法音カウンセラー 釋 真聴 《日乗》

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里村専精師 「浄土真宗にようこそ」No64

2016年10月15日 20時22分48秒 | 里村専精師の言葉

里村専精師の「浄土真宗にようこそ」No64をお届けします。

仏教が“苦悩の哲学”だという判断は、実際にはどれほど仏教理解を歪曲しいるか計り知れません。
同じことのように見えるかもしれませんが、苦悩を超える一点にしぼって仏道は学び続けられました。
「仏教の智慧は、純粋無雑である。論理や哲学はなお人間的である。
仏教の智慧は人間に同情のない智慧、一点の主観性をも混ぜぬ智慧である。人間に妥協せぬ智慧だけが人間を救う。
人間の解釈は、自己の立場が超えられぬから迷うのである」(安田理深選集第三巻)
という言葉は、実に仏教の学びの究極を言いえていると思われます。
ブッダの智慧を踏襲して、同じ智慧の学びを展開した仏教の歴史というものの貴重なことを思います。
“苦悩の哲学”という判断は、総ての仏教理解を閉じこめるものです。
仏教は釈尊以来、理性に拘泥するのではなくて、理性の固執を超えて真実の学びを開顕してきました。
理性を否定するのではなくて、理性の固執を乗り越える学びを継承したのです。
龍樹の「般若空」も、智慧の展開のままに有漏の理性を超えるものでした。
世親菩薩に代表される「唯識法相の学び」も、理性の横暴を徹底的に批判したものでした。
念仏は、日常的な低次元にも、真実の存在理解を一挙に与えるものだというのが親鸞の把握でした。
龍樹が示した般若空も、世親の突き詰めた真如法性の実現も、無漏の智慧の展開を語ります。
それは菩薩の重大な危機をも乗り越えるほどに大切なままに、凡夫の救済とは矛盾しないものなのです。
人は苦悩しますが、そういう苦悩の一々の対応的な解決を言うのではなく、
より根源的に誰の存在の尊厳をも解き明かすものが仏道です。
ブッダが救われたように、菩薩が救われる。
そしてもっと救うべき凡夫たちも、同じ道理によって救われるというのが、仏道だと思います。
特殊な人々が救われるのではなくて、智慧一つでの人間救済があります。
「智慧の念仏」といい「信心の智慧」といいます。
仏道本来の学びを、念仏という根源的な行が応えているというのです。

「談合」という言葉があります。
広辞苑には、「話し合うこと 談じ合うこと 相談」とありますが、
現代人は、「土建屋さんによるいかがわしい企み」を連想するのではないでしょうか!
残念なことです。

また、現代人は、ワークショップとかエンカウンターグループ等に横文字に飛びつきますが、
その内容は、「談合」「講」と同質だと考えます。

ボクは、「談合」を大事にしおうと思っています。
(よりあい)(かたりあい)(うたいあい)です。

主宰・同人として参加している(よりあい)を紹介します。
ぜひ、お出かけください。

◇カウンセリング研究会【くりのみ】  *主宰しています。
◇「歎異抄」うたと語り合い      *同人として参加しています。
◇(願海庵)やさしい仏教塾      *同人として参加しています。

日程はコチラから。
   ↓
http://www.ab.cyberhome.ne.jp/~kurinomi/calendar/calendar.htm

どなたも参加できる楽しいサンガです。

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