ここ最近の朝食はオートミールに牛乳をかけ、バナナとヨーグルトをトッピングし、最後に蜂蜜をかけたものと牛乳入りのコーヒー。
コーンフレーク、グラノーラなどよりカロリーが低いからと、イギリス帰りの娘にすすめられ、それまであまり食べたことのなかったオートミールに変えた。
まずオートミールに牛乳をかけ、そのあとコーヒーを豆から淹れ、燃やせるものとかプラスチックなどの収集日は家中のものを集めてキッチンに戻り、ふやけて食べやすくなったオートミールにバナナなどをトッピングする。
毎朝、弁当を作ってくれる妻には牛乳と蜂蜜抜きのセットを作ってラップしておいたものを私のものを作るついでに用意している。
もちろん、時間に余裕があれば一緒に食べる。
朝食を食べる前に、ダイエットアプリにアップするための写真を新聞の一面とともに撮る。
今日の朝日のトップは安倍元首相の国葬のことだった。

安倍元首相の政治家としての評価は賛否両論百人百様で、政治の素人の私がここでどうこういうつもりはないし、仮に歴史に名を残すことになろうとも、そういったものは時の体制によっていくらでも書き換えられてしまう。
昨晩、日本維新の会の松井代表が、安倍元首相の国葬の件について、
ご遺族がこのことをどう考えていらっしゃるかが大切だから、その点に配慮が必要だ
というようなことを述べていたが、たしかにそうで、昭恵夫人は家族葬を望んでいたとようだったが、増上寺での葬儀はずいぶん大きいものだった。
お別れの会が国葬に変わるのかもしれないが、夫人はそういった形を望んでいるのだろうか。
安倍元首相と夫人は夫婦仲が良かったということで、亡骸を乗せた車の窓越しに見えた寂しそうな顔が忘れらない。
多くの人が目にしたのは、いくら深い愛情によって結ばれた男女でも、それは突然失われることがあるということではないか。
別れが突然でなく、徐々にであってもそれはずいぶん悲しいことであるに違いない。
愛情が深ければ深いほど別れが悲しく辛いものになるのは明らかで、死別の辛さを思うとそれは永遠に来ないでほしいと思うが、人間は必ず死ぬので、別れは絶対にやってくる。
男女の愛情はどこまで深くあるべきか
愛情は堅牢にみえてもガラスのように繊細であったり、何も見えなくても深いものであったりする。
せめて、自分が死ぬ時に後悔することのないように愛を育み、維持することができて良かったと思えたら、人生はそれだけでよかったと思えるものかもしれないが、それは自分一人では達成できない。
いつ斃れても
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