名古屋・名駅街暮らし

足の向くまま気の向くままに、季節の移ろいや暮らしのあれこれを綴ります。

四十九日法要

2010年06月05日 | セカンドルーム

 

名古屋のお寺で、親戚の四十九日の法要と納骨式があったので、お参りをしてきた。
両親が健在で小さい子供を残しての旅立ちは、思い残すことも多かったことだろうと、切ない気持ちが募った。
健気に手伝いをする、子供の姿はいっそう悲しみを誘う。
法要と納骨を終え、土に還って行ったが、僅か49日間で親族の悲しみが癒えることは無い。
死は突然訪れることが多く、家族は心身ともに疲労困憊の中で通夜や葬儀の段取りを決め、悲しみに浸る間もなく、7日ごとに法要を営み今日の忌明けを迎えた。
納骨式は、遺骨を墓に納める儀式で、これが済めば死者は極楽浄土へ旅立つといわれている。

私も親から受け継いだ墓や仏壇を守り、先祖の供養を寺との関わりの中で続けている。
墓参りやお盆、お彼岸などの行事で、先祖を偲ぶ良い機会になっているが、娘3人が嫁いでしまった後は、いずれ途絶えることを覚悟しなければならないと思っている。
昨今は葬式が要る要らないの議論が起こっているが、核家族や少子化が進む中で、当然の議論と思うし、寺の役割も変わらざるを得ないだろう。
自然葬を願う人も増えているようで、遺灰を思い出の海、山、川などにまいて、墓も位牌も残さない自然派もいるという。
墓石が林立するマンモス墓地や、狭い納骨室に納まるよりは、開放的で天国へ旅立つのにふさわしい場所のように思う。
この分野の法整備は進んでいないが、節度を守って行えば、文字通り「自然に還る」を実践できるだろう。
いずれ直面する問題を、はからずも親族の法要で考えさせられたが、自分に置き換えると、何も出来ない迷える衆生の一人と自覚するだけであった。

コメント (6)
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