Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

バーベルが恋人(霧島)

2013-04-19 18:49:00 | 他スポーツ
いつもならブログのネタは一瞬で思い付くのですが、今日は10分考えても思い付かないので、困ったときは昔の大相撲から引っ張るいつもの手を使います。私は長い相撲が好きで、1分を超える相撲を見ていると力が入ってくるのですが、そんな相撲をよく見せてくれた元大関霧島(現陸奥親方)の思い出です。

霧島は幕下を抜けるのに4年かかるなど遅咲きの力士で、新入幕は25歳とのちに大関になる力士にしては時間がかかっています。当時の霧島は体重110kgと軽量で、前みつを引いて持久戦に持ち込んだときは感動的な相撲を見せてくれましたが、突き押しの相手に弱く簡単に突き出される相撲もありました。

霧島は今で言うイケメンで、女性ファンの多い力士でしたが、当時は人気に強さが追い付いていませんでした。霧島といえば筋力トレーニングを相撲に導入した走りの力士で、バーベルが恋人と自ら認めるほどでした。筋肉痛がないと弱くなったような気がしたそうです。

そんな霧島が変わったのは小結に昇進した場所で1勝14敗と大きく負け越してからです。このままでは上位に通用しないと危機感を覚えた霧島は、プロテインを飲んで筋肉の増量を目指し、体重を130kgまで増やしました。この結果、それまではできなかった吊り寄りが新たな武器になり、千代の富士の1000勝がかかった一番に力業で勝つなど存在感を見せます。

大関昇進は30歳を過ぎてからで、所要91場所は現在も残る大関のスロー出世記録です。ただ、朝潮(現高砂親方)が6回目の挑戦でやっと上がった大関に、一発で上がった勝負強さは評価しています。

しかし、霧島の時代は大相撲が大型化した転換期でした。霧島には防波堤になって何とかその流れを止めて欲しいと、応援していました。曙には一方的に押し出されるなど、ちょっと頼りない防波堤で、大関は16場所と短い在位期間に終わります。

それでも、入幕当時の霧島の相撲を覚えていた私は、これほどの力士になるとは思っていませんでした。努力は報われると、私が何かにめげそうになったときにはよく霧島の名前を思い出しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする