こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

お金持ちが必ずしも幸せではないのはなぜか

2022年06月27日 | 生き方について考える
 今日も猛暑の予報。このまま太平洋高気圧が広がって梅雨は明けてしまうのだろうが、気象庁が動かないので、気象予報士も困っているように見える。ドイツで開催されているG7サミットでは、ロシアの焼け太りのような状態が見えてきて、あと半年民主主義国家群が耐え切れるかどうかとなっているみたいだ。政治体制の変化のない強権国家群ばかりの世界となったら困るように思うが、そういう世界に変化してしまったらそれはそれで受け入れるようになってしまうのだろうか。今日のエントリー、もう数日前から書いては直し、結局取り下げ、などということを繰り返していて、このままだと塩漬けになってしまいそうなのでその前に世に出しておくことにする。

 先日、お金持ちは必ずしも幸せではないとふと気がついた。なんでそうなのかと言われると答えるのは難しいのだが、そうなのだとしか言えない。ただ、無責任にそう言うのもよくないのでその理由を考えてみた。けっしてお金持ちに対してひがんでいるつもりはない。そもそもお金はいくらあって邪魔にならない。いまでは、スマホの中の通帳の預金額にゼロが一つや二つ増えたところで問題ない。ただ、たくさんあるからといってそれだけでは幸せではない。

 お金があればあるだけ、食べたい時に食べたいものを食べられる。移動には乗り心地のいい車を使うことができるし、広くて快適な家に住み、安全は確保される。ロシアによるウクライナ侵攻で有名になったオリガルヒの客船のようなヨットやプーチン大統領の宮殿なんていうのは富の象徴だろう。ただ、こういった富が幸せに必要なことではない。もちろん、食べてばかりで歩きもせずに食っちゃ寝の生活をしていたら2型糖尿病になりやすくなるからというわけでもない。

 食べたいものがなんでも食べられたら幸せか、高級車に乗ることができたら幸せか、豪邸に住んだら幸せか、地下シェルターを持てたら幸せか。それぞれのことは幸せであることのひとつの表現型とはなりうるものの、幸せそのものではない。ダイヤモンドで腹は満たされない。かといって、全てを相対化してそれぞれの価値を失わせようとしているのでもない。”高価”とか”豪華”とか”贅沢”というものはそれぞれにそれなりの、私には手のとどかない価値がある。ただ、それらに価値を見いだす人にとっては価値のあるものだが、そうでない人にとっては価値はない。

 あるものに対して100人中99人が価値あるものだといっても、1人はそうでないということがあるかもしれない。その1人にとっては価値がないのだから、その人が金持ちだろうがそうでなかろうが関係ない。転売すれば金になるというので価値があるというのなら、それはお金そのものの価値をそのものに反映させているだけの話だ。

 お金はいくらあっても足りない。欲望にはキリがないので、どれだけあったら足りるのかはわからないが、やっぱりお金では買えないものはあって、お金は、あればあるだけいいというわけではない。それぞれの人が分相応と思える程度の生活を送ることができたら、それで十分なのではないだろうか。幸せなんてものは、それほど大それたものではなく、割とささやかなものなのではないかと最近感じる。そうすると、お金持ちだからといって必ずしも幸せなわけはなく、金がないからといって、不幸せと決めつけることもできない。
不誠実な人生は幸せではない

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