写真は語る① 「真」の姿を写す
大藪順子(のぶこ)
写真は撮る人の視点だけでなく思いも映し出す。
アメリカの新聞社で専属フォトジャーナリストをしていた時、富める人、貧しい人、人種や文化の違う人と出会う中で、彼らをどのように写すか常に注意が必要だった。なぜなら、私の中の偏見や先入観が写真に写り込んでしまったら、写っている事柄がニュースではなくオピニオンになってしまうからだ。
ビジュアル情報、特に報道写真が、社会に存在するステレオタイプを助長するのは間違っている。いや、そもそも偏見や先入観は、写真や映像を通して作られてきた。歴史の中で幾度となく、意識や思想を誘導する手段として、ビジュアルはプロパガンダに使われてきたのだ。
多様性が叫ばれる今は特に、ビジュアル情報に携わる者には、もっと自分の勝手な思い込みと発信するイメージとに向き合う必要がある。
「二つの視点」大藪順子作 ©2020Nobuko Oyabu All Rights Reserved
写真には、近年別の問題も生まれている。
スマホアプリの開発が進み、手元で写真を簡単に編集できるようになった今、目にするイメージ全てが実際に存在する風景であると思っていては、騙される時代になった。何が本当かを見極めるためには、実際にその場に出向いて自分の目で確認するしかない時代ともいえる。
写真の「真(の姿)を写す」という「真」の意味が薄れていくのは、なんだか皮肉である。
そんな時代の今、どのように撮れば「真を写した」イメージとなり、「真」を伝える写真を取り戻すことができるのか。
それに対する一取り組みとして私が始めた二つの写真プロジェクトについて、この連載で紹介したい。これらのプロジェクトでは、写真家の私が撮るのではなく、撮られる側になりがちな人たちがカメラを持ち、当事者の世界とそこに反映される思いを内側から写し出す。それらの写真は見る人たちに、別の視点からの「真」なる物事について語ってくれる。
(フォトジャーナリスト、コラムニスト)(金曜掲載)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2021年4月2日付掲載
以前は、「写真」は真実を写すから「写真」と言われてきた。
しかし、写真編集ソフトで簡単に編集できる時代。今目の前にある写真が「真実」とは言えない。
また、どのように意図して撮るかが問われてくるという。
大藪順子(のぶこ)
写真は撮る人の視点だけでなく思いも映し出す。
アメリカの新聞社で専属フォトジャーナリストをしていた時、富める人、貧しい人、人種や文化の違う人と出会う中で、彼らをどのように写すか常に注意が必要だった。なぜなら、私の中の偏見や先入観が写真に写り込んでしまったら、写っている事柄がニュースではなくオピニオンになってしまうからだ。
ビジュアル情報、特に報道写真が、社会に存在するステレオタイプを助長するのは間違っている。いや、そもそも偏見や先入観は、写真や映像を通して作られてきた。歴史の中で幾度となく、意識や思想を誘導する手段として、ビジュアルはプロパガンダに使われてきたのだ。
多様性が叫ばれる今は特に、ビジュアル情報に携わる者には、もっと自分の勝手な思い込みと発信するイメージとに向き合う必要がある。
「二つの視点」大藪順子作 ©2020Nobuko Oyabu All Rights Reserved
写真には、近年別の問題も生まれている。
スマホアプリの開発が進み、手元で写真を簡単に編集できるようになった今、目にするイメージ全てが実際に存在する風景であると思っていては、騙される時代になった。何が本当かを見極めるためには、実際にその場に出向いて自分の目で確認するしかない時代ともいえる。
写真の「真(の姿)を写す」という「真」の意味が薄れていくのは、なんだか皮肉である。
そんな時代の今、どのように撮れば「真を写した」イメージとなり、「真」を伝える写真を取り戻すことができるのか。
それに対する一取り組みとして私が始めた二つの写真プロジェクトについて、この連載で紹介したい。これらのプロジェクトでは、写真家の私が撮るのではなく、撮られる側になりがちな人たちがカメラを持ち、当事者の世界とそこに反映される思いを内側から写し出す。それらの写真は見る人たちに、別の視点からの「真」なる物事について語ってくれる。
(フォトジャーナリスト、コラムニスト)(金曜掲載)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2021年4月2日付掲載
以前は、「写真」は真実を写すから「写真」と言われてきた。
しかし、写真編集ソフトで簡単に編集できる時代。今目の前にある写真が「真実」とは言えない。
また、どのように意図して撮るかが問われてくるという。