法音カウンセラー 釋 真聴 《日乗》

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「他力本願」五木寛之さんの言葉

2012年10月12日 22時39分52秒 | 日乗

昨日のブログで、里村専精師の「浄土真宗にようこそ」を紹介させてもらった。

偶然であるが、11日発行の日刊ゲンダイ誌の五木寛之さんの「流されゆく日々」連載9052回で、次のような文章に出遭った。

他力本願という言葉は、いまでは人頼みで自分では何もしない態度をさす場合が多い。
新聞や雑誌で、そういう使い方をされる度に、真宗教団側では眉をひそめるのだが、それは仕方があるまい。言葉というものは、生きものなのだ。時代とともに変化し、時に誤用が常識になってしまう場合がある。
もともとは仏の本来の願い(すべての衆生をもれなく救う)を信じて、一心にまかせる姿勢をいう言葉なのだろうが、いつのまにか「あなたまかせ」の自主性のない態度を「他力本願」と表現されるようになった。

確かに、「他力本願」という言葉は、本来の意味が失われている。

身近にある広辞苑でも、次のようにある。

他力…他人の助力。仏・菩薩の加護の力を指す。浄土門において阿弥陀の本願力により往生           することをいう。

他力本願…阿弥陀の本願。また、衆生がそれに頼って成仏を願うこと。転じて、もっぱら他人の                力をあてにすること。

一般には、「他力」「他力本願」を「他人の力をあてにすること」として使っているようです。

ぜひ、昨日更新の里村専精師の言葉を読み深めていただき、「他力」「他力本願」を正しく身のうちにおさめてもらいたいものです。

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