今日は浦和ネタが思い浮かばないので、今期J1に昇格したモンテディオ山形(以下山形)の草創期について話題にします。山形は、もともとはNEC山形の社員同好会から出発したチームですが、山形県で国体が開かれることになって強化体制が引かれました。
ただ、国体で強化したチームは、国体が終わってしまうとあっさり解散というようなケース(福島FCなど)があります。山形の場合、チームをモンテディオ山形と改め、チームを1999年に開かれるJ2に加入させるための準備を進めます。ただ、問題になったのは、Jリーグの加盟条件にあるチームの「運営会社」が必要という点でした。
山形の場合、民間企業にしてしまうと、当時できたばかりのJ2の観客動員は予想できず、赤字を抱えて解散という事態も想定していたと思います。そのため、山形の取った手は、山形県のスポーツ振興に貢献する「社団法人」としての運営会社の設立でした。社団法人は利益を追求しないものですし、地方自治体からの支援を受けることもできます。
その結果、山形は無事J2参入を果たし、最初の年は当時昇格間近だった大分をアウェイの地で粉砕する金星を挙げます。ただ、当時はJ2の中継はないのが当たり前だったので、初めて山形をチームとして見るのは浦和のJ2時代の2000年、ホーム駒場に山形が来たときでした。
そのときは、「J2はここまで極端に引くのか」というほどの守備的サッカーをしていました。1トップを残して全員で引いている山形を崩せず、永井がトラップミスした一瞬のミスからカウンターを食って先制点を許すと、最後は西野のクリアミスがGKの背中に当たってVゴール負けと、雨の中最悪のものを見てしまいました。
ただ、このサッカーではJ1昇格は厳しいはずと、当時10位だった山形を見て思いました。そんなイメージが変わったのは、翌2001年、柱谷幸一監督が率いた山形を大宮サッカー場で見てからでした。当時の堀井、根本の2トップが前から激しく相手を追い、運動量で大宮を圧倒するサッカーを見て、これならJ1昇格を狙えるチームになれるかも知れないと思いました。
ただ、2度あった昇格のチャンスを目前で逃し、本当に昇格するのは今年を待たないといけませんでした。しかし、J1に昇格したことで、中澤、闘莉王、楢崎などのビッグネームが本当にNDソフトスタジアムに行っています。それが実現するのも、J1に昇格するメリットで、今年の観客動員は常に1万近いです。
ただ、国体で強化したチームは、国体が終わってしまうとあっさり解散というようなケース(福島FCなど)があります。山形の場合、チームをモンテディオ山形と改め、チームを1999年に開かれるJ2に加入させるための準備を進めます。ただ、問題になったのは、Jリーグの加盟条件にあるチームの「運営会社」が必要という点でした。
山形の場合、民間企業にしてしまうと、当時できたばかりのJ2の観客動員は予想できず、赤字を抱えて解散という事態も想定していたと思います。そのため、山形の取った手は、山形県のスポーツ振興に貢献する「社団法人」としての運営会社の設立でした。社団法人は利益を追求しないものですし、地方自治体からの支援を受けることもできます。
その結果、山形は無事J2参入を果たし、最初の年は当時昇格間近だった大分をアウェイの地で粉砕する金星を挙げます。ただ、当時はJ2の中継はないのが当たり前だったので、初めて山形をチームとして見るのは浦和のJ2時代の2000年、ホーム駒場に山形が来たときでした。
そのときは、「J2はここまで極端に引くのか」というほどの守備的サッカーをしていました。1トップを残して全員で引いている山形を崩せず、永井がトラップミスした一瞬のミスからカウンターを食って先制点を許すと、最後は西野のクリアミスがGKの背中に当たってVゴール負けと、雨の中最悪のものを見てしまいました。
ただ、このサッカーではJ1昇格は厳しいはずと、当時10位だった山形を見て思いました。そんなイメージが変わったのは、翌2001年、柱谷幸一監督が率いた山形を大宮サッカー場で見てからでした。当時の堀井、根本の2トップが前から激しく相手を追い、運動量で大宮を圧倒するサッカーを見て、これならJ1昇格を狙えるチームになれるかも知れないと思いました。
ただ、2度あった昇格のチャンスを目前で逃し、本当に昇格するのは今年を待たないといけませんでした。しかし、J1に昇格したことで、中澤、闘莉王、楢崎などのビッグネームが本当にNDソフトスタジアムに行っています。それが実現するのも、J1に昇格するメリットで、今年の観客動員は常に1万近いです。