こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

道具は使うもの

2009年01月19日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
私たち病理医は、形態学者である。
数多くの正常、異常な臓器を観察して、診断すべき症例について、病的か病的でないかを見いだし、診断していく。

そういう作業はある点、機械的なものに感じられる部分もあるが、実は、機械にはとうていできないことである。

「人間って、こういう判断ができて、すごいですよね。機械には絶対にできませんよね。」などという、後輩がいたりする。

”標準化”の名の下、病理診断を行う機械を導入して病理診断を客観的にしようという試みがあるが、これは絶対無理だと思う。機械が病理医にとってかわるとかそんなんではなく、機械はあくまでも道具だ。

はじまりは石器だった人類の文明は長足の進歩を遂げ、私たちの身近の道具は進歩してきた。だが、あくまでも使っているのは人間で、逆立ちしたって機械が人間の判断力、経験の蓄積力に取って代わることはできない。

それなのに、「人間ってすごいですよね、機械じゃできませんよね」と、人間が機械に対して優位であることを確認しなくては不安になってしまうほど機械が発達した社会になりつつあることが、とても恐ろしい。