経労委報告を読む④ 雇用・社会保障破壊の非情
労働総研顧問 牧野富夫さん
「マクド難民」という言葉があるそうだ。ネットカフェに泊まるカネもなく、マクドナルドの100円のコーヒーで閉店までねばる、そういう働き盛りの「深夜の客」が大阪でふえているという。職を失ったパナソニックやシャープの元派遣社員などが多いらしい。
明日はわが身
そういう客を、マクドの店員たちは追い出したりはしない。店員らもみな非正規雇用で、「明日はわが身」という思いがあるからだ。おおよそこんな内容のことが朝日新聞の1面トップで報じられた(13日付)。これはたんなる一地域でのエピソードではない。そこにすさまじい“雇用破壊”や“社会保障破壊”の爪痕をみることができる。今最終回は、「経労委報告」の“雇用”や“社会保障”に対する方針・言説に言及したい。
右の大阪の事例に類するさまざまな異常が、いま全国に広がっている。にもかかわらず「報告」は、こうした現実を黙殺するばかりか、目を疑うような言辞を弄(ろう)している。「近年“非正規雇用”の増加を問題視する向きも多いが、そもそも、契約期間など雇用形態のみをもって“正規”か“非正規”かという二項対立的に捉えること自体が、現状に合致しているとは言い難い。もとより、非正規雇用という呼称自体にも否定的なニュアンスが含まれており、こうした用語を用いることも適切ではない」(18ページ)というくだりが、それだ。
“雇用破壊”というのは、解雇・失業だけを指すのではない。正規雇用を非正規雇用に置き換え、雇用形態の違いを“テコ”に、賃金その他の労働条件を極度に引き下げ劣化させる手法も「立派」な“雇用破壊”なのだ。これが氾濫している。
そもそもそのような手口を「雇用ポートフォリオ」と称して提起し普及させたのは、ほかならぬ経団連の前身の日経連ではないか(1995年の日経連『新時代の「日本的経営」』)。
当時、この日経連報告について財界寄りの日本経済新聞でさえ、社説で「総人件費抑制の意図があまりにも強く、このことがこの報告書を息苦しいものとしている…(バブル崩壊後)“余剰人員”の名のもとに従業員減らしに血眼となった反省がほとんどみられない」(95年5月23日付)と厳しい論評をくわえていたほどだ。
ますます深刻化する失業・半失業の増大、その意識への反映としての“雇用不安”のまん延は、「デフレ不況」の必然の結果ではない。不況・経済危機を口実とした「報告」の「労働政策のあり方の見直し」(17ページ)にみられるような財界主導の労働分野の一連の「規制緩和」(働くルールの“ぶち壊し”)こそ“主犯”なのだ。
自らたたかい
労働者は、雇用を前提とした賃金と、社会保障で生活を支えるほかない。「報告」は賃金とその前提である雇用を攻撃するとともに、つぎのとおり新たな“社会保障破壊”をすすめるべく政府の尻をたたいている(25ページ)。第一は、医療・介護・年金・子育てなどにわたる「給付の効率化と重点化」であり、第二は、「社会保険料と税の一体的見直しを通じた、自助・共助・公助の役割分担の明確化」である。
給付の「効率化・重点化」とは給付の“しぼり込み・削減”を意味する「キツネ国の言語」である。そのあとに、財界肝煎りの社会保障制度改革推進法(第2条)では「国民が自立した生活を営むことができるよう、家族相互及び国民相互の助け合いの仕組みを通じてその実現を支援していくこと」と続く。これは、社会保障に対する国家責任(憲法第25条)を放擲(ほうてき)した社会保障解体の「進言」であり、重大な憲法違反だ(詳細は『経済』2月号の拙稿参照)。
春闘で労働者・労働組合ががんばれば、日本経済が元気になり、736万人もの雇用が生まれる(労働総研の13春闘提言=12年12月30日付「しんぶん赤旗」の1面トップで紹介)。光を待つのではなく、たたかって自ら光となろうではないか。
(おわり)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2013年1月29日付掲載
「マクド難民」なんて、100円で閉店まで粘り、その客をマクドの店員も「明日は我が身」とあえて追い出ししないなんて…。
あまりにもむなしいではないか。
やっぱり、賃金や労働条件、社会保障を含めて、闘って自ら勝ち取っていくことが求められるんでしょうね。
労働総研顧問 牧野富夫さん
「マクド難民」という言葉があるそうだ。ネットカフェに泊まるカネもなく、マクドナルドの100円のコーヒーで閉店までねばる、そういう働き盛りの「深夜の客」が大阪でふえているという。職を失ったパナソニックやシャープの元派遣社員などが多いらしい。
明日はわが身
そういう客を、マクドの店員たちは追い出したりはしない。店員らもみな非正規雇用で、「明日はわが身」という思いがあるからだ。おおよそこんな内容のことが朝日新聞の1面トップで報じられた(13日付)。これはたんなる一地域でのエピソードではない。そこにすさまじい“雇用破壊”や“社会保障破壊”の爪痕をみることができる。今最終回は、「経労委報告」の“雇用”や“社会保障”に対する方針・言説に言及したい。
右の大阪の事例に類するさまざまな異常が、いま全国に広がっている。にもかかわらず「報告」は、こうした現実を黙殺するばかりか、目を疑うような言辞を弄(ろう)している。「近年“非正規雇用”の増加を問題視する向きも多いが、そもそも、契約期間など雇用形態のみをもって“正規”か“非正規”かという二項対立的に捉えること自体が、現状に合致しているとは言い難い。もとより、非正規雇用という呼称自体にも否定的なニュアンスが含まれており、こうした用語を用いることも適切ではない」(18ページ)というくだりが、それだ。
“雇用破壊”というのは、解雇・失業だけを指すのではない。正規雇用を非正規雇用に置き換え、雇用形態の違いを“テコ”に、賃金その他の労働条件を極度に引き下げ劣化させる手法も「立派」な“雇用破壊”なのだ。これが氾濫している。
そもそもそのような手口を「雇用ポートフォリオ」と称して提起し普及させたのは、ほかならぬ経団連の前身の日経連ではないか(1995年の日経連『新時代の「日本的経営」』)。
当時、この日経連報告について財界寄りの日本経済新聞でさえ、社説で「総人件費抑制の意図があまりにも強く、このことがこの報告書を息苦しいものとしている…(バブル崩壊後)“余剰人員”の名のもとに従業員減らしに血眼となった反省がほとんどみられない」(95年5月23日付)と厳しい論評をくわえていたほどだ。
ますます深刻化する失業・半失業の増大、その意識への反映としての“雇用不安”のまん延は、「デフレ不況」の必然の結果ではない。不況・経済危機を口実とした「報告」の「労働政策のあり方の見直し」(17ページ)にみられるような財界主導の労働分野の一連の「規制緩和」(働くルールの“ぶち壊し”)こそ“主犯”なのだ。
自らたたかい
労働者は、雇用を前提とした賃金と、社会保障で生活を支えるほかない。「報告」は賃金とその前提である雇用を攻撃するとともに、つぎのとおり新たな“社会保障破壊”をすすめるべく政府の尻をたたいている(25ページ)。第一は、医療・介護・年金・子育てなどにわたる「給付の効率化と重点化」であり、第二は、「社会保険料と税の一体的見直しを通じた、自助・共助・公助の役割分担の明確化」である。
給付の「効率化・重点化」とは給付の“しぼり込み・削減”を意味する「キツネ国の言語」である。そのあとに、財界肝煎りの社会保障制度改革推進法(第2条)では「国民が自立した生活を営むことができるよう、家族相互及び国民相互の助け合いの仕組みを通じてその実現を支援していくこと」と続く。これは、社会保障に対する国家責任(憲法第25条)を放擲(ほうてき)した社会保障解体の「進言」であり、重大な憲法違反だ(詳細は『経済』2月号の拙稿参照)。
春闘で労働者・労働組合ががんばれば、日本経済が元気になり、736万人もの雇用が生まれる(労働総研の13春闘提言=12年12月30日付「しんぶん赤旗」の1面トップで紹介)。光を待つのではなく、たたかって自ら光となろうではないか。
(おわり)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2013年1月29日付掲載
「マクド難民」なんて、100円で閉店まで粘り、その客をマクドの店員も「明日は我が身」とあえて追い出ししないなんて…。
あまりにもむなしいではないか。
やっぱり、賃金や労働条件、社会保障を含めて、闘って自ら勝ち取っていくことが求められるんでしょうね。