昨日、私はブログを別な自分で書いてみた。それは、”僕”という表現で自分を表したということでしかないけど、ナイトとのことをそうやって書いたら今までになく新鮮な感じがして驚いた。僕が僕として考えたことを文章にするということはこれまでしてこなかった。
私が私と書くのをやめることはない。病理のこと、医学のこと、仕事のことを書くときは、”私”が喋った方が良いと思うし、ブログの記事とは言っても、どこかで仕事に結びついていくので、しっくりくる。
最近、コロ健というハンドルネームを使うことが少なくなってきている。表現として誤ってはいないし、私としてはお気に入りの名前だ。ただ、”コロ健としては”とか、”コロ健的には”とか、そういう文章の時にしか使えないのだけど、そういうタイミングが最近少ない。どうしてだろう。精神的に、犬のレベルから人間のレベルに進歩したからだろうか?このブログを成熟した大人が書いているものに育てようとしているからだろうか?
これから先、このブログに私が考えることだけではなくて、僕が考えることも書いていこうと思う。ブログを書いていく上で、スタイルが乱れてしまうのはあまり良くないだろう。私の書く文章が好きで、読んでくださっている方にしてみたら、”僕”の書く文章はつまらないと思うかもしれない。
実験というほどの大それたものではないけれど、この試みは面白そうな気がする。私と僕、ついでに(たまにだと思うけど)コロ健がいろいろな形で出てくるブログになったらどんなになるだろう。一本の小説では主人公は私か僕かそれ以外の誰か(神の視点?)で統一されてしまう。筒井康隆だったと思うけど、そのことを打破しようとしてか、多重人格者を登場させる小説があったけど、毎日文章が完結するブログの中で複数の語り手(でも、同一人物)によって記事が書かれるというのとは、違う。結局しんどくなってしまうかもしれないけど、やってみよう。
コロは僕、私はナイト?
視点をかえる。大切ですね✨
吾が輩は、猫である。名前はまだない。
猫の視点。突然、思い出しました
ところで、最近
無意識の偏見、が気になります
外国人への偏見。白人への憧れ、黒人をしたにみる
⭐病気への偏見
病気は、みんなおなじなのに
偏見がある?
てんかん、障害者への偏見
私は、なるべく偏見もたないようには、していますが、、
無意識の偏見
よくないですね
コロ健さん、どうおもいますか?
🌻私は、なるべく病気のひとには
温かくよりそいたいです
無意識の偏見
なかなか、難しい問題です
😰🌻🌻
外国人(特に白人)へのコンプレックスはありましたが、実際に海外に出て行ったことで、消えました。黒人に対する偏見はヨーロッパに行くと消えます。ヨーロッパには旧植民地からのアフリカ系の人が多く、普通にしているので、これが当たり前だと思います。
私の弟が、ダウン症なので、そういう方の多い施設にはしょっちゅう出入りしていたので、偏見は多分ないと思います。
それ以外の点では何かあるかな、きっとあるでしょうね。きをつけます。
おしえてくれてありがとう。