里村専精師「浄土真宗にようこそ」No75をお届けします。
二十世紀に入ってから、私たちの認識の問題が実体化されていることが判明しました。
フッサールが提言し、実存関係の書物が改めて見直されるようになったからです。
キルケゴールやニーチェ、そしてドストエフスキーなどが、人間の鮮烈なリアリティーを語ります。
対するに一般的には、認識は科学万能主義に走りました。
21世紀の現代は、その路線の中で低迷しています。
何も経済だけが落込んでいるのではありません。
人間の正しい認識が、根源的に問い直されているのです。
認識の実体化は、人間を浅く捉えます。
平均化を平等と呼びますが、実存文学では人間の深さを突きつけます。
けれども、どう深まればよいのか、
人間をどのような深さで称えればよいのかが未だに未決定なのです。
名を成した多くの人たちがいますが、殆ど解決不能で混とんとしています。
真面目に学問は進んではいるのですが、そこには永い不毛が目立つと言うべきものがあります。
そして、この不毛は十六世紀もの永い思想界の流転の歴史でもあります。
深遠なる人間存在を正しく回復し、円満なる歩みを獲得する大道が未だに求められているのです。
世親菩薩の歩みは、十六世紀もの間隙を縫って日本にも伝承されています。
唯識法相の学びや、親鸞・道元の学びは、深遠なる人間の存在の充足を実現する学びです。
深遠とは、浅く疎外されている人間を、本来の尊厳へ呼び戻すことになります。
世親菩薩の性相学は、未来際を尽くす学びを人間に回復しようとするものでした。
そういう世親の学びが、「浄土論=願生偈」において謙虚な実践を教えています。
「世尊我一心 帰命盡十方 無碍光如来 願生安楽国」という念仏がそれです。
換言して、これが広く用いられる南無阿弥陀仏なのです。
ここには、「帰命・南無」という動作として仏道の学びが示されています。
「入・住・出」という動作で示されるものが、仏道の学びであるようにです。
往生とは、こういう根源的に未来際を尽くしてよい学びを確認することだと言ってよいでしょう。
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