Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

ストライカー対決(9/23川崎F対名古屋)

2009-09-23 19:41:21 | 他チーム
今日、日本でJ1レベルの試合を見られるのはここだけという理由もあって、中立観戦の国立に行っていました。暑さもあまりなく、連休の最後を締めくくるにはいい気分転換でした。ただ、このカードにしては箱が大きすぎたようで、写真にも示すように空席も目につきました。

いつものこのブログのパターンに戻すと、立ち上がりは名古屋が引き気味に戦ってケネディの頭を狙うゲームプランでした。しかし、わかっていてもやられてしまうのがケネディの恐ろしさで、前半27分に中村直志のクロスを頭で合わせて名古屋が先制します。

対する川崎Fは、この日は冴えていた中村憲剛のパスからジュニーニョが駆け上がるいつもの攻撃を見せて対抗しました。しかし、この日はジュニーニョがブレーキで、ロングボールで抜け出した絶好機にシュートミスするなど本来の出来ではありませんでした。

このまま0-1で決着すれば、川崎Fは何が何でも瑞穂で2点以上を取るしかなくなり、相当不利ですが、ジュニーニョが当たっていない川崎Fがどうやって点を取るのか、スタンドからでは想像がつきませんでした。

しかし、川崎Fはジュニーニョが当たっていなくても、他の選手がカバーできるチームでした。ゴール左寄りの中村憲剛のFKは、今日は俺が助けてやるくらいの気持ちで臨んだかもしれません。壁の脇を抜いてバウンドさせるボールを送ると、相手GK広野の反応の遅れもあって同点に追い付きます。

インターネットなどで結果をチェックした方は、あれ?ジュニーニョは点を取っているじゃない?と思われる方もいらっしゃるでしょう。そのゴールは、いわゆるごっつぁんゴールでした。

右サイドをドリブルで上がった中村憲剛のクロスが相手にクリアされたところを森が拾い、このクロスを谷口が頭で合わせたボールがクロスバーをヒットしたこぼれ球をジュニーニョが押し込んだものです。ただ、この1mゴールは値千金でした。

その結果、名古屋がバランスを崩しても攻めざるを得なくなり、川崎Fは山岸を投入して2トップにして、しっかりダブルボランチを置いて逃げ切ることができました。最後には名古屋に決定機があったので楽な戦いではありませんでしたが、このリードをアウェイ戦でうまく使って欲しいです。
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恐怖の9番打者(辻発彦)

2009-09-23 09:38:51 | 他スポーツ
かつて、パリーグの9番打者というと、守備専門の選手が座るのが常でした。確かにセリーグの投手に比べると、野手が9番に座ることで多少は打線の破壊力は増しますが、9番打者をうまく活用したチームは少なかったです。そんな常識を破り、9番打者こそ重要という意識を植え付けたのは、西武黄金時代の監督、森監督でした。

1986年-1988年の3連覇当時、9番に座っていたのは、いつでも1番を打てるタイプの辻発彦選手でした。辻は、野球では無名の佐賀東高校の出身で、その後は社会人野球の名門、日本通運にテストを受けて入社します。日本通運では4番打者だった辻ですが、25歳でプロ入りするとき、「自分の打力ではプロには通用しない」と判断しました。

そのため、辻はプロ入りしてからは、自分の打法を「小さくする」ことで、しぶとくレフト前に落とすヒットを狙う打撃に切り替えました。バットを短く持った、独特の打法も、プロ入り以降です。この判断は正解でした。もともと最初から1,2番タイプを狙っていた辻にとって、9番に座って1番石毛とのつながりを生かすという役割は合っていました。

当時の西武の場合、9番から始まる打順も「好打順」と呼ばれたほどです。それは、石毛が意外と犠打(送りバント)の数が多いことにも現れています。一見、常に3割をキープできる石毛は、森監督が最も頼りにした打者のように思えますが、実際はバントなどでチームバッティングをすることも多かったです。

ただ、1989年に優勝を逃した後の第二期黄金時代(1990年-1994年)には、辻は本来の1番打者に座りました。平野という2番向きの打者の加入と、石毛が6番に回ったからです。ただ、この新打線の威力は抜群でした。加入したデストラーデが左右両打席でホームランを打ち、その前はいつものAK砲(秋山、清原)が座る、ドラフト以降では最強のチームとたとえられました。

ただ、そんな西武の終焉は、FA制度の導入でした。秋山もFAができたら止められないと判断され、当時のダイエーにトレードされ、工藤、石毛らもFAで去り、辻も年俸が2億円と高騰していた理由もあり、西武を戦力外になりヤクルトに移籍します。ヤクルトで首位打者を取って意地を見せましたが、それが最後の輝きになりました。しかし、西武の黄金時代の名脇役だった辻の活躍は、今でも忘れません。
コメント (1)
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