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神奈川県で起きた障害者施設での殺傷事件から3年目の追悼集会があり、遺族代表の人の追悼文の中に、「希望を持って生きていきたい」というのがあった。京都アニメーションでの放火事件で失われたものの大きさについての特集もあった。
この数年のうちに残虐、悲惨な事件が次々と起こり、その度に多くの人の命が理不尽に突然奪われてきた。突然といっても死の際ではそれまでの思い出も、これから思い描いていた将来全てが消え去ってしまった。それぞれの方の思いはそれぞれの分があり、そこから広がる未来は無限にあった。
そして、それぞれの事件のあまりの悲しさ、無念さに夜中幾度も目が覚めてしまった。まともな感覚を持つ人間が、立て続けに起こるこのようなことを受け入れるのはとてもつらく耐え難い。
そして、そのつらさはずっと続く。
残された者たちは、そうして亡くなった方々の想いまでをも抱きしめて生きていかなくてはいけないからだ。
絶望の淵に立ったとしても、いつかは希望を持って生きていかなくてはいけない。
でもそれはあまりにも辛い。
それでも、起こってしまったことは変えようがない。それが現実というものだから。
残された者は、失われた命への追悼として、二度とそのようなおろかな、決して許されない事件、事故が二度と起こることがないように後世に語り継いでいかなくてはいけない。それは、戦争を起こさせないこと、原爆を使わせないことと同じだ。
いつかそういう世界が実現するという希望を持って。
希望とは未来を切り拓く力
今日のお外の気配は 何となく本当の夏が来そうな様相でしたよ。吹く風も・・・
世の中の回転って 何となく記憶が新鮮でなくなる頃に 次の無念事件が押し寄せてきますね。
次から次へと、我々のわからないところで すでに決定してしまっていて 変えようが無いのかと思うと切ないですよ。
関西に在住の私のブロ友さんが、疲れたので当分ブログ休みますと言われて 変な予感がしたので まさか大病ではないでしょうね とコメント送ったら 案の定 場所は不明ですが癌の手術を受けることになったそうです。
ひたすら 私は 祈って差し上げるだけです。
それでは また お伺い致します。
ヤフーブログ難民が大勢出現していますが そうならないように 私は以前から持っていたFC2ブログね ヤフーブログ記事を移転しました、4時間くらいかかりました。
gooブログはちゃんと運営を続けてくれるといいのですが、そのようなお話を聞くと心配になります。
せめて書籍化ぐらいしておいたほうがいいでしょうかね?
ブログを本にしたのなんて、遺品としてはいいですよね。
大量破壊を使って大量○人をやった国の指導者や、そういうテロ組織の指導者、内乱罪をやった奴や「犯罪者は皆〇しだ」という選民社会主義者は、障害者になって一生刑務所にぶち込まれろ。
「日本は過去の戦争の反省と償いドイツ以上にしろ」というテロリストはカタワの障害者になれ。
人間誰しも病を得て、歳をとっていきます。
そうなったとき、自分のことはどうするのか、自分の声を聞いてもらいたい、と考えるであろうことを想像することが必要だと思います。
病や老いは障害なのか、そう考える必要がありますね。