念仏は、声有(ショウウ)の坐禅。
坐禅は、声無(ショウム)の念仏。
ボクの造語です。(笑)
ご意見・ご教示よろしく。
以下、『毎田周一全集 第六巻』からの引文
親鸞聖人が念仏を「易行」といはれたのは周知のことであるが、
道元禅師も亦坐禅を「易行」とされてゐるのである。
まことや、口に称名することは三才の童子でも出来るやうに、
単に坐ることも亦何人にも出来ることである。
道元禅師の坐禅とはかくの如きものであった。
若しも坐って何か深刻なことを、
真実な又崇高なことをでも考へよといふことが、坐禅ならば、
誰にでも出来ることではない。
何も考へないでよいのである。
正に「痴の如く兀(ゴツ)の如く」である。
馬鹿のやうに坐れといふのである。
だから賢い人にも愚かな人にも、
斉しく出来る坐禅である。
《声明カウンセラー・くりのみ》は、
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