Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

北海道卒業旅行1

2013-04-29 21:09:58 | 雑記
私は大学時代、オリエンテーリングをやっていました。その集大成である大学選手権が3月に行われるため、怪我をしないようにスキーなどは一切禁止し、レースの体力を維持するために学部のときは卒業旅行をしていません。その分、大学院を卒業して社会に出るときに卒業旅行を2度しています。

ワールドサッカーを巡ったイタリアの旅はあまりにもマニアックで友人は誘えなかったので、北海道のフリー切符を使った北斗星の旅に高校時代の友人二人を誘って出かけています。卒業旅行のシーズンは3月で北海道は雪が残っていたので、街並みを中心に見るプランを立て、小樽→札幌→函館と回りました。

小樽は運河沿いに建つ、明治の面影を残す洋館が印象的です。運河沿いの遊歩道は雪で歩きにくかったですが、当時の船会社の建物で欧州航路の時刻表があったことは今でも印象的です。スエズ運河のなかった時代で、船で欧州へ行こうとするとアフリカの南端を回らないと行けない時代でしたが、シンガポール一日半滞在だとか当時の船旅が結構時間を正確に管理していたことは当時の驚きでした。

また、小樽といえばお寿司ですが、父から一見さんには高い値段を提示するすし屋もあると聞いていました。そのため、店頭に値段の書いてあるおすし屋さんを狙い、ガード下のすし屋が10貫1500円とリーゾナブルだったので入りました。どのすしを選ぶか、友達とじゃんけんをして決めましたが、そのときに私はドラフト会議に引っ掛けて、「第一回選択希望すし」と言ったら受けたことを覚えています。

この小樽の夜は、何か楽しめることをやろうと、近くのコンビニまで出かけてトランプを購入したことも印象的です。延々と大富豪を行い、私は負けてばかりで最強札を拠出して最弱札を引かされる「税金」を何度も収めていました。まあ、一晩のネタになればいいだろうと思っていましたが、これが北海道旅行の大きな思い出になるのですから、何でもやってみるものです。

小樽では郷土資料館でクイズに挑戦して友人の一人が全問正解したことと、原人の体験をしようとする火起こしに挑戦して全身汗だくになってクリアしたことも印象的です。ある友人はあまりの暑さに、革のコートを脱いでポロシャツ一枚になり、北海道でそんな格好をする人はいないと驚かれた印象があります。(これは3回くらいになりそうで、ここは一旦切ります。)
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ピンク・レディーの記憶

2013-04-29 18:06:39 | 雑記
このGWに、家の近くのパチンコ店にピンク・レディーの未唯(Mie)さんが来る予定になっています。タバコ臭く音楽がうるさいパチンコ店の雰囲気は好きではないので、誰がゲストに来ようともパチンコをすることはないと思いますが、少年時代のアイドル、ピンク・レディーを思い出すきっかけになったので、ブログネタにします。

ピンク・レディーが流行っていた当時は、小学生だったので歌詞の意味はわかっていませんでした。しかし、小学生の読む雑誌の主役は王貞治とピンク・レディーだった時代に私は育っています。印象に残る代表曲を一つ挙げるとすれば、サウスポーです。

背番号1のすごいやつが相手、フラミンゴみたい、ひょいと一本足で、とはまさに王貞治です。当時王貞治は765号を打った頃で、そういう相手に投げるのは恋の気分という意味はわかっていませんが、リズムは好きでよく口ずさんでいました。

当時のピンク・レディーの二人はあまりの過密スケジュールをこなすために、家には帰らず、都内のホテルに缶詰めの生活でした。ザベストテンでは何度も黒柳徹子と話をしていましたが、ピンク・レディー本人はあまりの忙しさゆえに全く覚えていないそうです。

ピンク・レディーというビッグプロジェクトで周りは騒いでいても、本人にはそんな実感はなく、ホテルの自室にこもる生活は「台風の目にいるよう」と振り返っています。松田聖子のようにアイドルであることを楽しむふてぶてしさがあれば良かったように思いますが、やはりいくら人気があっても本人がそれを楽しめなければ長持ちはせず、ピンク・レディーは1981年の後楽園球場のコンサートを最後に解散しました。

それでも、初めて好きだと思った女性アイドルは彼女たちで、山口百恵とともにあの時代を彩った、思い出の二人組です。今、NHKののど自慢で若い人がピンク・レディーの曲を歌っているのは嬉しく、世代を越えて歌い継いで欲しいと思います。
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ワールドサッカーが好きな理由(リバプール対チェルシー)

2013-04-29 08:56:23 | ワールドサッカー
私がサッカーにはまるきっかけは地元にできた浦和レッズですが、浦和は好きでも日本代表やワールドサッカーには興味がないという方もたくさんいます。そんな私がなぜワールドサッカーを見るようになったのか考えてみましたが、たぶん中学、高校時代の趣味が将棋だったことが一つの理由だと思います。

将棋の場合、美濃囲いや矢倉囲いなどの守備の戦術があり、攻撃にも居飛車、振り飛車などの戦術があります。駒も攻撃に効く飛車、角のような強力な駒もいれば、守備を引き締める金や銀などもいます。ワールドサッカーのように選手をあまり知らないテレビ観戦では、誰をどこに置き、どうやって攻めるかを知る、将棋的な面白さが好きだったのだと思います。

昨日見た、チェルシー対リバプールもそんな将棋的な面白さを感じた試合でした。チェルシーは攻撃的MFに人材が豊富で、柔らかいドリブルのアザール、セカンドストライカーのマタ、華麗なテクニックを誇るオスカルの3人を同時起用すると、攻撃面ではいろいろアイディアが出て面白いです。しかし、彼ら3人は守りに回るとあまり強い「駒」ではないので、守備にバランスを取るために攻撃的なランパードの代わりにミケルを置いているところは戦術の面白さです。

アザールには移籍金40億円を払うなど、資金力で選手を集めてきたチェルシーですが、率いている監督はリバプール時代に欧州CL優勝経験もあるベニテスで、そういう将棋的な能力は十分持っている人物です。もっとも、サッカーが難しいのは将棋の駒はどんなときでも同じ能力を発揮できますが、選手は好不調があっていつも同じ能力を発揮するとは限らないところです。この日のチェルシーはフェルナンド・トーレスがあまり存在感を出せませんでした。

逆にリバプールはスピードに乗せた方が力を発揮するチームです。冬の移籍期間で獲得したスターリッジを走らせるカウンターは有効な形で、チーム得点王スアレスもスピード型でセカンドボールを拾ってのカウンターを掛ければいろんな選手が飛び出してきます。前にならいくらでも進める「香車」を持ったチームだと思います。

試合は終了間際のスアレスのヘディングシュートでリバプールが敗色濃厚の試合を引き分けに持ち込みました。リバプールは欧州CLは難しくなりましたが、19世紀にできたスタジアムを持つ伝統あるクラブを、またいつかヨーロッパの舞台で見られることを楽しみにしています。
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