340回



川島なお美は、がんだった。

坂東三津五郎も、がんだった。

この国の、ふたりにひとりが、がんになる。


アンパンマンも、がんだった

アンパン、ジャムパン、クリームパン
胃がん、肺がん、食道がん

乳がん、舌がん、子宮がん
カレーパン、ブドウパン、メロンパン


チョコパン、シナモン、フランスパン
大腸がん、すい臓がん、膀胱がん

皮膚がん、喉頭がん、前立がん
蒸しパン、コッペパン、ピーナッツパン

アンパンマンは、がんだった


川島なお美は、がんだった。

坂東三津五郎も、がんだった。

がんで死んだら、どうなるの?


大空を舞う、がんになる。

冬になったら、飛んでくる

どこか寂しいがんになる。


川島なお美は、がんだった。

坂東三津五郎も、がんだった。

この国の、ふたりにひとりが、がんになる。


 これまでも駄目な総理はいっぱいいたけれど今度の奴が一番ひでえや 蝶人


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Les Petits Riens ~三十五年もひと昔

2015-11-03 11:19:13 | Weblog


蝶人五風十雨録第7回「十月三十日」の巻


1982年10月30日 土曜 
午前中、裏庭の整理をする。日本シリーズ、4勝2敗で西武勝つ。


1983年10月30日 日曜 はれ 寒
みかん狩りなれど長男は行かぬと主張して行かぬ。妻は映画を何年振りかで観たり。小生はテレビCM用の音楽探し。

1984年10月30日 火曜 はれ 
新ブランドの展開についてはノーアイデアなり。六本木WAVEにてSEDICの樋口氏に会う。

1985年10月30日 水曜 小雨
越中島に32課の杉山氏を訪ねる。

1986年10月30日 木曜 夜にわか雨
銀座ヨットハーバーにて放送出版企画のトラサルディ・パーティ。マガジンハウス石川次郎氏、ハイファッション小島さん、朝日新聞有賀氏など。

1987年10月30日 金曜 くもり
ケベック・シネマウイーク第1日。「冬の動物園」、一風変わった父と子の愛情物語。「パーソナルパワー」最低。「マリーは街へ行った」、娼婦サラと13歳の少女マソの友愛物語。秀作。「アンヌ・トリステール」レスビアン映画。本日、社長構想会。

1988年10月30日 日曜 はれ
妻落ち込む。次男また野球負ける。長男は外へ出たくないと云う。余、「指輪」のモノラル長時間CDを聴く。

1989年10月30日 月曜 晴れ
社内で新事業について打ち合わせ。通産省にて生活文化フォーラム準備委員会。「食空間」についての議論。日本雑誌協会にてSPUR編集長で同級生の山本大介の講演を聴く。

1990年10月30日 火曜 小雨
グルジア映画「希望の太鼓」。人事に後任を依頼す。

1991年10月30日 水曜 くもり
明星ビル8階にて企業CF是非論会議。すべてが虚しい。中東平和会談マドリッドにて始まる。

1992年10月30日 金曜 くもり
首の付け根と肩が凝って何をする気力もないが、永代にてIN店長会とショウの打ち合わせのあと「メンクラ」岡編集長のクレームを聞く。アラン・コルノーの仏映画「Tous les matins du monde」(めぐり逢う朝)をみる。

1993年10月30日 土曜 雨
次男、傘を持たずに学校へ行った。彼は成績が良くない。先生は「何も勉強しないでこの成績なら、やれば伸びる。1つでもいいから伸ばそう」というたそうだ。ジョン・フォードの「我が谷は緑なりき」をみる。

1994年10月30日 日曜 くもり
シンポジューウム2日目。宇治平等院、平泉毛越寺、鎌倉永福寺の中世園池庭園についての発表あり。大三輪氏曰く「八幡宮寺は礼拝、勝長寿院は滅罪、永福寺は御霊鎮魂の寺なり」と。また「永福寺の二階堂寺には釈迦如来が祀られていた」との仮説を出された。その後由比ヶ浜にてサーフィン見物。左足に潮を浴びる。

1995年10月30日 月曜 はれ
オウム解散を東京地裁が認定。この頃腰痛し。

1996年10月30日 水曜 はれ
始終体具合悪し。こんな会社にいると殺される。横浜でイダ・ヘンデルのバッハ2枚、クーベリックのシューマン、フラグスタート、ラベルの「子供と呪文」買う。

1997年10月30日 木曜 晴
午前、店長会。午後サンアド葛西氏に98年春の制作物のオリエン。来年の春には余はこの会社にいないだろう。

1998年10月30日 金曜 はれ
実際は会社の仕事は少なく、みなさぼっている。早くリストラせよ。渋谷でスパイク・リーのバスケット映画みる。妻、実家の木を切る。

1999年10月30日 土曜 晴
楽しく布団を干しながら、「フジヤマ」と「ゲイシャ」というタイトルで2つの掌篇小説を書こうと思う。昨夜次男帰宅したが体調が悪そう。大学院を控え心配なり。母は妻、ムクと太刀洗いに行き烏瓜を取る。

2000年10月30日 月曜 くもり
午前中文芸社にて取材。著者が手記を持参していたので大いに助かる。夜、飯田橋の同文社にて前田、斎藤、浜田氏と交歓。

2001年10月30日 火曜 くもり
長男、昨年に続きふきのとう舎バザーを欠席。余は終日講義録をつくるが、いずこよりも電話なく、猫のみ来たりてニャアという。盲目となりし愛犬ムクのご飯を食べるので、頭を叩いてやった。

2002年10月30日 水曜 はれ
修理工事3日目。今日は業者3名来りて書斎の横木を取り替え、てっぺんの赤さび落として下地を塗りたり。妻は横浜の病院にて定期健診。

2003年10月30日 木曜 はれ
やっと資生堂ワードの仕事を終える。疲れた。長男は小田急の事故で高座渋谷から桜が丘まで歩いたそうだ。ワットマンに出したチューナーとLDプレイヤーの修理が終了。

2004年10月30日 土曜 雨
妻は風邪をおして長男と横須賀の歯医者へいく。早く治れ! 仕事大台を越す。

2005年10月30日 日曜 くもり
妻とつまらぬことで喧嘩し、困ったことになる。メンソレがどこにあると怒った余が悪いのだ。1人で果樹園まで歩く。

2006年10月30日 月曜 くもり
文芸社に頼んで締め切りを1週間延ばしてもらう。

2007年10月30日 火曜 晴れたり曇ったり
文芸社第1稿アップ。午後久しぶりに果樹園へ。ノコンギクとアザミが咲いていた。

2008年10月30日 木曜 晴れたり曇ったり
数日前港で子供が裸で遊んでいた。数日前ツクツクホウシの死骸を見付けた。米大リーグ、レイズがフィリーズに敗れる。

2009年10月30日 金曜 晴
特に記すことなし。

2010年10月30日 土曜 雨
台風がやって来た!

2011年10月30日 日曜 晴
長男と西友で買い物をする。

2012年10月30日 火曜 晴れたり曇ったり
中原中也が亡くなった清川病院にて身体検査。忘れ物をして自転車で家まで戻って、また病院へ。耄碌したものなり。

2013年10月30日 水曜 晴
長男ようやく少し元気になる。余、清川病院に入院中の義母にランチを届ける。元巨人の川上哲治死す。93歳。

2014年10月30日 木曜 はれ
サッシ工事の価格交渉に入る。17万くらいで出来ると云う。

2015年10月30日 金曜 晴れたり曇ったり
朝元大慈寺、現カトリック修道院前の路地でフジバカマの蜜を吸うアサギマダラを発見。余が鎌倉に来て40年になるが、初めて見るアサギマダラなり。一刻も早く奥村晃作氏に伝えなければ。


      幾山河越え去り来しや浅黄斑 蝶人


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西暦2015年神無月蝶人花鳥風月狂歌三昧

2015-11-02 10:26:11 | Weblog


ある晴れた日に 第339回


お土産はすぐき八橋五色豆何回行っても京都旅行は

仙人草も薄も怨んでいるだろう草刈り爺さんに全部刈られて

ハロウィンなるかぼちゃ祭りを持て囃す軽佻浮薄な日本人かな

死ね死ね死ね手前こそ死ね死ね死ね死ね今日も吠えてる平成死のう団

小池選の歌壇あるゆえ購読する読者もあると知れよ読売

世のために人のために研究するまだこの国にこんな人がいたんだ

勝ち戦さにインテリゲンちゃんのぼせ上がる玩具を貰いし子供のごとく

蝶の影濃くなりゆきて九月尽

大谷戸の電柱の上に鎮座して我らを統べる1羽の鳶

「犯人はアジア系」というときに日本人は入っているのかいないのか

イチローに安打が出ないと暗くなる私もアメリカと戦っているんだ

成形はできればしないほうがよし芸能人も一般人も

道端に転がっていた栗の実が今夜のわが家の御馳走となる

最悪の政府が笛吹く「総活躍音頭」いったい誰が踊るというのか

一億が総活躍で総下流総白痴となりて総玉砕ずら

スピーカー、CDプレーヤー、PCディスプレイ次々壊れる神無月ずら

なにゆえにオトマール・スウィトナーとベルリン国立管は待たされた「魔笛」の場面展開が遅いので

いかにして二十尺の糸を張り渡す私が蜘蛛でも出来るだろうか? 

何者にも裏打ちされない妄念を君はいつまで歌っているんだ

富裕層というものが宝籤に当たれば誰でもなれるものであればいいのだけれど

天才は若死にするが鈍才はしぶとく生きる悔やんで生きる

西部劇の嫌いな人は読んだりコメントしたりしないでくださいな私の下らぬ感想文に

マカ不思議有名人物の名さえついてればただの紙切れが札束に化ける

木が沈み石が浮きグレン・グールドのように叫ぶ日がやって来た

「勝手にしろ」その悪魔のごとき一言で地獄の淵へ追いやられし人

外出の時は新しい肌着を身につけるいつどこで何があるか分からないので

生協へ行きて百三十八円のシャケ五切れ買うほどの贅沢

満場にブラボーの嵐が吹き荒れるなかどこかで誰かがブーと呟く

仕事無く蓄えは無く扶養者ありて我は哀しき下流老人

かくなるうえは「あの人まだ生きているの」と言われるほどの爺になってやる


    彼岸花イデオロギーには毒がある 蝶人
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すべての言葉は通り過ぎてゆく 第28回

2015-11-01 12:31:25 | Weblog


西暦2015年神無月蝶人狂言畸語輯&バガテル―そんな私のここだけの話 op.217



握った右手の強さを上回る力で握り返さない人間は本当の友ではない、と考えるマッチョなインテリが多いので驚く。

いかなる正論にも異論の余地はあり、反論の出来ない立論はない。したがってあれやこれやの立論のうち、どれを選ぶかは我われの論理的判断を超えた脳内のある種の情緒的な領域で賽の一振りのように行われることになるだろう。

テレビで三善晃の「沖縄連禱」などを視聴していても、ほとんど日本語の歌詞が分からない。児童合唱なら多少聴き取れることもあるのだが、大人の混成合唱はお手上げ。歌舞伎や文楽と同様字幕をつけてもらいたい。10/2

安倍宣伝局のNHKをはじめ右翼偏向的な日テレやフジテレビのニュースや報道、解説を断ち切ろうとしているのでチャンネル切り替えが大変ずら。10/2

阪神は権藤以外の誰が監督をやっても駄目だと思うんだが、元広島の金本だったら、いまの和田の方がましだと思う。しかしまだ逆転優勝の可能性もあるというのに首を斬るとはこの渡世も残酷なものだ。10/3

遺された夫の提案で列席者の拍手で送り出された川島なお美さんの告別式をTVで見ながら、内村鑑三の娘で18歳で夭折したルツ子嬢のことを思い出した。鑑三は「これはルツ子の葬式ではなく結婚式です。ルツ子さん万歳!」と叫んだのだった。10/3

私たちの太陽は2代目である。この太陽の前にここからそう遠くない宇宙空間にもうひとつの太陽があった。その初代太陽が爆発してその元素の塵が再び凝集して生まれたのがこの太陽系であり、われわれの地球だ。10/5

初代太陽が劇的な最期を遂げてくれたおかげで、今日のわれわれがある。比喩的神話的な意味ではなく、事実としてわれわれは太陽(初代)の子だ。太陽も星(恒星)だとすれば星の子だ。10/5

私たちの本当の母なる太陽は、私たちに高度な元素をつくり残して虚空に消えてしまった。劇的に死んだ母の遠い記憶。離散した元素の子供たちが身を寄せ合って第2の故郷をつくった。この地球を形作るすべての物質がそんな劇的な物語を秘めている。日野啓三

東京の夜空でも雲さえなければいくつもの星が見える。風の強い夜はかなりはっきり見える。じっと眺め上げていると胸の痛む様な思いに駆られるのも、私たちが星の子だからである。日野啓三10/5

放散虫類のオパールの精密に放射状の殻は、この地球上で最も美しい形のひとつだ。私はもうあと10年ぐらいしか生きないつもりだが、今度生まれてくるなら放散虫になりたいね。この宇宙で恐らく最も美しい姿。透き通って静かに冷たくきらめいて。日野啓三https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E6%95%A3%E8%99%AB

寺の門に立てた旗が風にはためいていた。それを見て弟子の一人が「旗が動いている」と云った。「いや風が動いているのだ」と他の弟子が云った。それを聞いて禅師は云った。「お前たちの心が動いているのだ」日野啓三

南半球にあるオーストラリアのホテルの洗面台で、水が日本と反対方向に渦を巻くのを、感動して見詰めていたことがある。日野啓三

「水商売の女のがいいんです。それも自分で抜いたのじゃいけないんで、誰かに抜いて」もらったのがいいというんです。当時はそいうことになってた。帝国陸軍は女の陰毛に守られて中国に乗り込んだわけです。みんな持ってましたよ」開高健「輝ける闇

小説は形容詞から朽ちる。開高健

未分明のものから一つの形式に向かうものが小説、形式をモチーフにして未分明のものへ向かうのが詩だ。田村隆一

ノーベル賞を受賞した大村智さんの快挙を、安倍蚤糞のごとき不逞の輩があたかも己の手柄のように持ち上げるのは不愉快極まる。お前は早くもどこかへ飛んで消えて無くなった矢でも作ってろ。10/6

連日のノーベル賞ラッシュ。大村さん、梶田さんに続いて、文学賞で村上春樹、平和賞で日本国憲法の受賞をひそかに期待している。10/7

実際ベルリン・フィルのデジタルコンサートホールで、カラヤンとアバドとサイモン・ラトルの新旧3人のブラームスの交響曲を聴き比べてみると、その総合的な音楽的感銘の深さにおいて、先先代のカラヤンに軍配が上がる。では音楽の進化とは何か?10/7

東京海上日動という会社が、わが偏愛のモーツアルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」K.618をテレビCMで使っているが、こればかりは即刻やめてほしい。そもそもモザール選手の了解を取ったのか。おいらの葬式の指定曲を勝手に使うな。10/10

クラシックの名曲の最たるものはドボルザークの新世界交響曲だと思うが、いま1週間視聴無料の「ベルリンフィル・デジタルコンサート」でアバドの2002年パレルモツアーでの演奏を聞いたら、これが素晴らしい演奏だった。10/10

「真面目に弾くピアニスト。でも真面目には聞いていないぼくがわかる、悲しい」という歌を『暮れてゆくバッハ』の中で岡井隆氏に詠まれたのは中村紘子の演奏だが、この87歳の歌人の耳はじつに良く聴こえているなあ。10/15

日本テレビの「NNNドキュメント15」という報道特集番組が、旧日本軍による南京虐殺事件を鋭く追及していた。およそ1万人の捕虜を揚子江の岸辺に集めて機関銃で撃ちまくったあと、銃剣でずぶずぶと突き刺したと語る兵士たちの証言を現地で確認するスタッフ。これぞジャーナリズム!https://www.youtube.com/watch?v=GI-7PC99bLs

カティア・ブニアティシヴィリ、ユジャ・ワン、お前たちがみせたいものは裸なのか音楽なのか?

第44回全国短歌大会で応募数2679首の中から選ばれた最高賞作品は「はねあげた水のごとくに影が降り逃げた小鳥は数へられない」だそうだが、その意味も良さも分からない。どなたか教えてくださいな。10/18

八割がた雲が空を覆っていても晴れなんだって。マジかよ。そんな話初めて聞いたな。気象庁、ちょっと頭がおかしいんじゃないの。10/21

すぐに国会を開け。この愚か者たちよ。10/22

吉田秀和翁のエッセイで歌手のフィッシャーディスカウとタクシーに乗っていたらベートーヴェンのピアノ協奏曲の5番が掛かっていて、それをベーム指揮ウイーンフィルでバックハウスの演奏とディスカウが言い当てるのでかっこいいなと思っていたが、いまどきこんな運ちゃん居るのだろうか?10/22

「健全な野心」を失わないことです。村上春樹10/26

自分の「実感」を何より信じましょう。大事にしましょう。たとえまわりがなんと言おうと、そんなことは関係ありません。書き手にとっても、また読み手にとっても、「実感」にまさる基準はどこにもありません。村上春樹「職業としての小説家」10/28

温泉のお湯と家庭風呂のお湯、大きなやかんで沸かしたお湯と小さな器で沸かしたお湯の違いが、小説や音楽にもあるようだ。村上春樹「職業としての小説家」10/28

源泉にたどり着くには流れに逆らって泳がなければならない。流れに乗って下っていくのはゴミだけだ。ポーランドの詩人ズピニェフ・ヘルベルトby村上春樹「職業としての小説家」10/28

私は希望もなく、絶望もなく、毎日ちょっとずつ書きます。アイザック・ディネーセンby村上春樹「職業としての小説家」10/28



こんなに野菜が高いのも暮しが良くならないのもみんなお前のせいだ安倍 蝶人
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