今日、そういえばJリーグの初ゴールは誰だっけ?とちょっと考えを巡らせました。1993年のことなので、かなり記憶は薄くなってきていましたが、回答は出ました。ヴェルディ川崎(現東京V)のマイヤー選手です。もっとも、このマイヤー、Jリーグで大活躍したFWではありません。
当時、優勝候補筆頭に挙げられていたV川崎ですが、外国人選手をテスト採用したオランダ人にしていました。他のチームは、ジーコ(鹿島)、リネカー(名古屋)、リトバルスキー(市原)ら超大物を採用していたので、V川崎は時代の流れに少し出遅れました。そのため、1stステージではV川崎は鹿島の後塵を拝します。
このとき、鹿島でゴールを量産していたのが、当時時代のスターだったアルシンドです。かつらの広告にも出演するなど、ブラジルでは経験したことのないスター扱いを受け、本人も大いに驚いたかもしれません。しかし、V川崎はようやく時代の流れに気付き、ブラジル代表経験もあるトップ下のビスマルクを採用して、2ndステージを制して本来の実力を見せます。
ここまで、あれ?浦和の名前が出てこない?と思われた方は若いサポです。浦和は、この1993年は、当時の森監督が「3年分くらい負けた」というほど連敗街道を進み、地元だからと応援していた当時のサポーターを大いに落胆させます。浦和が勝つ喜びを味わうのは、オジェック監督が登場する1995年を待たないといけませんでした。
また、初代得点王は誰?とも思いましたが、こちらは意外と早く回答が出ました。当時横浜MのFW、当時34歳のベテランのR・ディアス選手です。実は、このディアス、セリエAのインテルが1989年に優勝したときの主力FWで、アルゼンチン人なら多くの人が知っているという超大物でした。
当時はサッカーのことはまったくわかっていませんでしたし、Jリーグのチケットも品薄状態で、スタジアムで試合を見ることもできませんでした。そのため、当時の選手のプレー内容はスポーツマスコミの評価に頼ってしまいますが、ディアスはそんなに動く選手ではなく、守備も全然やらないというFWだったらしいです。
しかし、左足のシュート技術は当時ベテランだったにもかかわらず、高いものを持っていたようで、それで輝いた得点王だったようです。
当時、優勝候補筆頭に挙げられていたV川崎ですが、外国人選手をテスト採用したオランダ人にしていました。他のチームは、ジーコ(鹿島)、リネカー(名古屋)、リトバルスキー(市原)ら超大物を採用していたので、V川崎は時代の流れに少し出遅れました。そのため、1stステージではV川崎は鹿島の後塵を拝します。
このとき、鹿島でゴールを量産していたのが、当時時代のスターだったアルシンドです。かつらの広告にも出演するなど、ブラジルでは経験したことのないスター扱いを受け、本人も大いに驚いたかもしれません。しかし、V川崎はようやく時代の流れに気付き、ブラジル代表経験もあるトップ下のビスマルクを採用して、2ndステージを制して本来の実力を見せます。
ここまで、あれ?浦和の名前が出てこない?と思われた方は若いサポです。浦和は、この1993年は、当時の森監督が「3年分くらい負けた」というほど連敗街道を進み、地元だからと応援していた当時のサポーターを大いに落胆させます。浦和が勝つ喜びを味わうのは、オジェック監督が登場する1995年を待たないといけませんでした。
また、初代得点王は誰?とも思いましたが、こちらは意外と早く回答が出ました。当時横浜MのFW、当時34歳のベテランのR・ディアス選手です。実は、このディアス、セリエAのインテルが1989年に優勝したときの主力FWで、アルゼンチン人なら多くの人が知っているという超大物でした。
当時はサッカーのことはまったくわかっていませんでしたし、Jリーグのチケットも品薄状態で、スタジアムで試合を見ることもできませんでした。そのため、当時の選手のプレー内容はスポーツマスコミの評価に頼ってしまいますが、ディアスはそんなに動く選手ではなく、守備も全然やらないというFWだったらしいです。
しかし、左足のシュート技術は当時ベテランだったにもかかわらず、高いものを持っていたようで、それで輝いた得点王だったようです。