限界集落は矛盾の原点
希望の道筋をつけるのが責務
社会学者:大野 晃さん
65歳以上の高齢者が集落人口の半数を超え、社会的共同生活の維持が困難な集落-限界集落。長年に及ぶ山村社会の実態調査から、1988年にこの概念を提唱した社会学者で長野大学教授の大野晃さんは、近著『山・川・海の環境社会学』(文理閣)を著しました。「研究の自分史」だといいます。
本書には、スーパー林道が山村社会に及ぼした影響を考察した論文をはじめ、出稼ぎ林業労働者とシイタケ生産農民がチェーンソー使用で振動病患者となって苦悩する山村の社会問題、離島での生産活動と自然環境の関わりや海洋資源の保全という視点に立ってカツオの一本釣り漁法を再評価する研究など収められています。
「この中には30代に書いた論文もあります。青臭くて、むずがゆいという思いもありますが、ともかく現実に密着しながら事態の推移を追いかけて、聞き取りをし、どう仕上げるか悶々としているのが伝わってくる。体力、気力のある若い時にしかできない仕事であり、年老いた自分を励ましてくれるものがあります。こうやって原点を振り返り、今に至る足跡を確認することが、新しい仕事へのさらなるステップになると考えています」
人間と自然を複眼的にみる
貫いているのは「人間と自然」を複眼的視点でとらえ、ともに豊かになる社会のあり方を探っていることです。
「現場に入ると、エコノミー(利潤追求・経済優先の論理)が、エコロジー(自然生態系の論理)をのみ込んでいく現実にぶつかる。それをどう打開するかを突きつけられ、社会的現実から思考を鍛え、人間と自然の関わりを問い続けていくことが自分の仕事と思ってきました」
資本の論理が山村にも押し寄せ、人間社会の貧困をもたらし、自然が破壊されている集落に何度も通い、ザックと地下足袋姿で、地域住民からの聞き取りをノートに書きとめてきました。
山村に通ううち、集落のあちこちで聞かれたのは「おらの代でこの集落は終わりだ」という声です。
大野さんは集落の実態を把握するために、集落の人口減少率と人口規模、高齢化率を指標に、存続集落、準限界集落、限界集落、消滅集落の四つに区分する手法を考え、現代山村が崩壊の危機に直面している状態を誰の目にもわかる形で実証的に明らかにしました。
日本の産業構造のゆがみによる地域間格差、山村では外材圧迫による長期の林業不振…。「矛盾の凝集点が限界集落」だと大野さんはいいます。
「このままの状態なら『限界』『消滅』へとまっしぐらに進むと、社会科学的分析を通して問題を提起したのです。20年経って、農山漁村、離島、全国どこへ行っても限界集落が増えていくし、シャッター街に象徴される都市型の限界集落も見られるようになった。
どう再生するのか、国、県、市町村の社会的責務はものすごく大きい。住民の生活と自然を豊かにしていく責任です。同時に住民一人ひとりが自分の住む地域社会、集落が直面している問題を話し合い、課題を明らかにし、政策立案し、一歩前に進むことが必要だと強く思います」
私の導きの書『哲学ノート』
学生時代から、過疎の村を転々と野宿しながら村の人の話を聞いて回ったそうです。
学部は自然科学ですが大学院修士課程は経済学、博士課程は社会学へと転身。
「社会のなかで生きることとはどういう意味かを考えながら、若いころは社会科学の本を読みあさり、哲学の勉強は50歳までしていました。レーニンの『哲学ノート』は、私のモノの見方・考え方の導きの書でしたね」と話します。
本のあとがきに「社会科学に身を置くものの社会的責務」について、こうあります。
「社会の現実がいかに厳しくても、その先に『希望の光』を見出す道筋をつけていくこと」だと。
「そう考えるのは、ぼくが現場の人たちに支えられながら仕事をしてきたからです。この人たちの叫びをどう社会科学に昇華させたらいいか、社会調査におけるリアリズムとは何かを追求し続けていきたいです」
(三木利博)
おおの・あきら 1940年生まれ。
高知大学名誉教授。高知大学教授、北見工業大学教授を経て現在、長野大学環境ツーリズム学部教授・日本の山村地域のほかルーマニア、スウェーデンなどの条件不利地域の比較研究、村落研究を続ける。千曲川流域学会会長、日本村落研究学会副会長、日本農業法学会理事などを歴任。『山村環境社会学序説』、『限界集落と地域再生』ほか。
「しんぶん赤旗」日刊紙(2010年4月26日付けより)
日本共産党の志位さんも、いわゆる限界集落といわれる和歌山県などの山村をおとずれ、その地で営みを続けている人々を励ましています。
農地保全だけでなく、災害などの保全を考えると、山間地などの「限界集落」になった地域を再生していくとこは、本気で取り組んでいかないといけないことでしょうね!
希望の道筋をつけるのが責務
社会学者:大野 晃さん
65歳以上の高齢者が集落人口の半数を超え、社会的共同生活の維持が困難な集落-限界集落。長年に及ぶ山村社会の実態調査から、1988年にこの概念を提唱した社会学者で長野大学教授の大野晃さんは、近著『山・川・海の環境社会学』(文理閣)を著しました。「研究の自分史」だといいます。
本書には、スーパー林道が山村社会に及ぼした影響を考察した論文をはじめ、出稼ぎ林業労働者とシイタケ生産農民がチェーンソー使用で振動病患者となって苦悩する山村の社会問題、離島での生産活動と自然環境の関わりや海洋資源の保全という視点に立ってカツオの一本釣り漁法を再評価する研究など収められています。
「この中には30代に書いた論文もあります。青臭くて、むずがゆいという思いもありますが、ともかく現実に密着しながら事態の推移を追いかけて、聞き取りをし、どう仕上げるか悶々としているのが伝わってくる。体力、気力のある若い時にしかできない仕事であり、年老いた自分を励ましてくれるものがあります。こうやって原点を振り返り、今に至る足跡を確認することが、新しい仕事へのさらなるステップになると考えています」
人間と自然を複眼的にみる
貫いているのは「人間と自然」を複眼的視点でとらえ、ともに豊かになる社会のあり方を探っていることです。
「現場に入ると、エコノミー(利潤追求・経済優先の論理)が、エコロジー(自然生態系の論理)をのみ込んでいく現実にぶつかる。それをどう打開するかを突きつけられ、社会的現実から思考を鍛え、人間と自然の関わりを問い続けていくことが自分の仕事と思ってきました」
資本の論理が山村にも押し寄せ、人間社会の貧困をもたらし、自然が破壊されている集落に何度も通い、ザックと地下足袋姿で、地域住民からの聞き取りをノートに書きとめてきました。
山村に通ううち、集落のあちこちで聞かれたのは「おらの代でこの集落は終わりだ」という声です。
大野さんは集落の実態を把握するために、集落の人口減少率と人口規模、高齢化率を指標に、存続集落、準限界集落、限界集落、消滅集落の四つに区分する手法を考え、現代山村が崩壊の危機に直面している状態を誰の目にもわかる形で実証的に明らかにしました。
日本の産業構造のゆがみによる地域間格差、山村では外材圧迫による長期の林業不振…。「矛盾の凝集点が限界集落」だと大野さんはいいます。
「このままの状態なら『限界』『消滅』へとまっしぐらに進むと、社会科学的分析を通して問題を提起したのです。20年経って、農山漁村、離島、全国どこへ行っても限界集落が増えていくし、シャッター街に象徴される都市型の限界集落も見られるようになった。
どう再生するのか、国、県、市町村の社会的責務はものすごく大きい。住民の生活と自然を豊かにしていく責任です。同時に住民一人ひとりが自分の住む地域社会、集落が直面している問題を話し合い、課題を明らかにし、政策立案し、一歩前に進むことが必要だと強く思います」
私の導きの書『哲学ノート』
学生時代から、過疎の村を転々と野宿しながら村の人の話を聞いて回ったそうです。
学部は自然科学ですが大学院修士課程は経済学、博士課程は社会学へと転身。
「社会のなかで生きることとはどういう意味かを考えながら、若いころは社会科学の本を読みあさり、哲学の勉強は50歳までしていました。レーニンの『哲学ノート』は、私のモノの見方・考え方の導きの書でしたね」と話します。
本のあとがきに「社会科学に身を置くものの社会的責務」について、こうあります。
「社会の現実がいかに厳しくても、その先に『希望の光』を見出す道筋をつけていくこと」だと。
「そう考えるのは、ぼくが現場の人たちに支えられながら仕事をしてきたからです。この人たちの叫びをどう社会科学に昇華させたらいいか、社会調査におけるリアリズムとは何かを追求し続けていきたいです」
(三木利博)
おおの・あきら 1940年生まれ。
高知大学名誉教授。高知大学教授、北見工業大学教授を経て現在、長野大学環境ツーリズム学部教授・日本の山村地域のほかルーマニア、スウェーデンなどの条件不利地域の比較研究、村落研究を続ける。千曲川流域学会会長、日本村落研究学会副会長、日本農業法学会理事などを歴任。『山村環境社会学序説』、『限界集落と地域再生』ほか。
「しんぶん赤旗」日刊紙(2010年4月26日付けより)
日本共産党の志位さんも、いわゆる限界集落といわれる和歌山県などの山村をおとずれ、その地で営みを続けている人々を励ましています。
農地保全だけでなく、災害などの保全を考えると、山間地などの「限界集落」になった地域を再生していくとこは、本気で取り組んでいかないといけないことでしょうね!
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