
新しい週の始まり。薄曇りで、湿度はあっという間に上がってきた。ウクライナ侵攻、円安、株安、インフレ、参院選、水難事故、大地震・・・悲しい出来事、解決すべき問題は山ほどあるが、それぞれをどう考えていくかは難しい。バタフライ効果であったとしても、それぞれの問題相互の関連を読み解くことはできても、関わっている人の立場により、これらをどう捉えるかはそれぞれまったく異なるからだ。

人はなんのために生きているかということを考える時、前提として人は食べていかなくては生きていけないということがある。人間は食物連鎖の中に入っていないので、他の動物のようにそこらにある動植物を食べて生きていくということができない。では、人間が食べて生きていくにはどうしたらいいか?それには働かなくてはならない。人間は働いたことへの対価、すなわち報酬で食べ物を得、住むところを確保し、ささやかな楽しみの時間をもつ。

報酬とは何か、他人はなにに貴重な財産(ほとんどの場合はお金なので、以下お金)を払うのか。衣食住娯楽のために、人はお金を稼ぎ、お金を払う。お金を回すということは人間だけのシステムであり、人間の生きる目的となっている。すべては自分を幸せにしてくれるものに対して、お金を払う。お金で買えない幸せはない、という言い方をすると誤解されるかもしれないが、当然のことながら貧富が幸せを規定しているわけではない。裕福でない人も使う額は少ないものの、お金は使う。使うお金のスケール(額)がそれぞれ異なるだけで、お金で幸せを買っているのは誰しも同じで、金持ちが幸せという話になる。

働くというと、これまたお金を効率よく稼ぐこととなってしまうが、お金を稼がなくても幸せを周りにもたらせば働いていることになる。生きているだけで十分幸せと思ってもらえる人は、生きていてほしいという人の幸せのために生きることが目的である。生きていたらそれだけがお金に変わると単純には表現できないものの、生きている限り、どこかでお金(報酬)が回っている。人はなんのために生きるのか、すなわち人生の目的とは何なのかと考える時、それは人に幸せになってもらうことだといえるだろう。
だから犯罪は許されない