「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。
原発とテレビ② 「テレビの父」の“野望”
ドキュメンタリー「報道の魂」(TBSテレビ)で9月4日深夜、「その日のあとで~フクシマとチェルノブイリの今」が放送されました。チェルノブイリの今を伝え、福島の原発事故の実態に迫る番組です。この中に節電のCMが入りました。出どころは経済産業省です。原発が今のままでいいのかと問う番組に平然とはさみ込まれた、原発を推進してきた経産省のCM。原発のメディア戦略の一端がのぞきます。
アメリカがねらう日本への原発導入で結びついたのが、日本テレビ社長だった正力松太郎氏でした。日本のテレビ誕生を告げる放送予備免許第1号が決まったのは、1952年7月。獲得したのは、意外にもNHKではなく、日本テレビでした。
日本テレビ沿革史『大衆とともに25年』は、「4年有余の長きにわたって悪戦苦闘を重ねて」きた結果であり、正力氏は「テレビの父」と誇らしげに記しています。
日本原子力研究所の実験用1号原子炉の完成式典で、スイッチを押す正力・原子力委員会委員長(正面右)=1957年、茨城・東海村
米国の危機感
メディア研究者の松田浩さんは「正力ひとりの力であったかのように書かれていますが、そうではなかった」といいます。
1950年代は、アメリカとソ連の思想戦略や核開発競争が絡み合って始まります。
51年、アメリカのムント上院議員が「共産主義者に対するたたかいにおいて、アメリカが持っているテレビが最大の武器である。…『アメリカのビジョン』を海外に建設する必要がある」として、ドイツと日本をあげています。
松田さんは指摘します。
「戦後の民主化の中で、共産党に指導された民主勢力の影響力が広がっていくことにアメリカは危機感を持ちます。警察官僚出身で、反共的親米的な正力のテレビ網開設構想は、対日思想戦略のパートナーとして格好の支援対象でした。こうしてアメリカの後押しもあって、正力は公職追放を解除され、また免許を獲得できるわけです。政府から独立して存在していた電波監理委員会が7月末での廃止を前に、その最後の仕事として日本テレビを選んだ。吉田首相が事前に網島電波監理委員長を呼びつけ、同局への免許を指示していた事実は、今日では広く知られています」
世論封じ込め
1953年8月、アイゼンハワー米大統領が「アトムズ・フォー・ピース=原子力を平和のために」と演説。水爆実験を成功させたソ連に対抗してのものでした。翌54年3月、アメリカが実施したビキニ水爆実験で第五福竜丸が被ばくし、原水爆禁止運動が広がっていきます。
正力氏のもとで、実際に動いたのが柴田秀利専務でした。「毒をもって、毒を制する」と著書(『戦後マスコミ回遊記』)に記しています。原子力の平和利用を大々的に宣伝することで、原爆反対の大きな世論を封じ込めようとねらいました。
正力氏がアメリカの「対日心理戦」と深く関わりあっていた事実については、CIA文書をもとに有馬哲夫・早大教授が『日本テレビとCIA』で明らかにしています。(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2011年9月23日付掲載
アメリカが共産主義に対する思想戦略として「テレビ」を利用したんですね。
アメリカは反共的親米的な正力を格好の支援の対象に選んだんですね。
吉田首相がNHKよりも先に、あえて日本テレビにテレビ放送の免許を与えたなんて、まるでマッチポンプですね。
原発とテレビ① 妖精が運んだ安全神話
ピーターパンの物語に登場する妖精のティンカー・べル。キラキラと魔法の杖を軽やかに振るい、ディズニーランドヘいざなっていく。ディズニーのテレビ映画「わが友原子力」の、冒頭シーンです。
1957年1月にアメリカABCテレビで放送。制作を依頼したのはアメリカ海軍とジェネラルダイナミックス社。ジェネラルダイナミックスは、54年に原子力潜水艦ノーチラス号を製造していました。
日本テレビは街頭テレビを設置。世論形成に大きな影響を及ぼしています(『大衆とともに25年~日本テレビ沿革史・写真集』から)
新聞もエール
この「わが友原子力」が、日本テレビで1958年の元日に放送されます。当日の新聞は、テレビラジオ欄で「原子力の歴史、原理、未来について、漫画、動画、実写をまじえて、わかりやすく解説したもの」「大作」(「朝日」)と、エールを送る紹介記事を掲載しています。
隅井孝雄・元京都学園大学教授は、日本テレビ出身。1958年4月に入社しました。「わが友原子力」の再放送を見たといいます。
「日本テレビが字幕を作りました。まだ珍しかったカラー放送でした。ウォルト・ディズニーと科学者が出てきて解説するんです。原子力がいかに素晴らしいか、そして新しい時代が始まると」
NHKでテレビ放送が始まったのは1953年2月。8月に日本テレビが開局したとき、テレビは、全国で3千台でした。大学卒の初任給が8千円だった時代、テレビはなんと17万5千円。日本テレビは街頭にテレビを設置して、プロレスやプロ野球を中継します。テレビは55年に約5万3千台、58年には90万9千台、62年に1千万台を突破します。
日本テレビが、原子力の平和利用の大キャンペーンを始めたのは1955年のことでした。初代社長だった正力松太郎氏が政治家を目指して、その年の2月、衆院選に立候補して初当選。「原子力の平和利用」が公約でした。11月には原子力担当の国務大臣に就任。12月、原子力基本法が成立。翌年1月には初代の原子力委員長になります。
番組や中継で
それと呼応するように、日本テレビは原子力番組に力を注いできました。報道部制作の「原子力の平和利用」(55年2月)、アメリカ空想科学映画「原子未来戦」(同3月)。5月にアメリカから「原子力平和利用使節団」が来日すると、連日にわたって、その講演会を中継しました。
隅井さんは言います。「原子力を発電に利用することは、核兵器とは対極の平和利用、人類の未来を照らす、とテレビが大宣伝したことは確かです。それによって、原発は安全だという考え方が国民の中に広がりました」(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2011年9月22日付掲載
原発を日本に売り込むのになんとディズニーのティンカー・ベルまで使ったんですね。
イルカの歌に『いつの日か船を』があります。その歌詞の中に「ティンカー・ベル」が出てきます。
「むずかしい本をすて この家もすてて
飛んで行きたいな 机の前のまどから
さみしい夜には 空の彼方から
ティンカーベルみたいな 女のコが来ないかな
・・・・・
自由な心を とりもどしたら
きっと帰って来るよ 朝日と共に
みんな出かけないか すばらしいぼうけん旅行へ
ぼくだけじゃないよね こんなにさみしいのは
・・・・・」
イルカの歌には、さみしい少年の心を励まし、自由な心を取り戻させる積極的な役割を果たしています。
その「ティンカー・ベル」をよりによて原発に使うとは・・・。許せません!
また、日本テレビはまだサラリーマンの給料でテレビが買えなかった時代に、街頭にテレビを設置して原子力のキャンペーンをやったんですね。すごい執念ですね。
安斎育郎さんと考える放射能汚染⑧
米、肉、魚、野菜の除染法
今回は放射性物質を体内に取り込んで起きる内部被ばくから身を守る方法です。水や食品の摂取で放射性物質が体の中に入ってきた場合、前号で紹介した外部被ばく防護の3原則(遮蔽=しゃへい・距離・時間)はどれも当てはまりません。
内部被ばくを防ぐには、①放射性物質をできるだけ体に取り込まないようにする②体の中に取り込んだ放射性物質はできるだけ早く排出する―の二つの方法しかありません。
体への取り込みを防ぐには、何よりも大気や水、食品の汚染を防ぐことが大事です。そのうえで、汚染された食品の摂取を必要に応じて制限することも有効です。放射性物質を飲み込んでしまった場合には胃の洗浄という方法もありますが、事故の現場でもない限り、このような措置はとられないでしょう。吸いこんだ放射性物質を体外に排出する肺の洗浄や、骨などに入りこんだ放射性物質を、キレート剤と呼ばれる薬剤で排出を促すといった方法もあります。ただし、いずれも専門医の管理のもとに行うべきもので、一般的ではありません。いったん体内汚染が起こるとなかなかやっかいなのです。
実態をつかもう
食品汚染についてはまず、汚染の実態をよくつかむことが大事です。農産物や肉類、魚介類の汚染が進行していますから、国やそれぞれの生産県の自治体が、実態の把握と対策に役割を発揮する必要があります。全頭検査などしっかりした検査体制をととのえることが前提になります。
さらに、最後の砦(とりで)である消費者自らが、科学者と協力して、自主的な監視活動を展開することも大切です。
私たちが毎日食べている食品には、自然界に存在する自然放射能のカリウム40が1キログラムあたり数十~数百ベクレル含まれています。ですから、セシウム137などによる汚染も、少しでもあったらイヤだという原則的立場は大切ですが、食品中の放射能をゼロにすることはできないのです。
それでも、放射線はなるべく被ばくしないほうが良いという原則に照らして、より安全な食品を求める消費者の立場に立って考えることを提案したいと思います。
あわせて、消費者の不安をなくすためにも、その時点で市場に供給されている食品の放射能汚染の概要を知らせることが大切だと思います。汚染状況がおおまかにでも公表されれば、消費者は少しでも汚染の少ない産品を入手する選択権を行使することができます。
汚染食品や体内摂取にともなうリスク(危険)を評価する際には、実際の危険以上に放射能を恐れるのではなく、科学的な評価結果を踏まえることが大事です。それでもなお不安があるなら、私も含め、放射線の専門家に聞いてください。
食品の放射能汚染への関心を持続させ、食品の供給者との間に好ましい緊張関係を保つことも求められます。これは、消費者が放射能汚染を厳しく監視していることをわからせることによって、高濃度の汚染を承知の上で、市場に供給するような行為を抑止する姿勢を保とうということです。
ネツトでも紹介
食品汚染への対応ですが、調理や加工によって汚染を軽減する方法についても、政府は周知徹底させるべきだったと私は考えています。詳しくは国内外の研究結果を集めた『食品の調理・加工による放射性核種の除去率』(現名称・財団法人原子力環境整備促進・資金管理センター、1994年刊)に紹介されていて、インターネットでも見られます。
まずは多くの人が心配しているコメです。ストロンチウム90は、もみがらの分離(脱穀)によって半減し、そこからさらに玄米を精米して白米にすることで60%が除去されるとのべられています。白米は、さらにとぐことでストロンチウム90の半分が除去されます。セシウム137も、精米過程で約65%が除去されると示唆されています。
蒸留したブランデーはほとんど100%の放射性物質が除去されたというデータもあります。汚染されたお米は日本酒用として活用する可能性があるかもしれません。
野菜の場合は、煮る、ゆでる、ふきこぼす調理法が有効です。ホウレンソウやシュンギクは、ゆでてあくぬきすれば、セシウムやヨウ素の50~80%が落ちると報告されています。
肉類の場合は、酢に2日間漬けて、汁を捨てると90%の放射能が除去されます。牛のロース肉を柔らかく煮ると、セシウム137の49%が除去できる実験結果も報告されています。
魚の場合は主として内臓に放射性物質が蓄積されやすいので、内臓を取り除くことで、かなりの除染効果があります。煮魚にするとセシウム137の50%が除去されます。ストロンチウム90は骨に蓄積しやすいので、骨ごと食べる小魚の汚染状況にも注意を払う必要があります。
「しんぶん赤旗」日曜版 2011年9月18日付掲載
汚染された食品でもいろいろ手を尽くすと除染できるんですね。でも、最初から汚染されていない事に越したことはありません。
早く原発事故が収束してほしいものです。
「蒸留したブランデーはほとんど100%放射性物質が除去されたデータがある」って事に「これ幸い」とお酒飲みの人が飛びついて、お酒の量が増えるって事にならないでしょうか・・。
ちょっと心配です。
600人がかりで ストレステスト はたして大丈夫??
「読売新聞」の2011年9月18日朝刊に下記の記事が掲載された・・・
政府が原子力発竃所再稼働の条件とするストレステスト(耐性検査)を行っている三菱重工業が、読発新聞に対してテスト状況の取材に応じた。
三菱重工神戸造船所
原子力関連の生産高が約7割を占める神戸造船所(神戸市)内に今年8月、原発の安全対策を行う、「安金高度化対策推進室」を設けた。12階建てのビルに約600人の技術者が集まり、原子炉容器や配管、蒸気発生器、ポンプなど、プラントの部位ごとに分けて行っている。ある部屋では、100台程度のパソコンを使って、加圧水型軽水炉(PWR〉が地震などの力にどこまで耐えられるかのシミュレーション(想定実験〉を繰り返していた。解析結果はパソコン画面に細かい数値データで豪示される。担当者は、入カデータに誤りがないかどうかを2~3人1組でチェックし、表示されたデータを一つ一つ分析している。
ストレステスト作業をする三菱籔工業の技術者ら(16日午後、神戸市兵庫区の三菱重工業神戸造船所で)=原田拓未撮影
政府が原発の再稼働の条件としているのがストレステスト。しかしその実態は、パソコンを連結して行うシミュレーションだ!
たかだかパソコンの連結で行えるシミュレーションっていうのは、あらかじめ想定された範囲での、それこそ「トレース」でしかないと思います。
本気でシミュレーションを行うなら、ポートアイランド2期に建設中の「スーパーコンピュータ京」を使うべきでしょうね。
日本共産党が、「ストレステストをパスしたから再稼働を認めることはできない」って言っているのは、「読売新聞」の報道からも納得できます。
そもそも「読売新聞」の元社主の正力松太郎が日本に原発を導入した張本人の一人です。
その「読売新聞」がストレステストの舞台裏をさらけ出したのですから・・・。面白いものですね。
「事実は小説より奇なり」とはよく言ったものです。
「読売新聞」の意図は知るすべもありませんが、それが逆の効果をもたらしかねないと思うのは僕だけでしょうか・・・。
シリーズ 原発の深層 第一部・原発マネー⑫ 促進費用は国民負担
政府や財界・産業界は、原子力発電所の建設を進めるため、巨額の資金を動かしてきました。その資金で、自治体の財政を交付金漬けにし、原発に縛りつけてきました。さらに、行政の腐敗も招きました。その原資を提供している電気料金の決め方は、“ブラックボックス”です。
海江田万里元経済産業相は8月3日、衆院経済産業委員会で、日本共産党の吉井英勝議員への答弁で、電気料金の決め方が不透明であることを認めました。電力会社が設定する電気料金は、人件費や燃料費などの費用に一定の利潤を加えたものを「総括原価」と定義し、それに基づいて決めています。
戦前から存在
総括原価の中には、原発を促進するための費用も含まれています。その一つに、電源開発促進税があります。1974年に電源3法が成立し、そのうちの電源開発促進税法に基づいて設けられました。
電源開発促進税の多くは、原発立地自治体への交付金や原子力の研究開発費などに使われています。同税は、電力会社が政府に納める形になっていますが、実質的には電気料金として国民が負担しています。予算が執行されて金額が確定した決算でみると、2009年度には年間約3300億円にのぼり、74年度から09年度までの合計で約9兆円に達します。
総括原価方式の根拠となっている電気事業法は、65年に施行されました。ところが、この仕組みは、戦前から存在していたのです。
東京電力の社史『関東の電気事業と東京電力電気事業の創始から東京電力50年への軌跡』には、「(33年7月、電気料金の認可基準では)原価主義を採用し、減価償却費、営業費、電気事業者の利得の合計を総括原価額と規定した」との記述があります。
コストに利潤を加えた総括原価を基準に、電気料金が決められていたのです。戦後の51年5月1日、戦中に国家管理下にあった電力会社が民間会社として設立され、9電力体制ができました。電気供給を安定的に行うという名目で、総括原価方式や、地域で独占的に電気供給を行う事業が認められました。
工作は多岐に
電力会社の役員による政治家への献金、官僚の天下りの受け入れ、広告費でメディアの批判を封じるなど、電力会社側が行ってきた工作は多岐にわたります。総括原価方式は、「電気事業の健全な発達を図る」との建前とは裏腹に、原発推進のために利用されてきたのです。(第1部おわり)
(第1部は金子豊弘、清水渡、中川亮、藤沢忠明、松田繁郎が担当しました)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2011年9月16日付掲載
公共的な欠かせないライフラインである電気事業だらかこそ、「総括原価方式」として電気事業者に、つまり東電とか関電とかに、一定の利益を保証する仕組みが認められるのだと思います。
その「費用」の中に、原発推進のための買収工作費用、開発費用も含まれ、結局電気代に転嫁できるとなるとかなり理不尽なのもです。
もっと、中身をオープンにして欲しいものですね。