私は大学時代、オリエンテーリングをやっていました。その集大成である大学選手権が3月に行われるため、怪我をしないようにスキーなどは一切禁止し、レースの体力を維持するために学部のときは卒業旅行をしていません。その分、大学院を卒業して社会に出るときに卒業旅行を2度しています。
ワールドサッカーを巡ったイタリアの旅はあまりにもマニアックで友人は誘えなかったので、北海道のフリー切符を使った北斗星の旅に高校時代の友人二人を誘って出かけています。卒業旅行のシーズンは3月で北海道は雪が残っていたので、街並みを中心に見るプランを立て、小樽→札幌→函館と回りました。
小樽は運河沿いに建つ、明治の面影を残す洋館が印象的です。運河沿いの遊歩道は雪で歩きにくかったですが、当時の船会社の建物で欧州航路の時刻表があったことは今でも印象的です。スエズ運河のなかった時代で、船で欧州へ行こうとするとアフリカの南端を回らないと行けない時代でしたが、シンガポール一日半滞在だとか当時の船旅が結構時間を正確に管理していたことは当時の驚きでした。
また、小樽といえばお寿司ですが、父から一見さんには高い値段を提示するすし屋もあると聞いていました。そのため、店頭に値段の書いてあるおすし屋さんを狙い、ガード下のすし屋が10貫1500円とリーゾナブルだったので入りました。どのすしを選ぶか、友達とじゃんけんをして決めましたが、そのときに私はドラフト会議に引っ掛けて、「第一回選択希望すし」と言ったら受けたことを覚えています。
この小樽の夜は、何か楽しめることをやろうと、近くのコンビニまで出かけてトランプを購入したことも印象的です。延々と大富豪を行い、私は負けてばかりで最強札を拠出して最弱札を引かされる「税金」を何度も収めていました。まあ、一晩のネタになればいいだろうと思っていましたが、これが北海道旅行の大きな思い出になるのですから、何でもやってみるものです。
小樽では郷土資料館でクイズに挑戦して友人の一人が全問正解したことと、原人の体験をしようとする火起こしに挑戦して全身汗だくになってクリアしたことも印象的です。ある友人はあまりの暑さに、革のコートを脱いでポロシャツ一枚になり、北海道でそんな格好をする人はいないと驚かれた印象があります。(これは3回くらいになりそうで、ここは一旦切ります。)
ワールドサッカーを巡ったイタリアの旅はあまりにもマニアックで友人は誘えなかったので、北海道のフリー切符を使った北斗星の旅に高校時代の友人二人を誘って出かけています。卒業旅行のシーズンは3月で北海道は雪が残っていたので、街並みを中心に見るプランを立て、小樽→札幌→函館と回りました。
小樽は運河沿いに建つ、明治の面影を残す洋館が印象的です。運河沿いの遊歩道は雪で歩きにくかったですが、当時の船会社の建物で欧州航路の時刻表があったことは今でも印象的です。スエズ運河のなかった時代で、船で欧州へ行こうとするとアフリカの南端を回らないと行けない時代でしたが、シンガポール一日半滞在だとか当時の船旅が結構時間を正確に管理していたことは当時の驚きでした。
また、小樽といえばお寿司ですが、父から一見さんには高い値段を提示するすし屋もあると聞いていました。そのため、店頭に値段の書いてあるおすし屋さんを狙い、ガード下のすし屋が10貫1500円とリーゾナブルだったので入りました。どのすしを選ぶか、友達とじゃんけんをして決めましたが、そのときに私はドラフト会議に引っ掛けて、「第一回選択希望すし」と言ったら受けたことを覚えています。
この小樽の夜は、何か楽しめることをやろうと、近くのコンビニまで出かけてトランプを購入したことも印象的です。延々と大富豪を行い、私は負けてばかりで最強札を拠出して最弱札を引かされる「税金」を何度も収めていました。まあ、一晩のネタになればいいだろうと思っていましたが、これが北海道旅行の大きな思い出になるのですから、何でもやってみるものです。
小樽では郷土資料館でクイズに挑戦して友人の一人が全問正解したことと、原人の体験をしようとする火起こしに挑戦して全身汗だくになってクリアしたことも印象的です。ある友人はあまりの暑さに、革のコートを脱いでポロシャツ一枚になり、北海道でそんな格好をする人はいないと驚かれた印象があります。(これは3回くらいになりそうで、ここは一旦切ります。)