名古屋・名駅街暮らし

足の向くまま気の向くままに、季節の移ろいや暮らしのあれこれを綴ります。

春の高山祭り 祭り行列「ご巡幸」に参加して

2010年04月15日 | セカンドルーム

今朝起きたら、すっかり冬景色に変わっていた。
積雪は5センチほどだが、風花が北の風に舞い、外の気温は氷点下3度だった。
高山祭りの2日目は、「ご巡幸」の警護役という晴れ舞台があるので、天気が気になったが、町なかは積雪も無く、予定通り行われることになった。


中橋河畔の桜も、薄っすらと雪をのせて風情があった。
美容室で、紋付と飛騨裃の着付けをしてもらい、扇子、杖、草履、一文字笠などの小物を身につけて、集合場所へ向かった。
美容師さんから裃姿がよく似合うとお世辞を言われたが、鏡に映る姿を見て、満更でもないとニンマリ。
今日の世話役をする骨董屋のご主人から、役割の説明などを受けて、出発地点のお旅所へ向かった。
さすが本物の警護役は、裃の着こなしもさまになっているし、杖も捻じ曲がった自然木の漆仕上げ、年代ものの印籠に凝った根付など、道具屋ならではの出で立ちであった。
お昼前にお旅所を出発した行列は、各町内を練り歩きながら日枝神社へ向かう。
いつもとは逆で、大勢の観光客の被写体になり、なんだかスターになった気分でクセになりそう。
3時過ぎに行列は神社に着き、神輿の神様が神殿に戻る神事を終え、2日間の幕が閉じられた。
最後に境内で、氏子総代と宮本代表の挨拶で解散となった。
宮本とは、祭りを取り仕切る役割で、各組が持ち回りでやっている。

今日は動けない氏子の代役を務めたが、手不足で祭りの運営に、頭を悩まされているようだ。
少子化に加えて、若い人たちは都会へ出る人も多く、氏子の高齢化で祭りの担い手が年々少なくなっていく。
代役をした組も、出られる人は3人しかいないので、来年は宮本の役が回ってくるので、今から心配しているとのことだ。
屋台組や神輿組の中には、僅か数軒の氏子で維持されているところもあるようで、運営も難しくなっていくようだ。
華やかな時代絵巻の裏で、厳しい現実を垣間見た祭り体験だった。

祭り行列から見た風景をスライドショーでご覧ください。

 

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春の高山祭り

2010年04月14日 | セカンドルーム

今朝は、小雪が舞い北西の風も強く、久しぶりに冬の冷たさを感じた。
お昼過ぎに、青空が見えてきたので高山祭りの見物をしてきた。
宮川河畔の桜も3分咲きで、柳も芽吹き、祭りに彩を添えていた。
相変わらずの人込みで、陣屋前の「からくり奉納」に近付けず、雰囲気だけを味わってきた。
もう一つの呼び物「ご巡幸」は、時代絵巻のような祭り行列が、数百人の氏子によって繰り広げられる。
日枝神社で「ご分霊」が乗り移った神輿を中心に、屋台組警固、獅子舞、闘鶏楽、神楽などの行列が、陣屋前の「お旅所」まで練り歩く。
明日15日は、「お旅所」で1泊した神様は、同じ行列を連ねて神社へ戻られる。

明日は、縁あって旧家の主の代役で、警護役を務めることになった。
黒紋付に裃と、一文字笠を被った正装に自信はないが、初めての祭り体験を楽しんできます。

「ご巡幸」のスライドショーをご覧ください。



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NHKクローズアップ現代「廃墟巡りの旅」を見て

2010年04月13日 | セカンドルーム

 

昨日、クローズアップ現代で、「大人気、廃墟巡りの旅」を放映していた。
映像で見た、軍艦島や旧日本軍の化学工場の迫力に圧倒された。
最近は廃墟の価値が見直され、見学ツアーが若者の間で人気を得ているとのことだ。
かつて栄えた場所に足を運び、高度成長を支えてきた産業遺産から価値を見出すのだと、コメンテーターは語っていた。

飛騨には、草木に覆われた鉱山跡や、半ば土砂に埋没した古い砂防堰などが多く残っている。
その大半は、世間から再び脚光を浴びることも、保護されることも無く、役割を終えて朽ち果てていく。
廃墟マニアではないが、かって繁栄した場所に足を運び、滅びていく姿を見ながら往時を偲び、思いを巡らす事が好きで、野山を分け入って訪ねている。
東洋一の規模を誇った旧神岡鉱山は、数百年にわたって削り取られた山や、工場、学校、住宅、神社などが、廃墟と化して今も残っている。
乗鞍山中の平金鉱山跡には、水力発電の導水路や鉱口がわずかに痕跡をとどめているだけで、かつて町や芝居小屋、遊郭があったこは、想像すら出来ない。
昭和初期に築造された、焼岳を水源とする「岩坪谷」に残る3基の砂防堰は、半ば土砂に埋まりながらも、いまだに役割を果たしている姿は感動的であった。
近代砂防のはじめの一歩といわれながら、飛騨でもその存在を知る人は少ない。
廃墟を物見遊山の対象とするのは賛成出来ないが、そこで何が行われ、そこに携わった人たちは、どんな思いでいたかを知ることは、繁栄を享受した我々の務めかも知れない。
自然破壊や、朝鮮半島の人たちの犠牲、麓や下流に暮らす人たちの公害病など、若い人たちが負の部分を学べば、多くの廃墟も浮かばれることだろう。

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暗雲は晴れないまま

2010年04月12日 | セカンドルーム
 朝方の小雨は、午後から本降りとなった。
風が無いので、山襞にはり付いた霧の層が、だんだん厚くなって空に昇って行く様子がよくわかる。
恵みの雨はありがたいが、暗い空を見上げていると、早く止んでくれと言いたくなる。

どうせ今日一日は足止めと、覚悟を決めて先日来写真がUP出来ないままになっている、ホームページの更新作業に再チャレンジした。
原因は契約容量をオーバーしているので、余分なファイルを削除をするか、容量の多いプロバイダーへ移るかで、問題解決すると理解している。
取りあえず、ファイルを整理して軽くしようと、かなりの量の画像を削除してサイトへ転送したが、結果は「エラー発生」で更新できなかった。
過去の画像を1枚ずつ調べて、削除したり容量を軽くする作業は、思ったより面倒で手間が掛かったが、すべて無駄だった。
そうこうしている内に、突然の停電ですべてがストップしてしまった。
2週間ほど前に停電の案内があり、今日の13時30分から配電線工事で、2時間停電することをすっかり忘れていた。
作業途中に上書き保存をしておいたので事なきを得たが、思い通りにならないパソコンに振り回されたり停電を忘れたりして、フラストレーションの残る一日となってしまった。
電気は通じたが、やる気は途切れたままで復旧できなかった。 暗雲はいつになったら晴れることやら。
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春を迎える山里の風景

2010年04月11日 | セカンドルーム

 

傘を差すほどではないが、久しぶりに小雨が降った。
春の雨は乾燥した大地を潤し、木々の芽吹きを促してくれる。
今朝の雨は少し物足りない降り方で、すぐに止んでしまった。

田畑の雑草は、日に日に伸びていくし、山の芽吹きも間もなく始まる。

 
渓谷沿いの「だんこうばい」が、雨にくすんで咲いていた。
このあたりでは、桜やこぶしに先立って咲く花で、春の到来を感じる風景の一つである。


日陰の汚れた残雪も、めっきり少なくなり、ここ数日で無くなるだろう。

安房峠や野麦峠道路などは、まだ冬季通行止めだが、一般道路の積雪は無くなったし、これから降っても大したことは無いので、今日は冬用タイヤの交換をした。
年2回のタイヤ交換で、厳しい冬の到来と、春の開放感を味わっている。


近所の家では、休日を利用して三世代で椎茸の菌打ちをやっていた。
息子さんが「ほだ木」にドリルで穴を開け、おじいさんが駒を穴に入れ、おばあさんが木槌で打ち込んでいた。
ほほえましい分業を、孫は珍しそうに見学している。
山里にも遅い春がやって来て、今日も日常的な風景が、毎年変わることなく繰り返されている。

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飛騨の春

2010年04月10日 | セカンドルーム

 

今朝は、南の風が暖かい空気を運んで来たのか、ストーブを焚く程の寒さは無かった。
飛騨地方は、霜と乾燥注意報が出ていたが、霜の予報は外れたようだ。


うららかな春の陽気で、つくしの頭も弾け、蕗のとうも花が開いて蜜蜂が寄っていた。

 
つい最近まで、雪や霜に耐えていた水仙が、暖かい日差しを受けていっせいに開花した。
花は可憐だが、枯葉を押し退けたり、持ち上げたりして咲く姿は逞しい。


湧き水の周りに自生しているクレソンが、わさびを取り囲むように密生していた。
飛騨牛のステーキに添えれば、味を引き立てるが、今日は質素にお浸しでいこう。


裏山の椎茸は、雨が降らない上に、空気もカラカラに乾燥しているので、大きくなる前に干割れしている。


直射日光の当らない杉林の中でも、乾燥した風が吹き込んでくるので、笠の水分を奪ってしまう。
本格的な発生の時期を迎えたので、一雨欲しいところだが、こればかりはどうにもならない。
ハウスの菌床栽培は、温度も湿度もコントロールできるので、安定した収穫が出来るが、原木栽培はいつも天気に左右される。
低温や乾燥に耐えた椎茸は、形は不揃いで小さいが、身がしまって味は格別だ。
春の遅い飛騨も、日ごとに春色が濃くなっていく。

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怪我の功名?

2010年04月09日 | セカンドルーム


今朝は裏山の鶯の鳴き声で目が覚め、気が付いたら8時を過ぎていた。
5時になれば外が明るくなるので、あまり寝坊は出来ない。
昨日の夜更かしのせいもあるが、先日の「ほだ木」作り以来、力仕事をしていないので、日頃のサイクルが狂ったようだ。
田んぼの畦作りも終わっていないし、椎茸の菌打ちも残っている。

 

畑に入れる堆肥も、牛舎から運んで山積みになったままである。

 
まわりでは、田起こしをしたり苗代の準備も始まったので、何となく焦ってしまう。

ドジなことに、先日指をザックリやってしまい、鍬やトンカチを握れない状態になっている。
プロ?として恥ずかしいので、怪我の原因は云えないが、ようやく傷口もふさがり関節も曲がるようになった。
怪我はつきものなので、ガーゼや絆創膏、消毒薬などは常備しているが、即効薬は無いので、直るまでには時間が掛かる。
傷を消毒してガーゼと絆創膏で塞いだが、出血がしばらく止まらなかった。
近所の人は、絹糸で縫って傷口を閉じたと云っていたが、とてもそんな真似は出来ない。
おばあさんが一輪車を押していて、誤ってハンドルでお腹を刺し、さらしを巻いて養生していたが、腸が見えるほど化膿して、やっと病院へ行ったという話も聞く。
指1本の怪我で大騒ぎは出来ないが、ちょっと不自由な思いをしただけで済んだし、休養も出来たので、この程度なら怪我の功名だと思ったりしている。

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「隠れ里」を訪ねて

2010年04月08日 | セカンドルーム

 

今朝の冷え込みは強く、水溜りや犬用の水には氷が張っていたが、くっきり晴れ上がった空はまぶしかった。


日が高くなると気温も上がり、日向ぼっこをしていたユキは、木陰へ移動をしていく。


鶯の初鳴きを耳にし、枯葉の間からつくしが頭をもたげていた。
三寒四温の繰り返しだが、日ごとに春の気配を身近に感じるようになってきた。

今日は久しぶりに隣町の大島町へ行ってきた。
春祭りに招かれたり、付き合いのある人も住んでいるので、度々ここを訪れている。
岩井町から、大八賀川沿いに下っていく道もあるが、今は行き来が無いため崖崩れや落石で道が荒れ、通行止めになっている。

 道すがら見た白山
県道を市街地近くまで行って、国道361号線を木曽方面に向かい、美女峠の手前を左に折れた先が大島町である。


大島町は全戸数が5戸で、手前に2軒、奥に3軒の家があるが、1軒は空き家になり、他もすべて老人所帯で、山あいの僅かばかりの平地を耕して、米や野菜を作っている。
国道361号線は、冬季閉鎖されるため大島町の人たちは、秋の収穫が終わると町へ移り、春の農作業が始まる頃家に戻ってくる。


今日は、奥の一軒だけが戻って来て、5ヶ月間留守にした家や庭の掃除をしていた。
4月26日に、「大島八幡神社」の例祭が行われるので、それまでに皆さんは戻ってくるとのことだった。
6年前の春に初めて訪れたときは、こんなに長閑で、時間が止まったままの世界があるのかと、感動したことを思い出す。
そのとき以来、ひそかに「隠れ里」と呼んで、ここで暮らす人たちと付き合ってきた。
ここ数年の間に、亡くなられたり、高齢で農作業をやめられた方も居るが、まわりの自然は今も少しも変わっていない。

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高山祭りが近づいてきた

2010年04月07日 | セカンドルーム


高山の町へ買い物に行って、駅前を通りかかったら、山王祭の幟が強い風で支柱に絡んでいた。
今日は北の風が強く、黒い雲が勢いよく流れて、冬の空のようだ。
4月14,15日は春の高山祭り(山王祭)が行われるが、1日は天気が荒れると言われているので、好天を期待したい。
12台の屋台の曳き揃えや、神輿を中心にした祭り行列。 それを守る黒紋付に裃姿で、一文字笠を被った警護役など、時代絵巻を見るように美しい。
高山祭りが終わると、春の遅い飛騨地方にも、本格的な春が訪れるといわれている。

花が咲いていないので花冷えとは言えないが、今日の寒さを吹き飛ばすような風景を、裏山で見つけた。


接写では情景も分からないし、なんとも妙な写真である。


普通の距離で撮ると、朴葉の虫食い穴をこじ開けて、水仙が勢いよく伸びている様子が分かる。
落ち葉のしとねで眠っていた水仙が、あちこちで、春を感じて起き上がってきた。
春になると、雑草やつくしが落ち葉や小枝を乗せて、伸びていく姿をよく見かける。
朴葉は大きくて、腐蝕に時間が掛かるので、水仙ほどの力が無い植物は、起き上がるのに大変だろう。
それでも、葉をめくると、もやしのような青白い芽がたくさん出ていた。
古家に生えた竹の子が、畳を持ち上げたという話を聞くが、春は万物に生気と活力を与えてくれる。

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師匠の指導で山仕事

2010年04月06日 | セカンドルーム

 

早朝は霧に覆われ、霜も降りていた。
太陽が顔を出すと、霧も下の方へ流れていって、春らしい青空が顔を出した。
天気も良さそうなので、近所のおじいさんを誘って、山へ出かけることにした。
どこの家も広い山を持っていて、昔は炭を焼いたり、薪やパルプ材の切り出しで収入を得ていたが、今はその需要も無くなり、山で仕事をする人は少ない。
最近の自然志向で、きのこの原木栽培用のほだ木や、ストーブ用の薪の需要も少しはあるが、手間賃にもならないと、あまり積極的にしない。
大正9年生まれのおじいさんは、子供の頃からこの山で仕事をし、山すそをならして田畑を作ってきた。
自然が厳しい上に、野生動物の被害も大きいので、山奥の田畑は次々と放棄されていったが、このおじいさんは最後まで田畑を守っていたが、3年前に断念してしまった。

 現役の頃の田植えの準備
見た目にはのどかな山里風景であったが、機械が入らない小さな田を維持するのは、想像以上に大変だ。


何十年もかかって作った田が、少しずつ元の山に帰っていく姿を見るのは、さぞかし辛いことだろう。

今日は、おじいさんの山で切らせてもらった木を、1mの長さにチェンソーで切り、家まで運んだ。


おじいさも、昔取った杵つかで、小枝を鋸で切って束ねてくれた。


太い幹はストーブ用の薪にし、直径10センチほどの木は、椎茸栽培用の「ほだ木」に使う。


先週は、「なめこ」の植菌が終わったので、しばらく井桁に積んで乾かした後に、椎茸菌の付いた駒を打つ作業をする。
2週間ほど寝かせたら、裏山に運んで並べておくと、来年の春から椎茸の収穫が出来る。ようやく春らしい陽気になって、外の仕事が苦にならなくなった。

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雪解け後の林道の下見

2010年04月05日 | セカンドルーム

 

今日は曇っていたが、南の暖かい風が吹き、春らしい陽気になった。
渓谷沿いの林道をさかのぼって、奥まで様子を見に行ってきた。
所々に残雪や倒木、小さな崖崩れもあったが、何とか目的地まで車で入れた。
杉の植林地は日が当たらないので、雪は少し残っていたが、この程度なら問題ない。


せせらぎも雪解け水を集めて水量が増し、長靴では渡れなかった。


水際に自生しているわさびも、瑞々しい新芽とかわいらしい若葉が出ていた。


最奥部の田畑は、最近まで老夫婦が耕作をしていたが、止めた後は、ここに立ち寄る人もいない。


作業小屋は、雪の重みで潰されることも無く、何とか持ちこたえていた。


稲束を干した「はさ」や物置小屋は、倒壊してもう使えない。
田植えの頃は山桜や山梨の花が咲き誇り、まるで桃源郷のようであったが、今は見る影も無く寂れている。
老夫婦は、2キロほどの山道を通うことが出来なくなったので、たまに見回りを兼ねて、ここまで車で案内する。

昨年の秋、ナラの木を3本切らせてもらった時も、おじいさんは嬉しそうな表情で手伝ってくれた。
今日の下見で、道路の状態も伐採した木の枯れ具合も良さそうなので、明日の天気が好かったら、二人を誘って山仕事をしよう。

 

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岩井神社の春祭り

2010年04月04日 | セカンドルーム

 

今朝は放射冷却で冷え込みが強く、あたり一面が霜に覆われて、真っ白になっていた。


田んぼの水溜りには厚い氷が張り、ガラス細工のような霜柱が林立し、踏むのが惜しいくらいきれいだった。

 
開き始めた水仙も、蕾を固く閉じてしまいそうだ。


今朝の気温は-5℃であったが、日が昇れば霜も氷も瞬く間に消えていく。
陽光だけは春になった。

今日は岩井神社で、東照宮の宮司を招いて、祈年祭が執り行われた。


飛騨では、4月下旬まで各集落の鎮守の森で行われるが、4月14、15日の高山祭り(日枝神社・山王祭)は有名である。
毎年春は、五穀豊穣を祈り、秋は豊作に感謝する例祭が行われている。
秋の本祭りは、お神輿や祭り行列、獅子舞、お神楽など、様々な祭事が賑々しく行われるが、春は神殿の中で豊作祈願と諸事安全のお祓いが行われる。

昔から、春になると神様は里に降りて、人々の暮らしや農作業を見守り、秋の収穫を見届けて山に帰ると信じられてきた。
祈年祭は、農業神事が中心であるが、最近は新入学や、就職した人たちの、学業向上や安全祈願などのお祓いも行われる。


小学校は3名の入学者がいたが、父兄に付き添われ、小さな手で玉ぐしを捧げている姿がかわいらしかった。
試算によると学区の小学校は、これから入学者が0の年もあるので、統廃合の議論も既に始まっている。
例祭に参加する人たちも年々減っていくので、長く続いた例祭や季節ごとの神事など、伝統行事を維持するは大変なことだろう。
全国から観光客が集まる高山祭りとは比較できないが、数少ない氏子だけで厳かに執り行われる神事は、祭り本来の姿を見ることが出来る。

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名古屋から高山へ

2010年04月03日 | セカンドルーム

穏やかな春の陽射しを浴びながら、名古屋を出て高山に向かった。


東海北陸道の長良川SAは、桜やタンポポが咲き乱れ、清流もキラキラと輝き、すっかり春の景色に変わっていた。


ひるがの高原を過ぎて、飛騨に入る頃から雪が降りだし、道路標識には「ユキ注意」の表示も出た。


家に着く頃には、雪は止んでいたが、風が強くて冬のように寒い。


それでも、雪の解けた庭には、蕗のとうがたくさん出て、雑草も伸びていた。

 
裏山の椎茸も、あちこちのほだ木から出始めて、少し育ち過ぎた椎茸も混じっていた。
数日留守にしている間に、まわりの雪はすっかり消えて、春を随所に目にするが、体感的には冬だった。
暖かかった名古屋から来たので、余計に寒さが身にしみるのかも知れない。
桜のつぼみも固く、飛騨の本格的な春は、未だ先のようだ。

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「ソニーストア名古屋」で3Dテレビとスマートフォンの体験

2010年04月02日 | セカンドルーム

 

朝方まで降っていた雨は上がったが、名古屋の空は雲に覆われていた。
学生時代の仲間と落ち合い、栄で食事をし、他愛の無いことをだべってきた。
最近は、夜の街へ繰り出すことも少なくなって、明るいうちに家に帰れるのは健康的で良いことだが、何となく物足りない気がしないでもない。
夕方になって、ようやく青空が戻り、明日はお花見日和になりそう。

先月栄にオープンした、「ソニーストア名古屋」に寄ってきた。
銀座、大阪に次ぐ3番目の直営店で、ソニー製品の展示と販売をしている。
量販店や専門店とは違って、スタイリストと称する社員が、商品説明や体験、コンサルティングから、買った商品のセットアップ、カスタマイズまでやってくれる。
複雑なデジタル商品に不慣れな人も、安心して買い物が出来そうだ。
さっそく、6月に発売予定の、3Dテレビを体験したが、想像していた以上に鮮明で立体感もあった。
サンゴ礁の海を泳ぐ魚が、目の前に迫ってくる姿はきれいだったが、虎や狼が飛び出してきたら、ちょっと怖い感じもしそうだ。
先日、ドコモからAndroid搭載のスマートフォン「Xperia」が発売されて話題になったが、ここでも手にとって試せるし、説明も丁寧にしてくれる。
様々な情報機能を搭載した商品は、パソコンとの境目がますます無くなっていく。
タッチパネルが増えてきたが、auからキーボード搭載のスマートホンが、6月に発売されるようだ。
ネットブックPCが欲しいと思っていたが、何となく陳腐化したような感じがしないでもない。
激しい動きに、とても付いて行けないが、可愛らしいスタイリストの説明を聞いていると、あれも欲しいこれも使えそうだと思ってしまう。
ソニーさんも、罪な店を作ったものだ。

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ホームページの更新トラブル

2010年04月01日 | セカンドルーム


今日の名古屋は花曇りで、時々小雨は降ったが、暖かくて過ごしやすい一日だった。
折角開いた納屋橋河畔の桜も、雨にくすんで冴えなかった。

飛騨の山里にも、去年から光ケーブルが敷設されて、インターネットの接続が快適になり、ほぼ毎日「ブログ」を更新し、ホームページ「飛騨の山里暮らし」も月に1回のペースで更新している。
HPは、IBMの「ホームページビルダー」を使い、プロバイダーはKDDIを利用している。
携帯や固定電話などの契約コースに含まれる、ホームページ公開代理サービスは、50MBまでは無料で、容量オーバー分は1MB当たり月額50円であった。
最近は、画像を多く使うようになり、追加料金を払って容量を増やしてきたが、今月で100MBを越して画像のUPが出来なかった。
調べてみたら、契約コースの容量は100MBが上限で、これ以上の増量は出来ないとのことだった。
リンクを外せば、その分の容量は増えると思って、古いページを外したが、素人の浅知恵は通用しなかった。
コールセンターに相談したところ、リンクを外すだけでなく、ページを削除しないと反映しないとのことだった。
折角作ったのを削除するのも忍びないので、何か良い方法はないかと相談したところ、家賃も高くなったことだし、引越しするのがベストだと粋な回答をもらった。
色々なサーバーをネットで探していたら、1ギガまで無料とか、月数百円で無制限とかがあり、選択に迷うほどだった。
サービス内容や信頼性、一方的に広告バナーを付けるなど、問題もあるので引越し先も慎重に選ぶ必要がありそうだ。
引越し先を探すか、古いページを削除しながら今のプロバイダーを使うか迷うところだが、高山へ帰ってから、ゆっくり考えようと思っている。
そんな訳で、4月号の「飛騨の山里暮らし」は、画像が無いままの掲載となります。

 

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