里村専精師の「浄土真宗にようこそ No15」をお届けします。
浄土真宗にようこそ(015)
「源信廣開一代教 偏帰安養勧一切」と親鸞は書き始めています(正信偈)。
天台宗・比叡山の学びを代表する、あの源信僧都を親鸞は七高僧に数えました。
源信僧都(942-1017)は、はるかに法然上人(1133-1212)の大先輩です。
そしてその人柄は、やはり特徴的です。ほとんど独自の教学を開かれたものでした。
比叡山の学問を学びながら、懐感(えかん)禅師の説を享けて深い思索を陳述されました。
懐感禅師は、唐の善導(613-681)大師の教えを受けられた大切で得難い人です。
浄土と一言で言っても、中国や日本ではきちんとわきまえる必要があると考えられました。
報土と化土では全く違う世界なのだというのが、その大切な説です。
親鸞は、「報化の二土を正しく弁立されました」と指摘しています。
何が違うかといえば、報土という如来のレベルの国土と、人間が思弁する限りの化土は…、
その質もその桁もまったく違うというのです。
報土は仏道の教える環境世界であり、化土は人の描く幻想なのです。
人を立場に語られる世界は、ほかならないその人の全体を確立するものではありません。
対するに、報土は本願が働いて築かれている存在全体の環境です。
それが国土とも刹土とも述べられる巨大な領域です。
サンスクリットではダートゥ(dhaatu)と書かれるものです。
源信僧都ご自身も、極めて謙虚な言葉遣いですが、
「煩悩が眼を遮って見えないものの、大悲は無倦に照らしている」と、語っておられます。
如来のレベルで開かれている、我々人間を満たす世界を報土と語られたものです。
報土とは、本願に報いて拓かれている国土ということです。
つまり本願のレベルで拓かれている世界のことです。
釈尊も・聖弟子たちも・大乗の菩薩も伴にゆかれた世界へ、源信僧都も行かれたのです。
本願が営む世界は、親鸞も法然も・七祖たちも例外なく行かれた世界です。
大きな阿弥陀仏のサンガ世界、それが報土であり無量光明土なのです。
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