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第二次オジェック政権の思い出

2009-09-16 18:54:30 | 浦和レッズ
おそらく、駒場時代から年間チケットを持っているような古株の浦和サポなら、オジェック監督の名前を聞けば最初(1995-1996年)の采配の方が印象的でしょう。今や美化された感もありますが、勝てないチームだった浦和を優勝争いさせた実績は今でも色褪せません。

ただ、残念なことに、当時は私がサッカーをわかっておらず、スポーツマスコミの評価である「引いてカウンター」をそのまま使わざるを得ません。それではサッカー系ブログとしては悔しいので、今回はあえて2回目のオジェック時代を振り返ります。

オジェック監督が浦和の監督を契約満了で退任してから、オジェック自身はコカエリスポル(トルコ)の監督になり、トルコ杯を優勝させた実績もあります。その後はFIFAの技術委員になり、W杯の戦術分析をやっていました。つまり、最先端の戦術を知り得る立場にはいたわけです。

ただ、オジェックは決してドイツでも選手を使い回さないと強行日程を乗り切れない、バイエルンやシャルケなどの監督をやっていた訳ではありません。

おそらくオジェックが浦和の監督に決まったときは、多くのサポが「あのオジェックだから何かやってくれるだろう」と思っていたでしょうが、ACLを初めて戦う強行日程を乗り切るノウハウは持っていないかもしれないと不安もありました。

結果的には、期待も不安も両方当たってしまいました。期待の方はもちろんACL優勝です。正直、それまで日本のチームは決勝トーナメント進出すらなかったことを考えると、ベスト4まで行けば成功の部類に入ると思っていましたが、優勝まで行くのは期待以上だと思います。

ただ、ワシントンがあからさまに監督批判をするなど、選手との関係は良好とは言えませんでした。それは攻撃面が個人のアイディアに任されていたブッフバルト前監督時代とは違って、オジェック監督はサイド攻撃を重視したという変化も理由でしょう。

ワシントンの場合は、個人技を封印されて、とにかく真ん中で待てという指示が出ていたものと推測できます。これでは、任せてくれればもっと点を取れるはずとワシントンが思っても不思議はありません。

また、ポンテの使い過ぎで彼に選手生命にかかわるような重傷を負わせてしまったことも、オジェック監督の責任だと思います。結局、アジアの厳しい戦いを乗り切るノウハウはなかったと言われても仕方ありません。
コメント
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