オフらしく過去の思い出話にしますが、今回は2000年に国立で行われた高校選手権決勝の思い出です。ちょっと前に田原(京都)を話題にしましたが、このときも豪華メンバーの決勝戦で、田原以外にも鹿児島実には松井(ルマン[フランス])、那須(横浜FM→東京V)がいて、対戦相手の市立船橋にも永井俊太(柏)、本橋(山形)、羽田(C大阪)らのプロ予備軍がいました。
しかし、そんな決勝戦で、地味ながら渋い輝きを放っていた選手が市船にいました。その選手は、ボランチの藤沼という選手でした。対戦相手の鹿児島実の内野というボランチがゲームメーカータイプで、左右にパスを回す華麗なサッカーをしていたのとは対照的に、藤沼はとにかく相手からボールを奪う、現在で言えばガットゥーゾのような選手でした。
もちろん、市船でレギュラーになるくらいですから、基本的な技術はしっかりしているでしょうし、華麗なプレーをやろうと思えばできるのでしょう。しかし、藤沼は決して背伸びをせず、自分のできる確実なプレーを心がけていました。ボールを奪ったら、フォローに来たもう一人のボランチに、短いパスで確実に預け、自らは決してバイタルエリアから出て行きませんでした。
この地味な守備を見ると、サッカーにおける自分の役割は大事だなと、高校サッカー初観戦の私は強く感じました。あの名門の市船でさえこういう選手がいるのですから、レベルによってはこういうスペシャリストを並べたチームも多くあるはずです。
今ではガットゥーゾが好きというミランファンもいますから、こういう選手に注目する人もいるでしょうが、当時はこういう選手を見つけると、一人で「得をしたな」と満足して国立競技場を後にしたものです。レベルの低い話をして申し訳ありませんが、高校時代の体育の授業で、全然うまくない私がバスケで全員の協力でゾーンディフェンスをやったら、面白いように相手の攻撃が止められたという事実を思い出しました。
しかし、そんな決勝戦で、地味ながら渋い輝きを放っていた選手が市船にいました。その選手は、ボランチの藤沼という選手でした。対戦相手の鹿児島実の内野というボランチがゲームメーカータイプで、左右にパスを回す華麗なサッカーをしていたのとは対照的に、藤沼はとにかく相手からボールを奪う、現在で言えばガットゥーゾのような選手でした。
もちろん、市船でレギュラーになるくらいですから、基本的な技術はしっかりしているでしょうし、華麗なプレーをやろうと思えばできるのでしょう。しかし、藤沼は決して背伸びをせず、自分のできる確実なプレーを心がけていました。ボールを奪ったら、フォローに来たもう一人のボランチに、短いパスで確実に預け、自らは決してバイタルエリアから出て行きませんでした。
この地味な守備を見ると、サッカーにおける自分の役割は大事だなと、高校サッカー初観戦の私は強く感じました。あの名門の市船でさえこういう選手がいるのですから、レベルによってはこういうスペシャリストを並べたチームも多くあるはずです。
今ではガットゥーゾが好きというミランファンもいますから、こういう選手に注目する人もいるでしょうが、当時はこういう選手を見つけると、一人で「得をしたな」と満足して国立競技場を後にしたものです。レベルの低い話をして申し訳ありませんが、高校時代の体育の授業で、全然うまくない私がバスケで全員の協力でゾーンディフェンスをやったら、面白いように相手の攻撃が止められたという事実を思い出しました。