里村専精師の「浄土真宗にようこそ」No50をお届けします。
日本語には、仏教語がふんだんにちりばめられています。
インドの言葉から、翻訳された中国の言葉、
更には南の国々からもそれらはもたらされています。
なのですが、おしなべて仏教語は本来の意義を失っています。
人生にとって重要度の高い言葉ほど、頻繁に使用されてはいるものの、
かえって本来の意味が浮かんではこないのです。
涅槃・仏陀・釈迦・極楽・阿彌陀・他力・本願・往生…。
などとなど数えても際限がありませんが、使用に耐えない言葉になっています。
覚悟という言葉もそうです。
覚悟するというのは、決してあきらめるということではありませんね。
覚悟するというのは、
もともとはブッダが生きられたその生き方を共に生きることです。
仏弟子たちは、親しくブッダに接してその人生の覚悟を定めました。
覚も悟も「さとり」のことなのですから。
数えきれない人々がブッダと同じ精神を確保していたのです。
それに覚悟という言葉には、変な力みもなかったはずです。
自然に、道理のままに、大きく生命の事実に覚めたのです。
その最初の覚悟が、「宿明智通」と呼ばれるものです。
生命の分厚な歴史とその尊厳を見いだしたとき、
人は覚も悟も見つめているのです。
そして、その人に広がりが見えて来ます。
それが「天眼智通」なのですが、この言葉も本来の意味を失っています。
天眼とは神のような眼という意味ですが、正しく人が人の広がりを見つめるのです。
ブッダにも比丘たちにも、この二つの智慧が確認されていました。
この二つの智慧が確保されて、
人は煩悩のただ中で煩悩を主体にしない生き方を生きます。
それが「漏尽智通」と呼ばれていたのです。
これら三つの智通が、実は覚悟の内容なのです。
生命の尊厳と、生命世界の広がりを見据えて、
人は世に在りなから世を超えるのです。
それが覚悟した人の、実に豊かな人生になってゆきます。
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